2014年7月28日月曜日

まとめ

まとめ

読ませてもらいました。あえて形式についてはあまり言わないようにしました。そのため、感想文のようなものもありましたが、まとまってはいないが、おもしろいものもありました。たぶんみなさんは忙しいのかな?というのが率直な感想です。

レポートに関しては、やはり中身が問題です。調査をしたか?調査から何か分かったか?その根拠は?「なるほど!」と思わせるか?などです。今後みなさんが書くことになるだろうリサーチ・ペーパーの形式も大事ですが、やはり内容です。発想はよくても内容がなければ意味がないでしょう。

私はこの授業では、やはり「考える」「自己を探求する」ということを重視しようと思っていました。それも答えのないような問題を「考える」、あるいは、複雑な状況にいる「自己を探求する」しながら、教師としての考え方を身につける、多様な状況に「自分の頭で考える」あるいは「自分の問題を他者と共有しながら探求する」ということをしたいと思いました。目的は達成されませんが、私自身、みなさんと過ごした何ヶ月かはたいへん貴重で勉強になりました。ありがとう。

レポートの評価のポイントは、その点からさせてもらいます。成績とみなさん自身の評価は違います。教師となる人、教育に関心のある人はぜひいつでもいっしょに考えましょう。声をかけてください。

以下レポートの感想(順不同)

1英語教育におけるTPR

Total Physical Responseはとてもおもしろいアプローチです。授業ではもっと利用されるべきでしょうね。多くの文献もあり、実践もあります。もっと探求する必要があるでしょう。これを機会にもっと研究してください。英語授業に適宜利用することは効果的です。

2リフレクティブ・ラーニング

ちょっと量が少なく、単なる感想なので説得力はありませんが、「振り返り」は大切です。また、「間を取る」ことも大切です。それはどうしてですか?また、どうやってそれをするのですか?などを論じないと意味がないでしょう。発想はとても好きです。

3外国語授業における教師の役割

レポートしてはとてもよくまとまっていて、文献なども適切にあります。教師は有機的であるべきという結論もよいでしょう。しかし、多くの心ある教師はそうしようとしているような気がします。では、どうして変わらないのでしょうか?それが大切だと思います。

4外国人英語教師からみた日本の生徒

おもしろいと思います。興味がありますね。もっとデータを集めて、焦点をしぼれてきたら、とても貴重な研究になるような気がします。なんとなく根拠のないステレオタイプの考え方があるような気がするし、状況によって違うし、教師と生徒(学生)意識の違いがあるように思います。ぜひ探求してもらいたい。

5英語の早期教育

塾はたくさんあります。ここではある有名な塾に焦点を当てた。ちょっと調査が足りないのが残念です。無理にまとめてますが、もっともっと実態を調査しないとレポートの意味がないかもしれません。着眼点はとてもよかったので、もっと探求する気持ちを。

6外国人留学生・編入生が日本人在学生に与える影響

発想はとてもおもしろいし、自分の興味に適した話題だったと思います。多言語多文化が当たり前の国からすると日本はだいぶ違う環境ですが、これからは変わっていくべきだと思います。その点で、もう少し深く追求して、さらに教師の本音に踏み込むべきでしょう。

7教師と子どもの変容につながる授業観察の観点と教師に対するフィードバック

データがあってとても興味深いです。背景をもっときちんとまとめて、調査対象と方法を明確に整理して示し、結果と考察をきちんとすれば、かなり価値があるように思います。授業というよりも、学習支援指導活動に焦点を当てて、そこでの学びを見るようにするとよいと思いました。

8南米とヨーロッパの英語教育比較

リサーチペーパーの形式を理解し、きちんとまとめるとおもしろいと思いました。データは貴重で、もっと教師と生徒との関係に焦点をしぼり、やはり日本の英語授業の教師と生徒の関係を論じてほしかったですね。なんとなくデータを集めて無理矢理まとめた感じ。

9学習指導要領と現場の声

一所懸命調べた努力は認めたいと思うが、学習指導要領に関する背景はもっと調べないといけません。現場の声は貴重です。自分の考えや考察は、現場の声というデータを根拠にまとめないと説得力がありません。現場の声は貴重なので、それを大切にしてほしい。

