2013年7月18日木曜日

第6回発表を終えて

コメントが遅くなりました。とうとう終わってしまいました。

さて

21 K6さんの教育実習での先生について

K6さんも教育実習に行った経験を話してくれました。自分の母校だそうです。教育実習は先生になるために必要な実習ですが、実に様々な経験をします。この経験を調査した報告はあまり表に出ていません。およそ3週間がふつうですが、その3週間にどのくらい授業をして、授業についてどう指導されるのかはまったく混沌としています。それが現実と言えば現実ですが、ちょっと考えてみるとおかしなことかもしれません。

さて、K6さんは教育実習でお世話になった先生二人のことを話してくれました。どちらもいい先生のようです。一人は、Phonicsの指導では有名な先生で、ある面きちんとした指導をしてくれる先生です。生徒は安心して学習できるのではないでしょうか。Phonicsはきわめて自然な教え方です。文字を見て、その並びのパタンにそって発音するという実に単純なものです。ただ例外も多いのが英語です。

            one       t-one        m-one-y     

このあたりをどう指導して、学習者がこつをどうつかむかでしょうね。私はよい方法だと思います。特にラテン語系は生かせます。

もう一人の先生は、おだやかで生徒を安心して学ばせているのでしょう。これも私は重要だと思います。先生の影響で英語が好きになったり嫌いになったりするので、先生のパーソナリティとアプローチは、工夫が必要です。

授業の基本は、やはり人と人のコミュニケーションですから、幼くなればなるほど先生の存在は大きいです。先生と生徒の相性はあまり科学的ではないので話題になりませんが、確かに重要です。大学生になれば先生の教え方はあまり関係なく生徒のほうが賢い場合もありますから、問題になりませんが、小学生や中学生はそうはいきません。その意味からK6さんの発表は興味深いものでした。

22 K7さんのカンザス留学経験

K7は先生になりたいと考えています。この授業は聴講生として受講していました。私としてはうれしいかぎりです。授業を授業ではないかたち、教えるというのではなくみなさんで言語教師を考えようという趣旨でこの授業を担当しています。その意味から言えば理想的です。評価を出す必要もないので、言語教師認知の研究に純粋に興味を持ってくれたということです。ありがたい。

さて、カンザスでの留学経験はK7さんにとってはとてもよい経験だったようです。教育社会学という勉強をしたということですから、ただ単に語学留学というわけではないので、ある意味で大学院的な経験です。留学というのは、ただ外国に行って社会文化などの体験をするという感覚が強いのですが、私はいつもそれはあまり意味がないと思います。やはり意味のある留学をすべきです。資格を取る、留学したらその国で仕事をする、住む、などです。ただ単に行くだけならば、留学などとは言わず、「ちょっと行ってくる」でよいと考えます。乱暴ですが。

このクラスでは、様々な背景を持っていながら、英語を教える教師になろうとしている人、すでに教えている人がいます。単純にある国に行ってなんらかの学習や生活経験がある人、そうではない人など、ほんとうに様々で、それにより微妙に教育や学習に対する考え方が違います。どれがよいかはおそらく正解はないでしょう。それとともに、同じように生徒も異なる背景があり、想像しにくい環境にいる生徒にも出会うでしょう。そのときに自分の価値観を押し付ける事のないようにできるためには、きっとK7さんのカンザス体験は生きるはずです。

23 S3くんの英語学習について

S3くんはいろいろなことをよく考えていて、アイディアもたくさんある人です。英語学習については自分自身の考え方を追求しています。元気もあるし、教えることに熱心です。それとともに、もっと深く何か自分が納得できることを見つけたいのでしょう。これからが楽しみです。話はおもしろく聞かせてもらいました。突拍子もないことを述べているようですが、結論は至ってまともです。インプットが大事、英語は英語、間違って当たり前。S3くんは、それを書物ではなく自分で納得したことが重要です。

面白かったのは、英語に対する意識でした。アメリカ英語、英国英語、オーストラリア英語など、あるいは、いわゆるネイティブスピーカーとそうではない人、帰国子女と日本にずっといる人など、英語学習に対してすごく根強い意識があるのだと改めて思いました。英語はたかが英語、日本語もたかが日本語と、私は思っていますが、やはり本物の英語という意識が強いのでしょう。たしかに、多くの国でそうです。英語ネイティブスピーカーはそれだけで仕事になったりする時代がずっと続いています。それっておかしくありませんか?と、私はS3くんのおもしろい話を聞きながら考えていました。

「英語をものにする」のは英語学習者にとってはけっこうたいへんです。でも、ちょっと考え方を変えてみませんか?そんなに英語の知識や技能を磨く必要はないのではないでしょうか?ある程度できればいいじゃないですか?英語を使いながら何かを勉強して、英語に触れていれば、自然に英語はその分野では使えるようになります。ある分野で使えるようになれば、それを応用して、別の話題でもなんとかなります。ことばってそんなものではないでしょうか?もちろん英文学や英語学を研究する人は別です。しかしだれもそうなる訳ではありません。

S3はいい先生になると思います。ぜひ先生になってもらいたいですね。ただ一言助言するとすると、謙虚であり、独りよがりにならないで欲しいということです。生徒はいろいろです。その一人ひとりの生徒を大事にしてほしいと思います。もっと勉強してすばらしい教師となってください。応援します。

ということで、すべての発表が終わりました。みなさん、ありがとう。何度も言いますが、一番勉強になったのは私です。これからもいろいろと活躍して教えてください。

いつでもメールください。
Good luck!

笹島茂
sasajima@saitama-med.ac.jp





2013年7月14日日曜日

第5回発表を終えて

いよいよこの言語教師認知の授業も終わりに近づきました。そろそろみなさんも気づいたと思います。おもしろいと思う人も入ればつまらないと思う人もいる。人はそれぞれです。それでよいわけですが、その問題を少し「人」という視点で探索してみましょうというのが言語教師認知の研究の基本だと思って、私はやっています。

そういうわけで、この授業を一番楽しんでいるのは私でしょう。

しかし、ちょっと忙しくて、今日は多少雑な(いつも雑かもしれない)感想になることをお詫びします。

17 S2さんの受験英語について

S2さんは教師になる訳でもなく、教育の勉強をしている訳でもありません。経済の勉強をしています。なぜこの授業をとったのかはここでは省略しましょう。とりあえず、何か役に立ったことを祈りましょう。

今日の話は、S2さんが自分の高校時代を振り返って自分が教わった先生についての振り返りでした。私が印象に残ったのは、それぞれの先生がそれぞれ異なるアプローチをしていたということを指摘した点です。タイトルにあるとおり、高校の学習の主たる目的が、大学に入学するためとなっていることに、大きな問題があります。英語学習に関しては、おそらく多くの人がそうではないでしょうか。大学に行く目的が明確ではない人には、おそらく部活動であったり、アルバイトであったり、友人であったりと、高校時代はやはり人生の中で重要な時期です。

日本の高校教育は、いろいろと批判されたりもしますが、それほど悪いものではありません。私も高校教師だったので思いますが、先生も生徒も実に多くの活動を一所懸命やっています。受験勉強について、S2さんも強調していましたが、決して悪いものではありません。意味はあります。それでも、「英語が使えるようにならない」といつも批判されます。問題は確かにありますが、受験英語自体の内容がおかしいわけではないのです。

問題は、おそらく教師とクラスサイズです。クラスサイズは多少改善されつつありますが、教師の文化が変化を拒んでいます。簡単に言えば楽をするということです。別の言い方をすると手を抜くということになるかもしれません。でも、それだからと言って批判できない状況があります。教師は英語を教えること以外にたくさんのことをしなければいけないし、それがその教師の評価にもつながります。

S2さんの提示した問題はけっこう複雑で考えさせられます。

18 Hさんの韓国の英語指導

韓国はお隣の国で、ふつうの人はみなさん仲良くやりたいと思っているのに、政治や歴史の経緯でうまくいきません。韓国の人が日本を嫌いだという調査結果があるそうですが、どういう調査なのでしょうか。私はそうは思いません。「好きだ、嫌いだ」などという調査は意味がない。とにかく仲良くしましょうよ!と思います。

さて、韓国の英語教育はたしかにHさんが言う通りです。おそらく全体的に見ると日本よりも割合として英語を使って活躍している人は多いような気がします。英語だけではなく、中国語や日本語学習もそうです。外国語を学ぶのは教養ではなくて実践や将来につながるという意識が強いからでしょう。そのような政府の政策がそのまま反映される仕組みができています。しかし、もちろんその流れに乗れない人たちもたくさんいます。

欧米に行くと、アジア系の人はやはりお互いに親近感が自然と生まれます。そのときに、私が感じるのは、中国や韓国の人は個が強いということです。日本の人の中にもそういう人はたくさんいますが、相対的にそう感じます。韓国で英語の授業を見たときは、日本とあまり変わらない授業風景を見ました。恥ずかしがりやだし、英語もそれほどできるわけではありません。受験勉強は厳しいし、授業内容も文法知識などテストのための活動が多いようです。しかし、親の教育熱が高く、大学受験や英語が話せるようになるために相当の支援をします。Hさんが興味を持って調べたこととほぼ一緒です。

