2013年7月8日月曜日

第4回発表を終えて

ちょっと暑くてたいへんでしたが、どれも興味深い発表でした。ありがとうございます。

それぞれに感想を書きます。

12  Cさんのフランスと日本の学習者の言語学習に関する認知の調査

Cさんはフランスで教育を受け、日本に来てフランス語を教えながら教育に興味をもって学習している。この授業に興味を持って受講して、いつもとてもよい意見を出してくれてありがたい。素朴な疑問は、人はその社会文化を背景として言語学習をどう考えているかはたぶん違うのではないかということです。教育学の勉強をしているのできちんと統計処理をして調査結果を報告してくれた。

今回は、この授業に関係する調査だったので、人数も少なく限られているが、調査の観点はとても興味深いものでした。結果は、統計的には、フランスと日本の学習者の、教材、教師、環境、情報、に関する認知に差はないということでした。しかし、この調査結果が意味するところは貴重だと思いました。

教育の比較調査は本来かなり精緻にしなければいけないかもしれませんが、Cさんは現在日本にいるので、エスノグラフィーという調査ができるので視点を絞ればとてもよい研究ができると思った。私自身も同じようなことを考えて調査をしているが、けっこうむずかしいし、時間がかかる。長い目で調査するとよいと思う。

結果として、「認知にあまり大きな差はない」ということは、ひょっとすると、言語学習に関する教材、教師、環境、情報などの表面的な部分は普遍性があるということが言えるかもしれません。しかし、直感的には、それではどうも納得できないのではないでしょうか?そこにポイントがあるように思いました。ぜひ、その観点から教師認知の研究を進めていただきたいと思います。

13  O2さんの音読に関する調査

O2さんの学習や研究に対する態度はいつも見習うべきものがあります。ぜひすばらしい研究を続けていただきたいと思います。かくいう私も生涯学習(lifelong learning)をモットーとしています。この授業でもそれぞれの方の発表から学ぶことが多く、これこそ言語教師認知の研究の骨格と思っています。Cさんにも見習うべきことが多いですが、Cさんとはまた違う視点で、O2さんも言語教師認知に関連して、音読の探求をしています。これこそ言語教師認知の探求の目的の一つです。

音読というのは、言語活動の基本的な活動です。授業活動の一つとするかどうかは、教師が決定します。しかし、学習者からするとなんらかの形で行っている活動でしょう。O2さんが言う通り、音読という活動をどのように理解しているかはかなりあいまいです。しかし、それは黙読にも言えます。大きくは、「読み」そのものの活動自体を考える必要が出てきます。脳のしくみからすれば、理解、音韻処理、記憶、入力と出力などなど細かく分析する必要も出てきます。しかし、それとは別に、教師が音読に関してどう考えているのかを調査することは意義があります。

Lortie (1985) は「観察の徒弟制(apprenticeship of observation)」という用語を使い、教師は教えられたように教えることが多いということを述べました。たしかにある面でそうです。人というのは、自分がした経験に基づいて判断している場合が多々あり、机上の知識だけでは行動にはつながらないことが多いように思います。また、音読について知識として持っている考えと実際に授業の際にどう活動するかも、そう簡単に説明できません。授業で行う教師の意思決定の要因はかなり複雑です。「知っていること」「したいこと」「していること」「したことをどう意識しているか」という教師の認知は、音読一つとっても探求の価値があるでしょう。

私がO2さんの話を聞いていて興味をもったのは、インタビューをしているO2さんとインタビューの対象となっている人の認知の微妙な関係です。ただ単に調査しているだけではなく、調査から互いが影響しあっている可能性があるわけです。調査においてはこのような関与はよくないと批判されがちですが、言語教師認知の調査では、そのような調査のあり方も重要ではないかと個人的には考え、追求しています。互いが影響し合うことによって明らかになる面もあると思っています。

音読は、東アジアの教育文化かもしれませんが、まだ解明されていないことも多く、O2さんの調査に期待しています。

14 F2さんのポルトガル語と英語学習

F2さんは自身のポルトガル語学習と英語学習のことを話してくれました。大学に入ってからポルトガル語をマスターできたということは、小学校から英語学習を導入する必要はないのかもしれません。また、いま中高で実施されている英語教育は一体何のなのかということを考えさせられます。貴重な発表でした。

一概に比較はできませんが、言語学習全体を考える必要があるように思いました。文部科学省は、


言語活動の充実に関する指導事例集


を提供しています。趣旨は、

「新しい学習指導要領では,生きる力をはぐくむことを目指し,基礎的・基本的な知識及び技能を習得させ,これらを活用して課題を解決するために必要な思考力,判断力,表現力等をはぐくむとともに,主体的に学習に取り組む態度を養うために,言語活動を充実することとしています。」

です。私はこれにはほぼ賛成です。授業を見ていると教師の一方的な講義がよく見られます。生徒はただ板書を写すだけで、その知識をテストし、評価する、という活動です。もちろん、このような講義も必要ですが、それだけでは不十分です。