10 学校外の英語教師研究

貴重なインタビューデータがありますが、全体的にうまくまとまっていないのが残念。塾などの教師の声はあまりまとまったデータがないので、貴重です。特に、さいごの「教えることに集中できる塾や予備校が過ごしやすい」は興味深く追求したいテーマです。

11英語を使って授業をする

自身の教育実習体験を通じて、英語で授業をすることの意味を考えた。あまり大きく考えずに、自分自身の課題を解決することを考えた点は評価に値します。説得力もある。この授業のテーマに最も合っていると思います。欲を言えば、背景をきちんと考えたい。

12 沖縄の米軍基地と英語演習

かなりおもしろいテーマです。何気なく訪れた場所でふとした疑問を発端として調査が始まり、そこからさらに出会いを通じて、テーマを追求するというのは、教師研究としては重要な探求方法です。まとめるのはむずかしいかもしれないので焦点をしぼって探求するといい形でまとまると思います。

13 これからの英語教師

レポートが感想文のようになったのが残念。アンケート結果は少ないけどけっこうおもしろい。学生が教師に対して持っているイメージは貴重なデータだと思う。その点をもっと分析すべきだった。他者を知って、かつ、自分を知る、ということから教師の研究は始まる。

14 教師は私生活でも模範的であるべきか

これも感想文のようになってしまったのが残念。ぜひ研究者の視点に立って、まとめて欲しかった。というのは、このテーマけっこう大切なテーマで、モデルという視点からすれば、結構文献はある。インタビュー結果は貴重だし、教師としては悩ましい問題で、とても興味深い。

15 観察の徒弟制と教員研修

うまくまとめようとした感じだ。テーマはとてもおもしろいし、文献もよく調べている。形式もきちんとして、この授業では一番求めていたレポートに近い。データは結構おもしろいと思う。分析のしかたとまとめ方が課題だ。養成課程の学生の認知をBALLIでまとめるだけでも貴重なデータだし、インタビューもテーマをしぼって分析することで、何か大切なものが見えるような気がする。ぜひ探求していほしい。

16 高校教師の意識(仮題)

母校の教師にインタビューして、教師の意識を調べてみた。調査の視点がぼんやりとしているので、まとまりに欠けるが、たぶん自分の母校を再度違った視点で見るという点では価値があると思う。しかし、本当に知りたいことは何だったのだろうか?

このブログは私のメモですが、何か疑問に思ったことがあれば連絡ください。どなたか「言語教師認知」の研究を深くやりたい人はぜひお願いします。

では、またどこかで。

第6回発表

第6回発表

Nさんの教師と子どもの変容について

Teach for JapanというNPO団体での活動を背景として、授業観察について話してくれました。「教える」「学ぶ」ということは、様々な状況が考えられるんだと思います。この活動の「教える」「学ぶ」は、いわゆる小中高の教育とはちょっと違うのでしょうが、若い人たちがボランティアで子どもと向き合う活動をしているのは立派だなと思いました。Nさんも熱心に教育を考えているし、授業観察ということを真剣に考えているのが印象的でした。観察(observation)というのは、私が考えている授業研究(lesson study)では最も大切なことだと思っています。見ている人は「私」です。見られている人は「教師」であり「生徒」であり、「教師と生徒の関係性」であり、多様です。Nさんは、観察を通して「変容」ということを考えました。ここでは観察する人と観察される人の省察を通して、気づきを見ようとしています。その際に言語化ということが重要となりますが、私は話を聞いていて、本当にそれで「人は変わるだろうか?」と思いました。これはむずかしい問題だと思っています。人が持っている信条・信念(beliefs)はかなり強固です。そうは簡単に変わりません。また、あまりころころと変わるのもどうかと思います。おそらく「変容」というよりは、自分の信条・信念(beliefs)をもとにして、その状況にうまく合わせるために、どうするかという問題かと考えました。その際に、観察し、観察を通して、互いに省察をくり返し、適応する、ということが、成長につながるのかな、と考えました。Nさんが探求しようとしていることはたいへん面白いと思います。私にもよく分かりませんが、フィードバックをこうしたら、こう変わる、という単純なことではないように思いますが、観察することにより、もっと何かが見えて来るでしょう。これは教師の研究としてはとても大切なことです。