Hさんが述べたことで印象に残ったことは、韓国の友達へのインタビューの中で、日本の英語教育は「細かい」という指摘です。これだけではよく分かりませんが、鋭い指摘だと思いました。確かに、日本の教師は「細かい」ことにこだわるかもしれません。それも「細かい知識の違い」に注意しすぎる傾向があるかもしれません。

19 Yさんの英会話教室の活動

Yさんは自分がサポートしている英会話教室の活動とその先生に焦点を当てて発表してくれました。この授業でも早期英語教育に関心を持って活動している人が多く、興味深く聞きました。小さい子供に言語を教える場合には、1)相当の当該言語に対する知識と技能、2)教えることや学ぶことに対しての知識と技能、3)こどもに対する愛情、の3つが主に必要だと思います。日本の現在の小学校外国語活動では、1)と2)がないがしろにされています。日本の小学校の先生は優秀なので、3)などを中心に、総合的な教育に対する専門性から、1)と2)を補っています。

日本の英会話教室も、実は、1)や2)がないがしろにされる傾向は否めません。必ずしも資格を持って教師をしているとは限らないからです。ネイティブスピーカーということと、TESOLやCELTAなどの欧米基準の資格を持っている人はまだよいですが、そうではない人もたくさんいます。しかし、資格を持っていれば、それだけで上手に教えられるかというとやはり違うと思います。教えることは教える先生がどう工夫するかが大切です。それができる人は必ずよい先生になります。

Yさんが紹介してくれた人は、たぶん自分でいろいろな工夫をして子供に英語を教えているのでしょう。子供にとってはありがたいことです。それと、Yさん自身が子供に関わりたいのでしょうね。発表にもそのことがよく表れていました。将来はぜひ子供たちの教育に関わっていただきたいと思いました。

これから、幼児や小学生の英語教育もますます盛んになるでしょう。英語教育だけではなく、言語教育自体が大切ですので、様々な言語に対応できる多くの人を育成する人材が必要になるでしょう。ますます活躍してください。

20 O3さんの私塾の恩師

O3さんは、本当にいい先生に出会えてよかったと思います。私が、言語教師認知に関心を持ったのも、「教師は生徒に影響を与え、生徒は教師に影響を与える」という関係性にずつと興味を持っているからです。教師との出会いは、友達との出会いと同様に、人生にとって大きな影響を持ちます。「なぜ英語の先生になろうと思うのか」と教師志望の学生に尋ねると、ある数の人が教師(恩師)のことを話します。O3さんは、私塾の先生から大きな影響を受け、いまだにその関係性を維持しています。それがとても興味深い点でした。

O3さんの話を聞いて、ある程度納得しました。非常に濃密な関係性ができているということでした。しかし、それができているのも、O3さんの先生がいい先生だということだけではなく、O3さん自身がおそらく最初から持っていた知性や感性が先生と共振したのだと思います。とてもよい出会いだったということです。ぜひ大事にしていただきたいと思いました。

ビデオで授業の様子もちょっと拝見しました。子供たちの視線がすごかったですね。少人数という環境も大きな要因ですが、先生のこどもに対する愛情と教育に対する意欲がそうさせるのでしょう。ややもすると押し付けがましいことになる可能性がありますが、そのようなことは少しも感じさせない授業でした。

私は、授業を成立させる一つの要素は、この辺りにあると思っています。「先生が楽しく授業をする」ということが基本にあって、それをいつもできるようにする、ということが基本です。これは簡単なようでむずかしいことです。「楽しく授業をする」ためには、相当の努力をふだんからしていなければなりません。「自分が楽をして楽しんでいれば生徒も楽しいだろう」とは大きく違います。

「先生が楽しく授業をする」というのは、教師の「こころ」の有り様です。教師の「こころ」は現在の教員養成や教員研修ではあまり取り上げられないし、どうやったらそういう心持ちになれるのかはトレーニングのしようもないかもしれません。でも大切です。O3は恩師とともにそのことを学んだのかもしれません。恩師と培ったことを今度はO3がだれかに伝えられるようにしていただきたいと思いました。

乱筆乱文で申し訳ありませんが、いよいよ次回でさいごです。授業後はみなさんにお礼をしたいと思います。



2013年7月8日月曜日

第4回発表を終えて

ちょっと暑くてたいへんでしたが、どれも興味深い発表でした。ありがとうございます。

それぞれに感想を書きます。

12  Cさんのフランスと日本の学習者の言語学習に関する認知の調査

Cさんはフランスで教育を受け、日本に来てフランス語を教えながら教育に興味をもって学習している。この授業に興味を持って受講して、いつもとてもよい意見を出してくれてありがたい。素朴な疑問は、人はその社会文化を背景として言語学習をどう考えているかはたぶん違うのではないかということです。教育学の勉強をしているのできちんと統計処理をして調査結果を報告してくれた。

今回は、この授業に関係する調査だったので、人数も少なく限られているが、調査の観点はとても興味深いものでした。結果は、統計的には、フランスと日本の学習者の、教材、教師、環境、情報、に関する認知に差はないということでした。しかし、この調査結果が意味するところは貴重だと思いました。

教育の比較調査は本来かなり精緻にしなければいけないかもしれませんが、Cさんは現在日本にいるので、エスノグラフィーという調査ができるので視点を絞ればとてもよい研究ができると思った。私自身も同じようなことを考えて調査をしているが、けっこうむずかしいし、時間がかかる。長い目で調査するとよいと思う。

結果として、「認知にあまり大きな差はない」ということは、ひょっとすると、言語学習に関する教材、教師、環境、情報などの表面的な部分は普遍性があるということが言えるかもしれません。しかし、直感的には、それではどうも納得できないのではないでしょうか?そこにポイントがあるように思いました。ぜひ、その観点から教師認知の研究を進めていただきたいと思います。

13  O2さんの音読に関する調査

O2さんの学習や研究に対する態度はいつも見習うべきものがあります。ぜひすばらしい研究を続けていただきたいと思います。かくいう私も生涯学習(lifelong learning)をモットーとしています。この授業でもそれぞれの方の発表から学ぶことが多く、これこそ言語教師認知の研究の骨格と思っています。Cさんにも見習うべきことが多いですが、Cさんとはまた違う視点で、O2さんも言語教師認知に関連して、音読の探求をしています。これこそ言語教師認知の探求の目的の一つです。

音読というのは、言語活動の基本的な活動です。授業活動の一つとするかどうかは、教師が決定します。しかし、学習者からするとなんらかの形で行っている活動でしょう。O2さんが言う通り、音読という活動をどのように理解しているかはかなりあいまいです。しかし、それは黙読にも言えます。大きくは、「読み」そのものの活動自体を考える必要が出てきます。脳のしくみからすれば、理解、音韻処理、記憶、入力と出力などなど細かく分析する必要も出てきます。しかし、それとは別に、教師が音読に関してどう考えているのかを調査することは意義があります。

Lortie (1985) は「観察の徒弟制(apprenticeship of observation)」という用語を使い、教師は教えられたように教えることが多いということを述べました。たしかにある面でそうです。人というのは、自分がした経験に基づいて判断している場合が多々あり、机上の知識だけでは行動にはつながらないことが多いように思います。また、音読について知識として持っている考えと実際に授業の際にどう活動するかも、そう簡単に説明できません。授業で行う教師の意思決定の要因はかなり複雑です。「知っていること」「したいこと」「していること」「したことをどう意識しているか」という教師の認知は、音読一つとっても探求の価値があるでしょう。

私がO2さんの話を聞いていて興味をもったのは、インタビューをしているO2さんとインタビューの対象となっている人の認知の微妙な関係です。ただ単に調査しているだけではなく、調査から互いが影響しあっている可能性があるわけです。調査においてはこのような関与はよくないと批判されがちですが、言語教師認知の調査では、そのような調査のあり方も重要ではないかと個人的には考え、追求しています。互いが影響し合うことによって明らかになる面もあると思っています。

音読は、東アジアの教育文化かもしれませんが、まだ解明されていないことも多く、O2さんの調査に期待しています。

14 F2さんのポルトガル語と英語学習

F2さんは自身のポルトガル語学習と英語学習のことを話してくれました。大学に入ってからポルトガル語をマスターできたということは、小学校から英語学習を導入する必要はないのかもしれません。また、いま中高で実施されている英語教育は一体何のなのかということを考えさせられます。貴重な発表でした。

一概に比較はできませんが、言語学習全体を考える必要があるように思いました。文部科学省は、


言語活動の充実に関する指導事例集


を提供しています。趣旨は、

「新しい学習指導要領では,生きる力をはぐくむことを目指し,基礎的・基本的な知識及び技能を習得させ,これらを活用して課題を解決するために必要な思考力,判断力,表現力等をはぐくむとともに,主体的に学習に取り組む態度を養うために,言語活動を充実することとしています。」