私は、 F2さんのポルトガル語学習の話を聞いていて、そのような活動をうまく取り入れたカリキュラムを経験したんだろうと思いました。それとともに、 F2さん自身がポルトガル語学習を通じて主体的な学習を培ったのだろうと思います。英語の学習経験がポルトガル語学習に役立ったことはもちろんですが、言語学習が学び全体に影響したことはまちがいないでしょう。

F2さんが、そのような自分の体験を様々な背景を考慮してこの問題を探求すると貴重な資料となるような気がします。期待しましょう。

15  K5くんのコミュニケーションの意味

K5くんは二人の教師に対するインタビューをもとにコミュニケーションの意味について考えた。いろいろなところで議論されていることで、英語学習の意味と実際の教室活動の複雑さの問題をよく表していると思った。学習指導要領はコミュニケーション能力を育成することを目標としていますが、そのコミュニケーション能力をどう捉えるかでいままで行われてきた活動が結局踏襲され、正当化されてしまいます。K5くんの発表はその重要な問題を扱いました。

日本では、古い形の言語学習や言語指導がいまだに多く残って実施されています。あまり効果的ではなく、面白みのない英語学習がいつまでもはびこる原因は複雑です。日本だけの問題ではなく、多くの国で意外と実は行われている教え方です。語彙や文法や発音や意味を教えることは言語学習の基本ですから、ないがしろにはできません。問題がそれらがコミュニケーション能力にうまく応用されないことです。

この問題は、「英語は日本の多くの人に必要な言語ではない」という理由づけや、「基礎を養えばよい」ということで片付けられます。また、学校の先生の仕事は、英語だけ教えることではないという実態があります。公立の中学校の教師が特にそうかもしれません。高校は多様ですが、中学と同様の状況があります。しかし、調査ではあまり明確にはできませんが、そのような状況の中で英語を教えることが形骸化されている実態がなきにしもあらずです。

インタビューした二人の先生は真摯な教師と思います。実際、ほとんどの英語教師は自分の信念にもとづき熱心に仕事をしています。英語授業で学習指導要領のことはあまり考えないかもしれませんが、英語によるコミュニケーション能力の育成はよく考えて授業をしていると思います。それだけコミュニケーションの捉え方が曖昧であり、目的が不明確なことが一因です。

K5くんの視点は、その面でとても重要です。教師はこのようにだれもが当然と思い込んでいることを日々振り返って考える機会が必要だと思います。日々の忙しさの中で多くの仕事に追われ自分を見失ってしまう危険性があります。ちょっと立ち止まって教師自身が様々な問題を考えるということが、教師認知の一つの目標だと思います。

16 F3さんの小学生の英語学習活動と意識

F3さんは、ボランティア活動で小学生に英語を教えている。こういう活動をしている人にはぜひ教師となってもらいたいと思いました。小学校の英語教育活動は現時点では混沌としています。熱心な活動も多く、それなりの成果をあげていますが、問題も大きく存在します。現在の状況では小学校での英語教育には「反対」という人も根強くいます。そんな中で、F3さんのように地域のニーズに応えて、こつこつと子供たちの興味関心を育てていくのは日本の寺子屋的伝統で、すばらしいと思います。ぜひ無理のないように続けていってくれればと思います。

その活動に参加している子供たちにアンケート調査をしてくれました。ポジティブな意見が多く、活動の効果をよく表しているようです。別の調査では、昔からずっと言われ続けていることですが、中学校1年生の夏休み後、また、高校1年生の夏休み後で、英語学習(だけではないかもしれませんが)に意欲を失う生徒が多い、と言われています。原因の一つは、F3さんも指摘していましたが、急にむずかしくなるということです。たぶんそれだけではなく、日本の学校文化全体で考えないとこの問題は解決がつきません。

F3さんの話を聞きながら、CLILのことを考えました。CLILのことはみなさんあまり知らないと思いますが、CLILの理念は、たぶんF3さんたちの活動に関係します。何事もそうですが、ただ「楽しい」だけでは学習は成立しません。「考える」ことが重要であり、「仲間とともにコミュニケーションする」ことが重要です。その点を重視するのがCLILです。日本ではヨーロッパのようにCLILを実施するわけにはいきません。その点で日本的なCLILを開発する必要があります。

日本の小学校英語活動は、アメリカなどの第2言語習得の考えをもとにしている活動が主流のような気がします。ヨーロッパの複言語主義(Plurilingualism)(1人の人が複数の言語を学ぶ)とは微妙に違います。アジアでは、英語だけが推奨され、早期英語学習が加速しています。日本もそれに巻き込まれざるをえません。そうすることは仕方がありませんが、理念をしっかりと持って、その流れに入ることが重要だと思っています。そのためには教える教師がもっとこの問題を考えることが大切です。その意味で、教師認知はとても重要だと考えています。

以上、乱筆乱文ご容赦ください。今週も期待しましょう。







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