Aさんの教育実習

Aさんは、この授業を聴講として取ってくれました。何か教師になるための準備として役に立っただろうかと危惧します。教育実習の話を率直にしてくれましたので、ここでは教育実習中のA さんの授業を見に行きましたので、それについて感想を一言述べておきます。教育実習というのは短いし、多くの人が充実した経験をするようです。しかし、その経験はかなり多様です。同じような経験をしても決して同じではありません。さて、「3週間で何を学んだのでしょうか?」と自問してみると分かります。授業のやり方、生徒の扱い方、学校のしくみなどなど、それなりの成果はあったはずです。「英語で授業をする」「生徒のことを考える」「文法はやはり大切だ」など、自分の教育観に何か影響を与えたでしょうか?私は、教育実習でいつも思うことは、その人がどういう目的で教育実習に行ったか?どういう教師と出会ったか?どんな生徒と向き合ったか?などで成果はかなり変わると思います。また、教育実習後から実際に教師となるまでがまた大切だと思います。さて、Aさんの授業ですが、私が見たのはCLILと読んでいる授業です。私はCLIL的な考え方を持って英語授業をすることはとても大切だとずっと思っています。AさんのCLILは、英語を何か興味ある内容を扱って、内容に焦点を当てることで、英語を使う活動を、主体的にすることです。英語という言語の知識や技能に明確に焦点を当てるのはではなく、内容に焦点を当てながら、英語という言語と日本語という言語と文化理解を「考える」のです。授業は決して見栄えがよいものではありませんが、生徒はけっこう満足して「学び」ます。Aさんの授業のときも、生徒がそのときの内容に興味を持って「学んで」いました。一番大切なことは、Aさんが「学ぶ」ということです。ぜひこれからも実践してほしいです。

Mさんの教員養成課程について

Mさんは、とてもよく勉強していて、おそらくこのクラスで一番「言語教師認知(language teacher cognition)」を理解している人だと思います。ぜひ興味を持って追求してもらいたいと話を聞いていて思いました。日本の教員養成システムには問題が多いです。みんな分かっているのに変わらないのです。その背景には歴史があります。おそらくこれからも変わらないでしょう。しかし、実際に英語教師となっている若い人はだいぶ昔とは変わっているようにも思うことがあります。そのような人が実際の教育現場に入ったときに、どのように教師としてスタートを切れるかどうかでその後がかなり変わります。養成課程ではSLAなどの研究と教師教育などの理論と実践においては少しずつ内容はよくなっています。問題はその量と質です。圧倒的に少ないし、そのような教育を受けた人が必ず教師になる訳ではありません。また、教員採用試験で、教員養成で求められていることがそのまま反映されている訳でもありません。受験や部活動やその他の学校教育に内在するシステムに抗う事はやはりできないし、それは社会のニーズでもあるので、それに従わない訳にはいきません。非常にむずかしい問題がたくさんあります。しかし、私はMさんが興味を持って探求しようとしていることは大切だとずっと思っています。「教師が考えないかぎり何も変わらない」ということです。英語で授業をするかどうかは表面的なことです。確かに教師は英語を話すことに自信がない人が多いかもしれませんが、そのように思わせてしまう何かがあるのでしょう。私も教員養成にかかわる一人として、Mさんの話には考えさせられます。ぜひいろいろと考えてほしいとつくづく思います。

みなさん、ありがとう。さいごにレポートの感想を次の投稿でしておきます。


2014年7月13日日曜日

第5回発表会

HさんのKUMONなどの英語塾や英会話教室の教師

いろいろと何を調査するのか迷っている様子が分かりました。それっていうのは無駄のような気がしますが、けっこう大切なことです。最終的に行き着いたのが、こどもへの英語教育でした。身近にいたKUMONで教えている人に聞いてみました。質問はあまり深い質問ではありませんが、KUMONを知る意味では重要です。KUMONは世界的にもLiteracy教育で知られています。興味ある人はウェブを見てください。

KUMON

そこに、次のようにKUMON METHODを説明しています。

Learning How to Learn

Kumon is an academic program like no other. Instead of passively receiving instruction from teachers or tutors, Kumon Students actively develop self-learning skills. Here’s how.