です。私はこれにはほぼ賛成です。授業を見ていると教師の一方的な講義がよく見られます。生徒はただ板書を写すだけで、その知識をテストし、評価する、という活動です。もちろん、このような講義も必要ですが、それだけでは不十分です。

私は、 F2さんのポルトガル語学習の話を聞いていて、そのような活動をうまく取り入れたカリキュラムを経験したんだろうと思いました。それとともに、 F2さん自身がポルトガル語学習を通じて主体的な学習を培ったのだろうと思います。英語の学習経験がポルトガル語学習に役立ったことはもちろんですが、言語学習が学び全体に影響したことはまちがいないでしょう。

F2さんが、そのような自分の体験を様々な背景を考慮してこの問題を探求すると貴重な資料となるような気がします。期待しましょう。

15  K5くんのコミュニケーションの意味

K5くんは二人の教師に対するインタビューをもとにコミュニケーションの意味について考えた。いろいろなところで議論されていることで、英語学習の意味と実際の教室活動の複雑さの問題をよく表していると思った。学習指導要領はコミュニケーション能力を育成することを目標としていますが、そのコミュニケーション能力をどう捉えるかでいままで行われてきた活動が結局踏襲され、正当化されてしまいます。K5くんの発表はその重要な問題を扱いました。

日本では、古い形の言語学習や言語指導がいまだに多く残って実施されています。あまり効果的ではなく、面白みのない英語学習がいつまでもはびこる原因は複雑です。日本だけの問題ではなく、多くの国で意外と実は行われている教え方です。語彙や文法や発音や意味を教えることは言語学習の基本ですから、ないがしろにはできません。問題がそれらがコミュニケーション能力にうまく応用されないことです。

この問題は、「英語は日本の多くの人に必要な言語ではない」という理由づけや、「基礎を養えばよい」ということで片付けられます。また、学校の先生の仕事は、英語だけ教えることではないという実態があります。公立の中学校の教師が特にそうかもしれません。高校は多様ですが、中学と同様の状況があります。しかし、調査ではあまり明確にはできませんが、そのような状況の中で英語を教えることが形骸化されている実態がなきにしもあらずです。

インタビューした二人の先生は真摯な教師と思います。実際、ほとんどの英語教師は自分の信念にもとづき熱心に仕事をしています。英語授業で学習指導要領のことはあまり考えないかもしれませんが、英語によるコミュニケーション能力の育成はよく考えて授業をしていると思います。それだけコミュニケーションの捉え方が曖昧であり、目的が不明確なことが一因です。

K5くんの視点は、その面でとても重要です。教師はこのようにだれもが当然と思い込んでいることを日々振り返って考える機会が必要だと思います。日々の忙しさの中で多くの仕事に追われ自分を見失ってしまう危険性があります。ちょっと立ち止まって教師自身が様々な問題を考えるということが、教師認知の一つの目標だと思います。

16 F3さんの小学生の英語学習活動と意識

F3さんは、ボランティア活動で小学生に英語を教えている。こういう活動をしている人にはぜひ教師となってもらいたいと思いました。小学校の英語教育活動は現時点では混沌としています。熱心な活動も多く、それなりの成果をあげていますが、問題も大きく存在します。現在の状況では小学校での英語教育には「反対」という人も根強くいます。そんな中で、F3さんのように地域のニーズに応えて、こつこつと子供たちの興味関心を育てていくのは日本の寺子屋的伝統で、すばらしいと思います。ぜひ無理のないように続けていってくれればと思います。

その活動に参加している子供たちにアンケート調査をしてくれました。ポジティブな意見が多く、活動の効果をよく表しているようです。別の調査では、昔からずっと言われ続けていることですが、中学校1年生の夏休み後、また、高校1年生の夏休み後で、英語学習(だけではないかもしれませんが)に意欲を失う生徒が多い、と言われています。原因の一つは、F3さんも指摘していましたが、急にむずかしくなるということです。たぶんそれだけではなく、日本の学校文化全体で考えないとこの問題は解決がつきません。

F3さんの話を聞きながら、CLILのことを考えました。CLILのことはみなさんあまり知らないと思いますが、CLILの理念は、たぶんF3さんたちの活動に関係します。何事もそうですが、ただ「楽しい」だけでは学習は成立しません。「考える」ことが重要であり、「仲間とともにコミュニケーションする」ことが重要です。その点を重視するのがCLILです。日本ではヨーロッパのようにCLILを実施するわけにはいきません。その点で日本的なCLILを開発する必要があります。

日本の小学校英語活動は、アメリカなどの第2言語習得の考えをもとにしている活動が主流のような気がします。ヨーロッパの複言語主義(Plurilingualism)(1人の人が複数の言語を学ぶ)とは微妙に違います。アジアでは、英語だけが推奨され、早期英語学習が加速しています。日本もそれに巻き込まれざるをえません。そうすることは仕方がありませんが、理念をしっかりと持って、その流れに入ることが重要だと思っています。そのためには教える教師がもっとこの問題を考えることが大切です。その意味で、教師認知はとても重要だと考えています。

以上、乱筆乱文ご容赦ください。今週も期待しましょう。







2013年6月28日金曜日

第3回発表を終えて

本日は4人でした。どれも内容の濃い興味深い話でした。私の感想を述べておきます。

8 Fさんの実体験にもとづく第2言語習得法

Fさんは、高校時代のブラジル留学体験の話を中心に話してくれました。ポルトガル語を学ぶということにしっかりとした目標をもって、それをきちんと実践したという経験は、おそらく揺るがない信念となっています。おそらくそれは間違いないことだと思います。やはり留学して、現地でことばを使いながら学ぶということが最も効果的なのだということを裏付けています。

しかし、Fさんも言っていたように、留学だけでことばは学べるわけではなく、それには様々に工夫しなければいけません。ここが大切だと思いました。Fさんのポリシーは、とにかく「実際に使う」ということです。実際に使うために、とにかく現地の社会に入り込み、徹底的にコミュニケーションを取ることです。これは単純ですが、なかなかできることではありません。

また、教育実習で生徒にアンケートをしたら、留学したい生徒がたくさんいたというデータはとても貴重でした。Fさんが体験を話したあとかもしれませんが、日本の若い人は内向きだとよく言われますが、本当はそうではないということを示唆しています。なぜ日本の若い人が外国に行って勉強しないのかには、おそらく多くの理由があります。個人的には、教育や社会システムに不備があると思います。その一つには英語教育も関わっています。英語を教える教師自身に留学などの機会が与えられていません。

言語教師認知的に言うと、日本の英語教師の考えの中に留学に対する思い込みがあります。何か特別なことのように考える傾向があります。留学体験をした生徒が日本の英語授業の教室に戻ると、とたんに口を閉ざしてしまう例も多々あります。英語を実際に使うことを目標に授業が行われていないことが一因です。

教師を非難しても始まりません。英語教育に対する要求が特異なものになってしまっているからです。教師自身もそれほど豊富な海外体験をしているわけではありません。また、留学したとしても一過性の経験です。継続的にはなっていないことが多いのです。

Fさんが述べるように、もっともっと多くの人が気安く留学できるしくみがほしいです。まず、費用面での支援が必要です。次に、留学することが就職などに悪影響を与えないことです。さらには、持続的に日本と海外で学習したり、働いたりできるようになる社会的システムが必要でしょう。

このようなことを、もっともっと外国語教師が交流することで、状況を理解し、改善するために研究する必要があるでしょう。Fさんのような人がもっと活躍できる社会にすることが重要だと思いました。

9  Tさんのポルトガル語教師のインタビュー

Tさんは、日本でポルトガル語を教えながら、ブラジル文学や日本文学を研究している大学の教師に言語教師認知的な観点からインタビューを試みた。私は、Tさんのこのアプローチは言語教師認知の研究の神髄だと思っています。Tさんは気づいているかどうかは知りませんが、なぜこのポルトガル語の先生にインタビューしようと思ったのかです。つまり、Tさんも述べていたとおり、Tさんのインタビューを通して、ポルトガル語の先生が自分を振り返る(reflection)できたと言ったそうです。おそらくTさんも振り返りができたはずです。このような相互作用が私は大切だと思って、言語教師認知研究に興味を持ちました。Tさんは、おそらく、私と同じような意識を持ったのだと思います。

インタビューと観察は、言語教師認知の研究方法の大きな部分を占めます。この場合、観察は直接授業を受けてきたということですから、相当の観察をしてきました。しかし、インタビューで、その裏にある教師の信条あるいは信念(beliefs)を少し明らかにした点が、この調査の意義となります。Tさん自身が大きな影響を受けた先生の考え方を理解することは、Tさん自身の教師としての立ち位置を確固としたものにするでしょう。それは、このポルトガル語の先生をまねる訳ではなく、自分の教師認知を形成することにつながります。

ポルトガル語を教えるということと、中学や高校で英語を教えることは、方法論の上ではかなり異なります。しかしコアにある「学生や生徒の能力を信じる」という姿勢は共通しているのではないかと思います。

TさんはTさんにとってとてもいい先生と出会ったと思います。その出会いをよりどころにして、Tさんも同様に自分が教える生徒に接してもらいたいと思います。その際に気をつけることは、TさんはTさんであるというしっかりとした教師認知を持ってほしいことです。しかし、教師認知はやわらかくある必要があります。あまりかたくなである必要はありません。Tさん自身いろいろと迷うこともあったようですが、それはきっとプラスになるでしょう。教師はいい仕事です。

10  Oさんの教育実習体験

Oさんもポルトガル語を勉強してきて、英語の教師になることを考えているそうです。教育実習を終えた体験を率直に話してくれました。Oさんは某伝統ある私立の中学生を教えてきました。生々しい話もありましたが、このような事実を率直に話してくれることはとてもありがたいことですし、また、それを聞けることがこの教師認知の研究にはとても大事だと思っています。

Oさんが話したいことはたくさんあったと思います。おそらくここでは言えないこともあるはずです。教育実習の意義は、その経験を率直に振り返えることができるかどうか、あるいは、したかどうかで、その後の教師としての姿勢が決まります。物事は深く考える必要があります。なぜこの学校ではこのような教え方をしているのか、なぜ生徒はこのような学校生活を送っているのか、などを考えると、起因となる要素がいくつか見えてきます。塾にほとんどの生徒が行っているという事実があるとすると、授業はどこに焦点を当てるのか?あるいは、テストは教科書をおぼえればOKという勉強方法で本当によいのかどうか?教師は生徒に何を期待し、生徒は教師に何を期待するのか?

私は聞きながら、Oさんはどのように英語を教えたのかと興味を持ちました。生徒はたぶんほとんど問題のない生徒で、予習をしてくるだろうし、授業の反応もよいでしょう。中学校2年生を教えたそうです。中学校2年生というのはけっこうむずかしい年頃です。話の中で、教育実習ではよい経験をし、ある程度教えることにも自信ができたように見えました。

Oさんの話はけっこう多岐にわたっていたようですので、様々に調査したことをレポートでまとめてくれるとありがたいです。教育実習を振り返って考えることは大切です。それあるポイントに焦点をしぼって見つめ直すと今後教師としての柱を立てることができるでしょう。

11 Sくんの生徒の学習動機付け(motivation)についてー教育実習経験から

今回の言語教師認知論は、教育実習を受ける学生が多く、「教育実習で何が変わったか?」などをテーマに一度討論してみればよかったかと反省しています。実にそれぞれの方が異なる経験をしてきます。おもしろいと言えばおもしろいのですが、教育実習とは一体何だろうとあらためて考えさせられます。Sくんは、教育実習中に生徒の動機付けについて調査してくれました。高校1年生を対象として6月の調査ですから興味深いデータとなったのではないでしょうか?

それとともに、教師の考えも調査しています。これを比較するとおもしろいですね。母校ということもあり、母校をまた違った目で見られたことと調査の視点として独特の結果をもたらすのではないかと思います。学校というのはそれぞれ学校文化があります。いわゆる伝統ということですが、それを破ることは危険でもありますが、ある面必要な面があります。いくらカリキュラムが変わっても教える本質は変わりにくい。教師は変わっても、学校という場のエネルギーが強い場合が多々あります。

教師認知を研究する場合、この場(文脈)が重要だと考えています。「教師が変われば学校が変わる」ということが言われますが、それだけでもなさそうです。教師の意識が学校と生徒という環境とともに変わる要因はけっこう複雑です。中学校の場合だとたった一人の生徒が学校を荒れた学校にするということが起こりえます。しかし、それが起こるのは、その生徒がきっかけとなるだけで、元々その要因はいくつかあったことが考えられます。

アンケート調査で「学習のしかたが分からない」という生徒が多かったというのは、たぶん教師は気づいていると思います。問題は、その原因はどこにあるかでしょう。中学や高校や大学でも入学したときにいろいろと悩みます。そのような学習に対するてだては教師が授業をする上では最も大切と言ってもよいでしょう。教師はとかく授業の教え方にこだわります。しかし、生徒が教師を信頼する場合は、単に教え方だけではありません。実は日頃の学び方に対するケアをきちんとしている教師はだいたい生徒から信頼される傾向にあります。問題は、教師が忙しかったりして、それを怠ることです。

 Sくんの教育実習はたいへん充実していたようです。ぜひ教師になって教壇に立ってください。学習の動機付けは大切ですが、現在の高校生の多くの大きな動機付けは受験だったりします。英語を教えるという目標は、私はやはり英語を使えるようになってほしいということだと思います。そのために教師は何をする必要があるのかを考えてほしいと思います。生徒が「学習のしかたが分からない」という実態の裏にある大きな問題を考えてほしいと思います。

以上、いつものとおり。誤字脱字その他ご容赦ください。明らかな間違いは指摘してください。

本日もおもしろかったです。ありがとう。




2013年6月23日日曜日

第2回発表を終えて

発表者が5人はやはりちょっと多かったかもしれませんが、しかたありません。発表者の方はそれぞれたいへん興味深いトピックで面白く聞かせてもらいました。議論する時間があればもっとよかったですが、それはみなさんの思考に任せましょう。私の感想をここに述べておきます。

3 K1くんの教育実習体験

K1くんは、教育実習で実によい体験をしたようです。教師になりたいという気持ちが増したでしょう。いい先生になると思うので、ぜひ先生になってほしいと思います。私が高校の教師になることを決意したのも教育実習でした。

日本の教育実習のしくみは実に曖昧で学校や現場教師の善意によって成り立っています。指導教師となる現場の教師によって、あるいは、学校によって、時期によって、変わります。最悪の経験をすることも人によってはあります。なんとか改善してもらいたいですが、たぶん変わりません。現場の先生方の意欲が支えています。実に日本的です。

K1くんは、何事にもよく準備し考える人のようです。授業も相当に考えて、自分なりの意思決定をして、教えたと思います。学んだことも多いでしょう。限られた期間なので、自分がどのような態度で実習に取り組むかがその後を決めると思います。その点、K1くんは、教えることの方法や内容よりも、生徒ととの関係性に重点を置いたようです。それがある面で成功して、とてもよい結果になったということでしょう。

生徒との授業でのやりとりが次第にうまくいくようになったことや、体育祭での受け持ちクラスでの体験は、決して偶然にそうなったわけではなく、K1くん自身が生徒ととの関係性を重視するといく姿勢が生み出したものでしょう。教師認知的に言うと、この関係性は重要です。特に、日本の学校教育では、多くの教師がそう考えています。学校文化がそうなっています。また、生徒もそれを期待します。K1くんはそれきちんとうまく実習したと思います。

英語を教えることについては、広く使われている指導内容や方法をまねたそうです。目の前の実際の生徒のことをよく考えてそうしたのでしょう。ここにも K1くんの人柄が表れています。自分の教え方の技量を試すということではなく、あえて生徒の事情を考慮したということです。これは教師としての自然な考えでしょう。授業をするということは、一方的ではよい結果を生みません。

最終的なレポートは、K1くんの教育実習の記録とリフレクションで十分です。できれば、感動のストーリーをそのまま物語として綴ってもらうとありがたいですね。

4 K2さんのIB(international baccalaureate)カリキュラムについて

K2さんも教育実習の話題です。K2さんはIBの認定を計画している高校に教育実習に行きました。発表時間が限られているので、実習体験のことはあまり話しませんでしたが、よい体験をしたと思います。自分が高校生のときの印象とは違った目で教職員の人を観察するよい機会だったでしょう。

IB(international baccalaureate)については興味ある人は調べてみてください。おもしろいです。関心のある人はIBの教師の研修を受けてみるとよいでしょう。いずれにしても、文部科学省の政策として進めています。東京都は国際都市ですから、学力向上とグローバル化を目標に、中高のカリキュラムの改善を図っているのでしょう。大変なのは学校現場であり、教師たちです。教師が自分たちで結局工夫しなければいけない状況だと思います。



理念的には、IBはとてもよいプログラムだと個人的には思いますが、導入しようとしている教師の人たちや生徒が負担とならないように配慮したほうがよいでしょう。K2さんの説明だと、学習指導要領にそった内容を1年間で学習し、あと2年でIBの内容を行うということです。ひょっとすると詰め込みになりそうな懸念があります。それでは本来のIBの理念を見失うような危険があります。

IBの目標は次のようになっています。


The International Baccalaureate aims to develop inquiring, knowledgeable and caring young people who help to create a better and more peaceful world through intercultural understanding and respect.
To this end the organization works with schools, governments and international organizations to develop challenging programmes of international education and rigorous assessment.
These programmes encourage students across the world to become active, compassionate and lifelong learners who understand that other people, with their differences, can also be right.