Each student progresses at his or her own pace through an individualized program of worksheets carefully planned by the Instructor.
Students do daily assignments that take about 30 minutes per subject— in two sessions a week at the Kumon Center, and the other five at home.
Step by logical step, students steadily build a solid grasp of math and reading, and become more confident and motivated with each worksheet solved.

「学び方を学ぶ」ということです。

教師の役割については

The Kumon Instructor

The Kumon Instructor guides, assesses and encourages your child every step of the way. The Instructor is also there to support you as well – providing open communication throughout your Kumon experience.

教師の役割は、案内、評価、励まし、です。

調査のポイントは、英語でそれがどのようにできるのかということでしょうね。問題もあるでしょう。

さらに、他の塾や英会話を調べてみるということですが、私は、KUMONだけにしぼってもっと深く考えてみるのがよいと思いました。いずれにしても、うまくまとめようとせずに、実態を的確に理解することがよいと思います。

調査内容はおもしろいので期待します。

Nさんの母校の教育と外国から留学生などの影響

私は、N さんの母校の教育に興味を持ちました。日本の教育も様々な取り組みをしているんだなと感じました。英語圏へ行ってそこで教育を経験する、外国から留学生や英語が堪能な編入生などを受け入れ、生徒の学習環境を活性化しようとかなり努力していて、いい学校だと思いました。

Nさんの母校だけではなく、他の人たちが卒業した学校などの話を聞くと、各学校とも様々に努力してよい教育をしているということが分かります。また、学校によってけっこう違うということが分かるのですが、大学受験や部活動などに関する目的は共通しているかもしれません。もっと多様な進路や活動があってもよいかもしれません。

Nさんは母校の先生にインタビューしました。とても熱心なよい先生だと思います。教育は先生あって成り立つものですが、先生があまり前面に出ないほうが学校は活性化するように思います。Nさんの母校はたぶん教師と生徒の関係が近く、互いに信頼が厚いのかなと思いました。

さて、それはそれとして、調査の方ですが、先生にもっと深くいろいろと質問できればおもしろいと思いました。外国人留学生を受け入れる際の苦労、もっとこうしたいなどの展望、外国人生徒との日本の生徒との交流、英語教育への効果、他教科を英語で教えるなどの可能性、大学受験との関連性、中高一貫の課題など、本音が聞けるとよいと思います。

それが無理であれば、Nさんは卒業生ですから、Nさんの経験をもとにした留学生の意義、留学の意味などを再度考えてみてはどうでしょう。あるいは友人に聞いてみてはどうでしょうか。

あまりきれいにまとめようとせず、外国からの留学生についての教師の意図と実際の生徒から見たその意義を考察してみてはどうでしょうか?私はその点をもっと知りたいと思います。

Yくんの教師の役割

Yくんの発表はとても上手で、まとまりを持っていました。背景もきちんと理解し、リサーチ方法の観点もよくできています。うまくまとめられると思います。

教師の役割というのは、結論がありそうでないかもしれません。多様な結論があるでしょうね。歴史的、社会的、経済的、文化的などを考慮すると大きなテーマです。教師の定義がかなり幅が広いし、英語教師という括りもかなり広いからです。


この授業は一応、中高の教員養成課程に関係する内容と関連するので、その点から英語教師を考えると、次の法的な定義をベースに考える必要があります。

ーーーーーーーーーー
法律に定める学校の教員は、全体の奉仕者であつて、自己の使命を自覚し、その職責の遂行に努めなければならない。(教育基本法)

教育公務員は、その職責を遂行するために、絶えず研究と修養に努めなければならない。(教育公務員特例法)
ーーーーーーーーーー

Yくんが言う「教師は学び続けなければならない」というのはその通りであり、それだからこそ教師は面白い仕事だとなります。また、教師は「全体の奉仕者」とされるので、生徒の学習などの支援をし学習意欲を喚起することが大切となります。

大学進学率のデータなども示し、教師を大きく捉えていますが、私個人としては、このような発表を受けて、教育実習での実際教師体験を重ねることにより、中学や高校での英語教師の役割とその問題点などを論じてはどうかと思います。果たして教師は学び続けることができるのか?あるいは、何をどう学ぶのか?など。

この授業は、当初言いましたが、teacher research(教師によるリサーチ)をテーマとしています。教師は考えること、探求すること、省察することなどを通して、自身の力量を高め、よりよい授業をしていくことが大切です。そのためにはどうしたらよいのかを、Yくんの考えで述べてもらうとおもしろいと思いました。

以上、来週、発表する人も含めて、間違いを恐れず、小さくレポートをまとめようとせず、結論はなくてもけっこうですから、大胆な観点を一応のデータなりを示すことで論じてください。テーマはとてもおもしろいものばかりなので期待しています。





2014年7月6日日曜日

第4回発表会

発表者が多く、議論ができなくてすみません。4つの発表はとてもおもしろい素材が一杯です。私の感想と意見を殴り書きですが書いておきます。参考にしてください。

Hさんの「オールイングリッシュ」の現場実態

Hさんは自身の教育実習の経験を通して、「授業を英語を使って教える(English Medium Instruction: EMI)」について考えたことを話してくれました。実際に教育実習中に出会った先生、以前から知っている先生などに話を聞きました。

「オールイングリッシュ」というのは、たぶん通じるのだと思いますが、私は英語でコミュニケーションしているときにあまり聞いたことがありません。でも、世界のどこでも外国語を教える教師は工夫していることです。

Native Speakerからすると、日本語が話せる人もけっこう悩むことです。人によっては、日本語を使って教えると日本語で授業をしてしまうそうです。また、英語が堪能でも授業では英語をコミュニケーションの道具としては絶対に使わないという信念を持っている人もいます。

私は、最近いろいろあってよいのではないかと思っています。というのは、英語の教師になろうとする人や若い英語の先生は、英語をコミュニケーションの道具として話すことには以前よりもはるかに多くなっていると思います。翻訳や文法の知識という点では劣る人もいるかもしれませんが、余分な知識はかえって学習者には迷惑です。変なうんちくを語ってお茶を濁す授業は面白い面もありますが、学習者からすれば目的が違うのではないかと思います。

結論的に、Hさんが述べたことは正しいと思います。しかし、安易に結論づけられる問題ではないので、教師となるにしてもならないにしても、英語という言語と日本語、さらにはその他の言語については注意しながら考えていくことは重要だと思います。

Sさんの教育学部の学生から見た教師

当初調査したいことと実際にアンケートしたことが多少噛み合ない点がありましたが、調査の視点は面白いと思いました。また、質問項目が可能性のある興味深い内容でした。もっと時間があるときっといい調査結果が出ると思います。

教育学部の学生さんがどのようなカリキュラムで学習しているのかは、私は知りません。背景知識でその点に触れてもらえるとありがたいですね。日本の教育学は、教師を養成する目的ではありません。この点は他の国と微妙に違います。その伝統の中で教育を受けた人が学校の英語教師をどう考えるのかは、たとえば、教育学の先生が、英語教育をどう考えているのかなどと関連するのかもしれません。

私は、言語教師というのは、言語を教える教師としての専門性を持った方がいいと思っています。広く「人格形成」などと考える、言語学習の本質が変わると思うからです。「人間形成」という観点から考えると、たぶん「教育」「学び」「学校文化」という少し大きなな枠組みを学校教育を考える必要が出てきます。しかし、言語という視点から英語教育を見ると、英語と日本語、英語を使って何かをする、英語とその他の外国語、英語と文化などと、アプローチの仕方が変わるはずです。

日本はちょっと複雑で、教師がかわいそうです。その意味から、Sさんの調査はおもしろいと思います。あまりまとめようと思わず、好きなことを、自分が考える日本の英語教師というものを、アンケート結果と併せて論じてはどうでしょうか?