英語力の向上や海外の大学に行くことだけが目標ではありません。しかし、日本でIBを高校から導入するとなると、やはりそれなりの工夫が必要になります。そのあたりは、私にはよく分からないので、K2さんがもう少し探求して調査してもらえるとありがたいです。

5K3くんの教育実習体験

K3くんも教育実習の経験をもとにした話でした。K3くんの教育実習経験の特徴は、英語ではなく、社会という科目での体験でした。K1くんともK2さんとも違う体験です。データとしては、好きな科目と嫌いな科目について提供してくれました。英語は「できる、できない」がはっきりしてくる科目です。特に中学ではその傾向が強くなります。その大きな要因が教師です。科目の好き嫌いは、教師のパーソナリティや人間性などに大きく左右されます。

K3くんの話は、あまり準備されていなかったかもしれませんが、興味深く聞きました。特に、K3 くんの人柄です。生徒にはかなりのインパクトを与えたのではないかと思います。また、教師としての情熱です。K1くんも同様でしたが、教育実習でも生徒との関係を大切にし、生徒一人ひとりとのコミュニケーションを重視しました。たとえば、休み時間にも教室に居て生徒とかかわるという姿勢です。その基本にあるのが、書物にばかり頼るのではなく、まず行動という考え方です。寺山修司が「書を捨てよ町へ出よう」と昔訴えました。一理あると思います。

情熱は人を動かします。教育にはもっとも大切な要素です。私は、K3くんやK1くんのような熱い人が教育の仕事に進んでいくことをありがたいと思います。問題は、その情熱がうまく機能するかどうかでしょう。いままでも多くの教師がそうしてきたし、いまでもそういう教師はたくさんいます。特にこの授業は、言語教師認知を話題にしています。その点からすると、言語教師として教育に対する情熱をどう生徒に向けるかということになります。さしあたっては、英語コミュニケーション能力をどう育成するかになります。K3くんにはそのことについてぜひ研究して考えてほしいと思います。

6 K4 くんの外国語学習について

K4くんは、外国語学習について興味を持ち、中国人の二人の友人を対象として調査した。中国の英語教育と彼らの日本語学習体験について尋ねた。日本で英語学習してきたK4くんはアメリカで短期留学して彼らと知り合ったそうだ。その際に彼らが英語と日本語ができることに興味を持ったのでしょう。質問は二人だけでもよいのですが、もう少し深く質問できるとよいと思いました。中国は大きな国で地域によって相当に違い、一概に把握できません。アメリカに行ったり、日本に来たりできるということはある程度豊かな家庭の人だと思います。

中国の学校で受けた英語教育も二人ともかなり違うようです。日本とある程度似ているかもしれませんが、クラスサイズやカリキュラムや教科書も調べる必要があるでしょう。中国の大学では、話によると(正確には私は知りませんが)、CET (College English Test)という試験があり、その試験に合格する必要があるそうです。英語ができる人もどんどん増えているように聞きますが、英語ができない人もたくさんいるようです。

二人の人は、熱心な日本語学習者でもあり、日本に興味を持っているようです。やはり動機付けということは学習には最も大切なのでしょう。実際に英語を使って何かをしようとか、日本語を使って何かをしようとか、という学習意欲と、それをサポートする教師の役割は重要です。そのあたりについて、K4くん自身の外国語学習経験と比較しながら分析して整理するとおもしろいと思いました。

また、音読活動は重要であるとすると、彼らの音読活動と日本の音読活動に何か違いがあるか、授業活動はどうか、どのような点を教師からほめられるのか、など、比較してみるのも面白いですね。ぜひそのあたりから深く考えてみてください。

中国はたいへん興味深い国です。私も興味を持っています。授業も見ました。カリキュラム調査もしました。教科書も調査しました。スケールが大きいです。少し調べたくらいでは中国は分かりません。中国とは政治的にはあまりうまく行っていませんが、K4くんのように若い人たちが仲良くすることはとてもよいと思います。もっともっと交流して仲良くしましょう。

7 Tくんの英語学習はどう教えられているかについて

Tくんは、学習者の視点から英語がどう教えられているかについて考えました。教師の授業の工夫は、生徒との対話にあると言いました。また、生徒にどのように配慮し、分かりやすく教えているかがカギとなるということらしいです。おそらくそれはほぼ正しいと思いますが、では具体的にどのように生徒と対話し、どのような配慮があり、どのようにすれば分かりやすくなるのか、などということがポイントになるようです。いずれにしても、教師の人間性が重要なファクターとなるが、画一的な人間性を育成しても、教育はうまくいかないかもしれません。

受験、教科書、教師などなど、生徒の英語学習に与える影響は多々あります。教師はそれをオーガナイズするので、おそらく最も重要な役割をせざるを得ないでしょう。Tくんはいろいろと考えていることがあり、教えることには関心を持っているようだ。ぜひ様々なことに関心を持って研究してもらいたいと思う。言語教師認知的な観点から言えば、Tくん自身の教えることの探求による、考え方の変容が興味深い。本を読んだり、人と話したり、授業を見たりすることで、何かが変わるか、あるいは、まったく変わらないか、など、言語教員養成や研修に対するヒントが得られるだろう。

Tくんが調べようとしていることは、少し漠然としていますが、とても大事な点を指摘しています。外国語教育は世界中で重視されている教育です。それも多言語が推進されています。日本の事情だけで考えていると、ガラパゴス化が目に見えてきます。母語が重要なことは世界中どこでもそうです。が、母語は一つとは限らないわけです。日本語か英語かというような論議は不毛な気が個人的にはします。また、英語だけの外国語学習も問題です。受験やテストの点数だけの英語教育も問題です。さらに、教育のすべての責任を教師にばかり押し付けるのも問題です。これらのことをTくんがどう考えるのか期待したいと思います。

5人の方、ありがとうございます。

一つ断っておきます。誤字脱字などについてはご容赦ください。見直さずにざっと感想を述べています。私の誤解もあると思いますが、重大な間違いありましたらご指摘ください。

毎回、楽しく聞かせてもらっていますが、5人だと時間が短くてすみません。発表できない部分はレポートでお願いします。レポートは枚数制限はありません。









2013年6月17日月曜日

第1回発表を終えて

今回は、スピーカーは二人でしたので、余裕を持ってお二人の方が話題にしたことを、みなさんで深めることができました。来週からはそうはいきませんが、できるかぎりみなさんにとって学びの場になるようにしたいと思います。

言語教師認知の研究の目的には、自己の探求があります。みなさんが関心を持つ言語教育の話題と経験はすべてその目的にかないます。お二人の発表の感想をまとめておきます。

1 Yさんのカナダ留学経験ー「言語教育の方法にみる言語認識の差異についてー第2外国語教育」

Yさんの調査は、カナダと日本の外国語教育について比較し、言語の学び方や教え方についての違いを分析しようとしているようです。本日は、そのカナダでの経験をもとにカナダの外国語教育とESLの実際について語ってくれました。やはり実体験に根ざすものはたいへん興味深く、資料などは貴重だと思います。一般化することはむずかしいですが、一般化する必要のない認知を提供しています。

Yさんは、高校時代にカナダのSaskatchewan州に留学したときの経験をもとに、言語教育や言語学習について話してくれました。Yさんは、カナダと日本の言語教育を比較してみたいということです。おもしろい視点です。比較研究はきちんと行うと相当にむずかしい研究となり、エスノグラフィー的に両方の地域の様々な情報を集める必要があります。それは無理ですので、私は、Yさんを通して見た違いの特徴のいくつかを分析することで、おもしろい調査になると考えます。

カナダも大きな国ですから、Saskatchewan州のカソリックの学校のカリキュラムはたぶん一端に過ぎません。カナダ全体を述べることはできません。また、同様に日本もそうです。しかし、Yさんが今回の調査で行う視点は、まず、YさんのSaskatchewan州での学びの体験です。授業で話してくれたことはたいへん興味深かったですね。私はカナダのことはあまり知らないので、話を聞いて興味を持ちました。実際機会があれば行ってみたいと思います。なぜなら、カナダの教育は質がよいと聞いているからです。私が興味を持って調査しているフィンランドは、カナダとの関係が強いようです。共通の興味関心があるし、教育にある面で力を入れているからでしょう。

それに較べると、日本の教育システムは硬直していて、うまく機能していないように思います。しかし、それでも日本はいまだに高い教育水準を維持しています。日本にはある面では世界に誇れる教育伝統がありますが、言語教育についてはどうでしょうか?Yさんの話を聞きながらそんなことを考えました。

言語認識の差異は大きなテーマです。私は単にYさんが感じた言語認識の差異に興味を持ちます。Yさん自身の言語認識はカナダでの経験に根ざすのかそれとも元々備わっていたのかというような観点で分析してはどうかと思いました。それを日本で現在勉強している人の認識と較べてみてはどうでしょうか?