Oさんの思考する英語授業

おもしろい考え方です。私はOさんに賛成です。人は何をするにも基本は「思考」です。思考することがなければ何も面白くないでしょう。英語教育はその点でかなり批判を受けてきました。逆に言うと、それがために「英語で英語の授業をする」あるいは「コミュニケーション能力を育成する」などがないがしろにされ、文法訳読が廃れないのです。

文学や言語を考えることは、英語教育ではかなり探求されてきました。かなり深く研究されたとも言えます。その意味では、これまでの英語教育は「思考」を形成する上では貢献したかもしれません。いまでも、進学校や予備校などで単に受験問題を得だけの授業は、決して人気がある訳ではありません。何かを考えさせてくれる授業の方が学習者には好まれる傾向があります。

しかし、広くあちらこちらを見ると、それでは日本の中だけで完結してしまう。鎖国状態あるいは翻訳社会状態、あるいは漢文学習状態で、多少問題があります。もっと多くの人がとりあえず英語を通して交流したりできる必要はやはりあると思います。

Oさんの「間を作る授業」とN先生の「間を埋める授業」は対立するものではないと思いますが、目標は同じなので、それを深く考えてみる価値は多いにあります。

さて、reflective learning (teaching) に関してですが、「振り返り」ということでさかんに取り入れられるようになっています。しかし、そんなに簡単なことでしょうか?というのが、私の素朴な疑問です。教師が授業の終わりで、「今日の授業の〜〜〜について振り返りましょう」ということで、学習者は成長するでしょうか?Oさんが言う「思考する授業」「間を作る授業」は、たぶんcritical thinkingにつながると思いますが、言うは易し、行うは難しという気がします。

でも、私はOさんの目指すところは分かるような気がします。それほどうまく行かないと思いますが、様々に「思考」や「哲学」をもっと重要なことと考えることは、たかが英語でも必要だと考えます。

Kさんの母校の国際科と普通科

高校も多様化して、一概に高校教育を定型化して論ずることはむずかしくなったなと感じました。つまり、大学に来るまでの学習者の英語学習経験は多様になっている可能性があると感じました。この大学はどちらかと言えばインターナショナルな大学教育で、多様な学生が多くいます。私は実態はよく知りませんが、私が本務として務めている大学とは文化も目標も違います。

国際あるいはグローバルということばは流行のように使われます。果たしてどういう意味で使われているのでしょうか?その点で、母校の国際科と普通科の違いを教師の視点を通して考えてみようという意図はたいへん面白いと思いました。しかし、発表のときも指摘しましたが、話を聞いた先生がかなり公式的な発言をしているように思いました。それは当然ですが仕方のないことです。それはそれとして貴重なインタビューです。

しかし、問題を多角的に捉えるために、生徒の視点、Kさんの視点、他の教師の視点、地域の視点などが加味できれば、母校をより明確に捉えることができ、国際科と普通科、学校と塾などの役割などが理解できるでしょう。

私が個人的に興味を持つことは、インタビューした先生が熱心な先生なので、もっともっと先生が現在抱えている課題や問題などに踏み込むことができれば面白いと思いました。おそらく、かなり忙しい状態で働いていると思います。その原動力は何かなど、探求できれば、おもしろい。

いずれにしても、調査の視点は明確にする必要があると思いました。

忙しい発表で申し訳ない。



2014年6月29日日曜日

第3回発表会

Mさんの各国の英語学習状況調査

Mさんがアメリカでいっしょに英語を学んだ友人へ、social networksを通じて連絡をとり、それぞれの国の英語教育事情、学校教育、教師などについて、質問した。このような調査は、アンケート調査ですが、調査対象者が親しい人で、どのような人かも分かるので、率直に聞きやすいし、本音も言ってくれるだろう。1回だけではなく、一度回答してもらった質問にさらに知りたいことを追加することも容易だろう。おもしろい調査である。