Yさんは、教員にはならないそうですが、教育についてとても真摯ですばらしい理念を持っているように思います。ぜひ教育についてかかわり、活躍してもらいたいと思いました。

2 Nさんの「英語学習における教師と生徒のモチベーションの差異について」

何が英語学習の動機となるのかという課題はたいへん重要です。現在の英語教育でも最もみなさんが関心を持っていることではないでしょうか。言語教師認知の研究も動機付け(motivation)との関連は重要だと考えています。特にNさんがテーマとした教師と生徒の相互作用は重要なテーマです。教師の思いと生徒の思いはたぶん相当に違っていると考えられるからです。教師の意図することが生徒にそのまま伝わると良い結果をもたらすと考えがちですが、実際の授業や学習ではどのようなことが起こっているかは意外に分かっていません。

教師としては、生徒の学習に対する動機付けがうまくできれば、教師としての仕事の大方は達成したと言えます。「なぜ英語を勉強するのか?」という疑問を持つ、あるいは、意欲がない場合、ほぼ学習を成立させる要件がないので、教師が授業をする場合はたいへんです。しかし、何が動機付けとなるのかはケースバイケースでしょう。動機付けの多くの研究がなされています。拙書『言語教師認知の研究』でもその点には触れています。学習が成立する要件は、学習者から見れば、目標、動機付け、自律学習、学習環境、教材、支援、教師など、複雑な要素があります。教師から見れば、授業の目標、カリキュラム、指導法、指導技術、指導知識、授業活動運営、評価などが必要な要素です。

教師の動機付けに対する考えと、生徒の動機付けに対する考え方は、それぞれの立場が違うためにぴったりと一致しないでしょうが、それを整理して分析することはおもしろいと思います。その際、かなり広範囲になるので、ある程度視点を絞る事が大切でしょう。

私個人としては、Nさんの発表の中で、Nさん自身の英語学習に対する履歴と動機付けはたいへん興味深かったです。高校までの英語学習に対する母親のサポートと、それに応えるNさんの関係性は、やはり母親に対する信頼関係がベースにあるのだろうと思いますが、Nさん自身に明確な目標がたぶん早いうちからあったのだと思います。実際はNさん自身にしか分かりません。様々な要因が複雑に作用して英語学習に対する動機付けがなされたのでしょう。そのヒストリーに興味があります。

小学生や中学生が英語学習を進める場合、教師の存在は大きいと思います。Nさんはこれから教育実習に行くそうですから、このテーマにそって教育実習を考えてみるのもよいと思います。忙しいかもしれませんが、教育実習は貴重な経験なのでぜひ有効に過ごしてください。

さて、本日は時間に余裕があり、たくさん議論ができました。次回からはそうはいきませんが、みなさんの発表を期待しています。どうか真摯に取り組んでください。




2013年6月12日水曜日

いよいよ発表です

いよいよ発表です。みなさん、それぞれの発表をよく聞いて、いっしょに考えましょう。

2013年6月1日土曜日

テーマは多言語を考えるでしたが。。

多言語を考えるということがテーマでしたが、それぞれのリサーチの構想を発表してもらって終わってしまいました。

言語教師認知の研究は、言語にかかわる人、特に教師が何をどう考え、どう行動し、どう振り返っているか、を探求することを目的にしています。その探求が、教師であれば、自身の教え方や学び方の改善につながり、教師でなくても、自分が活動しているコミュニティ(法律やビジネスや科学技術など)での言語の役割を考え、その意味から、言語教育全体のあり方への提言ができるだろう、ということに貢献すると考えます。

それぞれの人の視点が多様で、発表やレポートが楽しみです。授業のときにも言いましたが、失敗してもかまわないので、チャレンジしてください。また、大胆な仮説や提言は大歓迎です。

教育実習を経験する人は、まさにフィールドワークの現場にいて、教師の仕事を観察する絶好の機会です。つまり、エスノグラフィーです。

また、教育とはまったく関係のない人も、どの分野でも言語は重要ですから、その視点から様々に調査は可能です。

調査の基本は、自分自身のデータを集めること です。それから、それに関連する文献 を確認し、どのようなことを背景に データを見て、分析すること です。

具体的には、

アンケート
観察
インタビュー
日誌

など。

とりあえず、あまりむずかしく考えないで、取り組んでください。

多言語のことは、時間がなくなって話すことはできませんでしたが、多くの国や地域は多言語多文化です。

人はみな違った複雑な認知システムのもとに行動する

が、私の基本的な思想です。それをもとに、

言語教師は、みな複雑な認知システムのもとに、信念を持ち、考え、知識を積み、学び、教え、振り返る

という前提を立てて、この研究をしています。

そこで、多言語をどう意識するかは、日本の英語教師の立ち位置をある程度決めている可能性があるでしょう。多文化もそうです。

「英語は小学校からしっかり教える」
「まず日本語を教え、思考力を身につけ、それから英語を教える」

どちらも多少の根拠があり、議論の背景により、出てくる結論は別になる可能性があります。私個人は、あまりその議論に参加したくはありません。選択は、学ぶ側にあると考えるからです。

多言語は自然です。おそらく日本もどんどんそうなっていくでしょう。当然、多文化状況となります。

ことばは重要です

それは日本語が重要だという意味ではなく、「ことば」あるいは「言語」です。

CEFRについて多少勉強していただきたいと思います。 また、私は次のような研究をしています。

LSP教員研修

興味のある人は参照してください。

次回は、それぞれの方のリサーチの準備を主とします。時間があれば、これまで考えたことを整理して、言語教師認知を考えましょう。



2013年5月24日金曜日

国語、日本語、英語はすべて言語

暑くなりました。教育実習に行っている人もたいへんでしょう。また、授業がたくさんある人もたいへんでしょう。

それでも、たくさんのことを考え、学び、課題を処理しなければいけません。みなさんの意欲に期待しましょう。

さて、今週は、次のことを考えました。

日本の国語教育の目標は何でしょうか?

小学校学習指導要領1
小学校学習指導要領2
中学校学習指導要領1
中学校学習指導要領2

外国語としての日本語教育の目標は何でしょうか?

JF日本語教育スタンダード

英語教育の目標は何でしょうか?

小学校学習指導要領1
小学校学習指導要領2
中学校学習指導要領1
中学校学習指導要領2

学習指導要領は、学校あるいは教師を対象とした内容です。学習者を対象としていません。何を言っているのかピンとこない人もいるでしょうが、ここには、

「教える」

という考え方が底流にあります。学習指導要領自体がそれを目的にしているわけですからそれ自体が悪い訳ではありません。しかし、学習者の国語や英語を学ぶ目的や目標は一体何なのでしょうか?個人で考えることでしょうか?それとも入試でしょうか?

日本語教育は当然個人を対象にしていますから、JF日本語教育スタンダードは個人の到達度目標を具体的に示しています。それを教師は利用するという考え方です。

高校教育の実態を踏まえて文部科学省は次のような指導事例を紹介しています。

言語活動の充実

授業改善のイメージ

個人的には、よい考え方だと思います。熱心な教師はこのような活動をしているのではないでしょうか?できないとしたら別の理由です。受験システム、クラスサイズ、教師の複合的な仕事内容、施設設備などなど。高校の授業はただ授業を聞いて、ノートを取って、暗記して、試験を受ける、というようなイメージがあるのでしょうか?

それはさておき、国際バカロレア=IB(International Baccalaureate)という言葉を耳にすることが多くなりました。日本の学校も認定を受ける学校が増えています。次の使命に基づいた教育を行う学校です。


The International Baccalaureate aims to develop inquiring, knowledgeable and caring young people who help to create a better and more peaceful world through intercultural understanding and respect.

To this end the organization works with schools, governments and international organizations to develop challenging programmes of international education and rigorous assessment.

These programmes encourage students across the world to become active, compassionate and lifelong learners who understand that other people, with their differences, can also be right.


詳しくは、

The International Baccalaureate® (IB) 

言語の面からすると、実態としては、英語が主要な言語となっていますが、一応多言語を基本としています。

このような教育は、個人的には好きです。が、IBに無理にこだわる必要もないと考えます。

「学び」が中心となる教育

これを目標にすると、言語教育は、国語、英語と分けて考えるよりも、言語という括りで把握することがまず基本ではないでしょうか?

そのようなことを話題として議論したかったのですが、。。。。

次回は、ヨーロッパ言語を中心に多言語を考えましょう。

時間があれば、

The CEFR (Common European Framework of Reference for Languages)

について予習しておいてください。











2013年5月19日日曜日

外国語(英語)はどう学ばれているか


さて、言語教師認知の概略をこれまでざっと見てきました。

外国語(英語)指導法はこれまでたくさん提示されてきました。さらっと指導法や指導技術をおさらいしました。それぞれの指導は、ある面では効果的ですが、絶対的なものはないようです。

歴史的には、

文法訳読法(grammar translation method) 
直接指導法(direct method)

が主流です。

そこに、音声を重視した行動主義に根ざした指導法や認知学習に根ざした指導法や心理学に根ざした指導法など、科学的なアプローチが台頭して様々な言語指導が展開されてきました。現在は、コミュニケーションを重視した指導法(communicative language teaching)が一般的ですが、実践は様々です。言語学が発展し、言語教育や言語学習も、英語を中心として、さかんに研究され実践されるようになりました。

母語の習得や学習、第2言語の習得や学習など多くの研究により、また、言語教育環境も大きく発展してきました。進歩したと言えば進歩したと言えるでしょう。しかし、個人的な言語教育経験と較べた場合はどうでしょうか?