発表はとりあえず、9カ国の友人に連絡を取った結果です。まだ一通りの質問と回答についての概要で、調査のポイントがどこにあるのかがまだ定まっていないのですが、面白い回答がたくさんあったと思います。主に、南米とヨーロッパとアジアという地域に分けられる調査です。それぞれの地域の教育的背景を把握するのはけっこうたいへんですが、この機会に知ることは大切で、貴重ですから、ある程度調査してみましょう。しかし、大きく調査するよりも、Mさんの調査は、アメリカのある地域である目的のために集まった人の調査です。それぞれの背景が違うのに、同じ環境で学んだという共通項があります。その点に焦点を当てるとよいと思います。

私が興味を持ったことは、特に英語教育や英語を教える教師です。意外に共通意識を持っている可能性があると思いました。それがNative Speaker教師への意識です。調査によれば、多くの人がNative Speakerから教わりたいと思っているようです。なぜそう思うのかということが知りたい。私が思うには、実際はアメリカにいても英語を使う際は留学生同士のコミュニケーションの場面です。その中で英語力や文化力を身につけていると思います。もちろん留学してそこで生活することから多くのことを学ぶでしょう。

それとともに、Mさん自身の体験も重ねることができます。この授業は教師の研究に焦点を当てているので、それぞれの人が抱く英語学習と英語授業とそれにかかわる教師に焦点を当てて、アンケートの回答を分析するとよいと思います。

ただ、これは私の興味ですから、Mさんの興味ではありません。MさんはMさん自身のために探求することが大切です。

Iさんの教師への聞き取り(インタビュー)調査 ー「模範的」ということに関する意識

Iさんは母校の先生にインタビューしました。いろいろと多くの質問をして、たぶんおもしろい話をしたのだと思います。このような聞き取り調査は、Mさんとはちょっと違いますが、面と向かって直接聞くということは多くのことを学びます。教師という仕事の一端が分かるでしょう。それもIさんの興味で質問していることが重要です。

Iさんの興味は、「教師は模範的ある必要がある」という前提にあるようです。確かに、教師はただ英語だけを教えるわけではありません。いろいろな仕事があり、ある程度模範的である必要があります。これについては私はたいへん興味がありますが、ここではやめておきます。Iさんも指摘していたように、「模範的」という意味が大切です。定義を定めるのはむずかしいですが、それぞれの教師が「模範的」という意味を実践の場でどう理解しているかが重要です。

模範というは、教師としてというよりも、「一般の市民、大人として」、ということですが、これも「一般の市民、大人として」ということの意味の受け取り方の問題があります。英語教師という枠組みでは、英語教師としての「一般の市民、大人として」というのはどういうことか?これはおそらく人により違います。話を聞いていて、この点に焦点をしぼると面白いと個人的には思いました。ただ調査対象者が少ないという点からすると、違うアプローチがあるでしょう。

この調査では、徹底的に一人の教師に焦点を当ててみるとよいと思います。対象とした先生が熱心な先生ということなので、その熱心さを支える信条・信念をもう少し探求し、それからさらに「模範的」という意味を深く聞いてみてもよいでしょう。教師の仕事は複雑です。「模範」として生徒に示す要素を様々です。たとえば、「英語を話す」ということをとっても、どのように模範となるべきかは少しずつ人により違います、しかし、その中に特徴的なことが見えるはずです。そこにIさん自身の考察を、背景的知識から加えていく、というようなまとめ方もあります。ただ、結論を急がずに、「模範的」という意味を考える機会としてみることは重要です。

Hさんの高校英語教育と英語教師

学習指導要領やこれまでの英語教育の変遷など、よく勉強していると思います。テーマがとても大きいので、この授業の中ではまとめきれないでしょう。しかし、経験豊かな高校の英語教師を調査することはたいへん興味深いことです。それも、Iさんと同じで、かなり突っ込んでいろいろな質問ができそうだということと、調査対象者の背景が分かっているということが、調査しやすいということにつながるでしょう。

高校の英語授業も多様です。一口に高校の英語教育を語ることは、教師研究という観点からは、かなり長くかかる重たいテーマで、そう簡単には行きません。それよりも、ごく一部の教師でもよいから、本音やその人たちの信条・信念・ビリーフ(考え方)を、このような実際に教える問題と関連させて、その変遷・経緯を詳しく探求すると、日本の英語教師の現実が見えてくるように思います。