言語指導法の理論と実践
個人の言語学習体験
個人の言語教育体験

などを総合してみると、「言語教師認知」が目指すことが見えてきます。つまり、言語教師認知は、

言語教師は、言語を学び教える上で、何を考え、どのような知識があり、何を信じ、何をどのように教えているのか

を探求するということです。

なぜ、それが必要かというと、いままでの言語教育では、それが見逃されてきたからです。多くの人が気づいていながら、どうしてよいか分からない、複雑な要素としての教師はあまり研究されて来なかったのです。言語教師認知の研究はそこに焦点を当てています。

この言語教師認知のメカニズムがもう少しうまく整理されれば、

教員養成も研修も変わるでしょう。また、言語指導や言語学習も変わります。

さて、6月からはみなさんの探求です。楽しみにしています。

その前にまだ少し考える時間がありますので、次回の授業は、

7.ことばの教え方を調べる(1)国語と英語はどう違うか?

について考えましょう。

みなさんに宿題です。次の3つについて考えておいてください。

日本の国語教育の目標は何でしょうか?
小学校学習指導要領1
小学校学習指導要領2
中学校学習指導要領1
中学校学習指導要領2

外国語としての日本語教育の目標は何でしょうか?
JF日本語教育スタンダード

英語教育の目標は何でしょうか?


2013年5月11日土曜日

ことば(主に英語)はどう教えられているか?2

授業では、多くの質問が出て、まとまりに欠けてしまいました。が、「英語を教える」ということを考えると、それだけ複雑であり、そう簡単に整理できないということです。

みなさんの個人的な体験としての「教える」という意味はひとり一人違います。「学ぶ」もそうです。

「英語を教える」ということは、

語彙、文法、発音などの言語知識
読む、聞く、話す、書くなどのいわゆる言語技能
実際の運用に関わる社会文化の知識とコミュニケーション能力
その他の背景的知識

などを、学習者が「学ぶ」ために、何をどのように工夫して提示するかということです。

「教える」ことを科学的に探求するということは、自然科学の枠組みでは限りがあります。また、心理学でも限りがあります。社会学、教育学、哲学などの枠組みでも、うまく整理できません。結局、「教える」ということは、

教える実践を通して理解する

ということに集約される傾向にあります。

ということは、どう教えられているのかを知らなければ、どう教えるかも分かりません。その際に大切なことは、自分の「教える」体験や観点が大きく自分の教え方に影響を与えているということを認識する必要があります。

先週と今週の2回、私はそのことを、みなさんに考えてほしかったのですが、伝わったかどうかは分かりません。とりあえず何か「腑に落ちる」ことがあれば、互いに共有しましょう。

授業で、社会認知(social cognition)の考えのことを話ました。整理すると、


  ・人は意図的に環境に影響を与える
  ・人は認識を返す
  ・社会的認知は自己とかかわる
  ・社会的刺激は認知の対象となることで変化する
  ・人の特性はそれ自体を考えるのになくてはならない観察不可能な属性である
  ・人は、モノが通常変化するよりも時間や環境とともに変わりやすい
  ・人についての認知の正確さはモノについての正確さよりも確認するのがむずかしい
  ・人は不可避的に複雑である。
  ・社会的認知は自律的に社会的説明とかかわる

ということでした。この考え方を基盤とすると、「教える」ことを考えるときには、一人で考えるよりは、社会的な関係の中で考えるほうがよいと、私は思います。


Lee Shulman (1987)というアメリカの教育学者は、教師が身につける知識について次のようにまとめています。

内容に関する知識(content knowledge)
総合的な教えることに関する知識(general pedagogical knowledge)
教材なども含めたカリキュラムに関する知識(curriculum knowledge)
内容を教えることに関する知識(pedagogical content knowledge)
学習者に関する知識(knowledge of learners)
教育状況に関する知識(knowledge of educational contexts)
教育目的に関する知識(knowledge of educational ends)


指導案はあくまでも案です。実際に何をどう教えるかということが大切です。そのためには、上記の知識について留意して、案を作成し、授業を実践することが大切となります。
案をどのように授業に反映させるかが、言語教師認知のポイントです。教師が何をどう捉えて、何をどう考え、何をどう実践するか、案をかたちにするのは教師の考え次第です。

次回はその「教える」ことの知識を歴史的な経緯から考え、英語はどう学ばれてきたのかを考えましょう。次のウェブサイトを参考に「ことばを教える、学ぶ」ことについてみなさんはどのくらいの知識がありますか?

Glossary for ESL/EFL Teaching

補足:前回見ることができなかったボスニア・ヘルツェゴビナの授業のビデオですが、原因は分かりません。直接のリンクサイトを提示しておきます。

Research Lesson 1

Research Lesson 2

Collaborative Lesson Study Network


2013年5月5日日曜日

ことば(主に英語)はどう教えられているか?1

ことば(主に英語)はどう教えられているか?

様々な話題が出ました。「英語(ことば)はどう教えられているか」という問いに対する答えは、

1 自分の体験
2 本に書いてある知識
3 だれかからの知識か経験

などから導き出されるでしょう。しかし、実態はよく分かっていないのが現状です。

CLT (Communicative Language Teaching)は、1980年代から盛んになり、おそらくほとんどの外国語学習では基本となっている指導法の考え方です。ところが、CLTというのは考え方であり、具体的にこのように教えるということははっきりしません。たとえば、日本の学習指導要領は、コミュニケーション重視です。いわばCLTの考えが基盤にありますが、文法シラバスが根底にあり、機能(function)や意味(notion) をうまく提示できていません。実際、教科書は文法シラバスです。また、語彙制限もかけています。語彙に制限をかけるとどうしても本物のコミュニケーション(authenticity)はないがしろにされます。

多くの小学校の外国語活動や、中学校や高校の英語授業では、教科書(小学校では英語ノート)があり、それに忠実に教えています。1学期は、教科書のレッスンをここまで教え、テスト範囲を定め、テストをして、成績を出す、という展開が日々行われています。高校進学や大学進学という目標があれば、それを目的にして授業展開もなされます。そういう目的がはっきりない場合は、果たして何のために英語を勉強するのか?

授業中の話し合いの中で、たくさんの話題が出ました。私はその話題のどれがよくて、どれば悪いか、という判断はできません。ただ、おもしろいなと思って聞いていました。いろいろな観点があるということです。あっと言う間に時間が過ぎて、発表できなかったグループがあり申し訳有りませんでしたが、文法、読解、ネティブスピーカー、オーラルコミュニケーションなどなど、どれをとっても探求できる話題です。

たとえば、教師がネイティブスピーカーについてどのようなTeacher Cognitionを抱いているのか?「英語だけで授業をされても何を言っているのか分からない」「発音や表現はネイティブスピーカーにが教える」などなど。

また、話を聞いていて、日本で英語を教えられた人には、共通の英語授業に対する思い込みがあるように思いました。たとえば、「文法は日本語でしっかりと他の活動とは別に教えられるべきだ」など。

英語はどう教えられているか

という問いは、あまり考えることはないかもしれませんが、考えることは大切です。

英語の教師になって、あるいは、実際にことばを教えている人は、「どう教えているのか」あるいは「何を教えているのか」について、人と話し合うことで気づくことがあります。それが重要だと思います。

アクション・リサーチ(action research)では、問題解決型の展開で、根本的なことを見失う可能性があります。リフレクション(reflection)は重要だと言われ、授業をした後に反省をすることが推奨されます。しかし、それも短絡的な解決を求めがちです。

「教える」ことは、もっと深く考えることから始めましょう。

次回は、この続きを考えましょう。

英語ネットにある指導案と実際の授業について焦点をあてましょう。

指導案(lesson plan)はどうあるべきか?
指導案に見られる問題点や改善点は何か?
指導案と実際の授業はどう違うか?

などについて考えましょう。



2013年4月26日金曜日

自分はことばをどう学んだか

言語教師認知とは?(本ブログのはじめの再掲)


まず、次の図を見てください。Simon Borg (2006)をもとに、日本の英語教師の認知の構造を表したものです。



言語教師認知の研究

ここで考える言語教師認知の研究のポイントは、

 言語教師の課題解決につながる教師の認知プロセスの探求
 英語教育研究の伝統と歴史の中の言語教師認知
 教員研修の重要なカギとなる言語教師認知

近年、言語教師認知と授業実践との関連性の研究が徐々に注目され、この十数年間徐々に教師の心的プロセスへの注目度が高まり、その関心が浸透するようになってきました。言語教師として必要な力量は何か、言語教師として指導に携わるための知識と技能は何か、それを基盤とした教授力や学習指導力はどのように養成し、育成していくのか、また、その言語教師としての力量と学校教育における教育活動全般にかかわる力量との関連などが取りざたされてきました。しかし、それだけでは言語教師の今日的課題は解決しにくいことが認識されてきたのです。

このような経緯から、

言語教師認知研究とは「言語教師が目標指導言語や授業指導に関してどのような認知のプロセスを持って成長しているか」という探求をめざす。言い換えれば、「言語教師がどう考え、何を知り、何を信じているのか、そして何をしているのか」という認知のプロセスを言語教師認知ということばで表します。

多くの言語教師にとって関心の的は、指導言語の知識と技能に関係することであり、かつ、実際にどう指導するかに関連する知識と技能です。どちらに重点を置くかは状況と教師自身の考え方によります。言語教師を取り巻く研修もこれらのどれかに焦点を当て実施されています。文学、言語学、異文化、4技能の指導、発音、導入の工夫など、知識と技能に関する研修が教師の興味を引くでしょう。言語学や文学や言語教育を専門とする言語教育研修の指導者は、自身の研究の観点から様々な知識と技能を提供してきました。また、学校経営、教育課程、生徒指導などの教育にとって重要な研修内容は、校長経験者、指導主事などの経験者が担当し、行政の方針等に沿って、自身の経験と知識をもとに指導してきました。それに対して、教育学の知見を基盤とした教師の研究は、教師を研究の対象として科学的に分析することに終始する傾向がありました。これらの研究や実践が言語教師のために系統的に提供されてきたでしょうか。

英語教育研究はその長い伝統と歴史を形成してきました。「英学」に始まり、「英文学」と「英語学」という二つの学問的柱を中心として英語教育は研究実践されてきました。その伝統に加えて、応用言語学、第2言語研究などを背景とした理論と実践を導入することにより、カリキュラム、指導法、教材などに注目するようになっています。多くは、日本の学校現場の教師文化や実態とは、やや異なる視点からの内容であり、必ずしも現場に浸透するまでには至っていません。1980年代後半に導入された学習指導要領の「オーラルコミュニケーション」という目標設定とALT(Assistant Language Teacher)とのティームティーチングは、ある意味で英語教育を大きく変える出来事でしたが、期待ほどの効果はあがっていない可能性があります。

このような状況に対して、言語教師認知の研究はある意味で重要なカギとなる可能性があります。日本の小学校や中学校を中心にして行われてきた授業研究(lesson study)の伝統と、リフレクティブ・ティーチング(reflective teaching)(授業内容などを、つねに振り返り、考えることにより、授業を改善し、教師としての資質を向上しようとする研修)を背景とした協同のアクション・リサーチ(collaborative action research)(授業内容を、授業実践しながら、同僚とともに、改善しようとする研究)が、言語教師認知研究に支えられるからです。

ー 笹島・ボーグ(2008)『言語教師認知の研究』より

さて、本題です。「自分はことばをどう学んだか?」という問いです。

授業では、グループで関連の話をしました。話題は様々で興味深いと思ってくれればよいと思います。答えがあるわけではありません。他の人と話し合うことで、何が共通の意識で、何が違うか、に気づくか?また、どうしてそう考えるのか?ということを突き詰めて考えるということが、「省察(reflection)」につながります。

みなさんの議論の中で、私が特に印象に残ったのは、「受験」ということです。言い換えれば、「高校や大学の入学試験を目的とした英語学習」ということでしょう。

英語が話せないのは受験教育のせいだ。
文法訳読は受験には欠かせない。
本当は受験指導などはしたくないけど。。。

このような問題は、「学習指導要領」とはかけ離れています。みなさん気づいているのに、だれも解決できません。

実は、高校入試も大学入試も変わっています。学校の英語教育も少しずつですが変わっています。教師の意識はどうでしょうか?

次の話題は、「ことば(主に英語)はどう教えられているか?」です。

次のサイトにアクセスして指導事例を参照して、この課題について意見を言えるようにしておいてください。

英語ネット

また、自分の興味あるテーマについてのリサーチを少しずつ始めてください。



2013年4月19日金曜日

1. 外国語(英語)を学ぶ/教えるとは?

言語教師認知論という研究に関心を持っていただいてうれしいですね。たくさんの人が来てくれて、きょうは大満足です。それとともに授業もすこし工夫しなくてはいけません。

大事なことは、言語教師認知の研究には確かに枠組みがありますが、この授業はそれに集中するのではなく、どちらかと言えば「学校現場」に焦点を当てて、「英語を教える・学ぶ」を考えましょう。

Language Teacher Cognitionとは

「言語教師が、言語を教える/学ぶにあたって、何を考え、どのような知識があり、どのようなビリーフ(信念)をもっているのか、ということを探求することにより、言語教育を見直し、言語教師自身の成長に寄与しようと意図する」

ということです。

詳しく知りたい人は、『言語教師認知の研究』(笹島・ボーグ, 2009)を購入して読んでください。また、英語版は簡単な説明は次の資料を読んでください。

Introducing Language Teacher Cognition

また、私が代表をしている研究会のサイトです。

JACET言語教師認知研究会

いっしょに暫し学びましょう。

さて、「外国語(英語)を学ぶ/教えるとは?」ということですが、。。。

英語を学ぶ意義は、学習者が英語を学習するにあたり、もっとも大切なことです。しかし、それをどう受け止めているか、あるいは、どう実践しているかは、人によって相当に違います。互いに異なることをまず理解することが大切です。「英語はコミュニケーションのためだ」という意義があったとすると、どのようなコミュニケーションを想定しているのか?

中高の英語教育では、「教科」としての「外国語(英語)」を学ぶという思い込み(assumptions)は、どの程度の共通理解があるのか?「言語(ことば)」として英語を学ぼうということはどういうことか?

これも人によってかなり違います。

不正確に英語を使ってもよいから、まずコミュニケーションだ!
まず基本が大切。発音を正確にしなければコミュニケーションはできない。
文法が分からなければ英語は読めない、書けない。
語彙学習が一番。
私は音読で英語が分かるようになった。だから音読を薦めたい。
学習指導要領にあるとおり、「コミュニケーション能力の基礎を養う」ので、私は、文法、語彙、訳をきちんと教える。それが子供たちの将来に必ず役に立つ。
などなど。

授業では、その他にも多くの話題が出ました。まとめると、

英語を学ぶ目標が受験になっている。もっと大きな目標のもとに英語や外国語は学ぶほうがよい。日本の英語教育の目標は限定的だ。日本の学校教育は画一的で、受験という方向性ができてしまうと、それに従って進んでしまい、結局、「役に立たない英語学習」となってしまう可能性が高い。世界は多言語多文化社会になっているので、もっとそういうことを考えたほうがよい。ヨーロッパは個人主義だ。もっと個人で考えて、行動するほうがよいのではないか?外国語は、「その場そのとき (hear and now)」が最も効果があると思う。もっと英語(あるいは外国語)が話されている状況に入って英語あるいは外国語)を使う機会に接することが大切。

といったものでした。非常に貴重な意見でもどれも正しいし、的を射ていると思います。しかし、大切な点は、これも、人によって受け止め方が異なるということです。

教師認知は、そのような複雑な教師の考え方を理解しようとすることを目的としています。そのことを理解して、英語の教え方や学び方を考えるということです。

コミュニケーションを重視した言語教育(communicative language teaching)(CLT)は主流です。しかし、実はCLTは形がある訳ではありません。Michael Longという人が1988年い提案したFocus on Form という考えは、コミュニケーション活動の中で文法を意識するというものです。ただコミュニケーションをすればよいというのではなく、そこで文法を意識して学ぶということでしょう。

鈴木利彦先生の話題が出ました。鈴木先生は、語用論(pragmatics)を研究している人です。語用論は実際の言語の使用を研究していますから、ある意味で、Focus on Formと似通った活動になります。

まとまりませんが、みなさんとの議論からそんなことを考えました。

次は、「2.自分はことばをどう学んだかについて考える」がテーマです。楽しみにしています。




2013年4月16日火曜日

2013 言語教師認知の授業の概要

2013年度さらに言語教師認知の研究は盛んになっています。
今年からは、英語という言語の教師、つまり、英語教師に焦点を当てましょう。

目標は、二つです。

自分を知る・自己を見つめる
英語はどう教えるか?英語教師はどう教えているのか?

授業シラバスは概ね次のように進みますが、みなさんの興味の向く方向に行きましょう。


1. 外国語(英語)を学ぶ/教えるとは?
2.自分はことばをどう学んだかについて考える
3.ことば(主に英語)はどう教えられているか?(1)
4.ことば(主に英語)はどう教えられているか?(2)
5.ことばはどう学ばれているか?
6.外国語(英語)はどう学ばれているか?
7.ことばの教え方を調べる(1)国語と英語はどう違うか?
8.ことばの教え方を調べる(2)英語とヨーロッパ言語とはどう違うか?
9.ことばの教え方を調べる(3)英語とアジア言語とはどう違うか?
10.ことばの教え方を調べる(3)国語と日本語はどう違うか?
11.ことば(主に英語)の教え方について話しあう(1)
12.ことば(主に英語)の教え方について話しあう(2)
13.言語教師認知を考える(1)
14.言語教師認知を考える(2)
15.まとめ

活動 グループ討論
   リサーチ
   発表(口頭とレポート)


英語教師の考え方/教え方の探求!