たとえば、「英語の授業を英語でする」ということが、なぜうまくいかないのか、あるいは、本当にうまくいっていないのか、あるいは、実態はどうなっているのか、などを、個人のレベルから理解することで、何かが見えるかもしれません。本などの知識では、ある程度の傾向が言われています。調査統計データもあります。また、様々に意見があります。しかし、実態はだれも知らないのが、教育の分野です。

教師研究は、教師がする研究で、自分が研究することで自分が成長すること、と私は定義しています。そのためには、Hさん自身のためになることが重要です。今日の発表では、Hさんが知りたいことが、かなり入っていました。しかし、それをすべてこの授業の中ではできません。何かに焦点をしぼりましょう。

私が思うには、インタビューした経験豊かな教師のヒストリーを英語教育政策などと重ねあわせてまとめることです。何か結論を出す必要はありません。

だらだらと、私の個人的な意見を書きました。しかし、それは単に私の意見です。それに従う必要はありません。みなさん自身が知りたいことを、またみなさん自身が考えたいことを追求しましょう。誤字脱字はごめんなさい。

2014年6月22日日曜日

第2回発表会

Hさんの発表 学校外英語教育

タイトルが大きく、かなり広い範囲をカバーするトピックですが、あまり英語教育の中では話題にならない領域です。が、学校外の英語教育は、英会話や進学のための塾や予備校のことで、Hさんが調査したいのは、そのような場所で教える英語教師ということだと思います。いわゆる公教育としての小学校から高校までの学習指導要領に則った教育課程のもとで提供されている英語教育は、それに携わる教育職員免許状を持った教師によって行われます。それに対比した英語教育に携わる教師を調査しようという趣旨です。

私はとてもおもしろいと思います。まずは、ベースになる実態がどうなっているかということになると、かなり複雑で、すべてをカバーすることはできないでしょう。この調査委では、ポイントをしぼることが大切です。

3人の人を対象に調査すると言っていました。私はそれで十分だと思います。ポイントは、

基礎調査

1)その人が関わっている状況(塾ならどういう塾か?その業界の現状など)を確認
2)その人の背景(どのような経歴で現在の仕事に携わっているのか?など)の確認
3)現状どのような英語教育を行っているのか確認
4)公教育とのかかわりの確認
5)英語教育に対する信条・信念
6)その他(性別、年齢、教育、海外経験など)

Hさんが知りたいこと

・・・・

聞いていて、私が知りたいことをいくつか書きます。参考にしてください。

英会話教室などの先生や私塾の先生などは、仕事でやっている人もいますが、かなり強い考え方を持って指導に携わっている人もいます。日本の息苦しい学校教育が嫌いで、あったり、何か嫌な体験をしたり、あるいは、海外での実体験から独自の教育をしたいなどという人もいます。そのような本音が聞けるとおもしろいと思います。

また、Hさんの塾体験を通じて考えていたことと、現実に塾や予備校で教えている先生の考えを、較べてみるのもおもしろいと思います。Hさんが持っている公教育の印象と塾で学んだ事などを率直にぶつけてみて、それぞれの先生がそれについてどう考えるかなどです。

あるいは、いま日本で進められているグローバル教育などの国に方針など、海外などで行われている教育など、広い意味で、どのような教育理念を持っているのか、などもおもしろそうです。

インタビューできるそれぞれの先生の考え方を視点を決めて調査すると、調査結果の意義を大きいでしょう。それとともに、自分自身の英語教育や学校外での英語教育についての考え方の参考にできることが大切です。つまり、自分の問題を解決できるようにそれぞれの先生と話しましょう。よい結果が出ると思います。

様々なこの調査の背景ですが、インターネット上にはかなり多くの塾教師のブログなどがあります。それも参考にするとよいでしょう。

Sさんの「外国人英語教師から見た日本の生徒」

おもしろい観点です。なんとなく「こんなふうに考えているのではないだろうか?」というような考えはあります。たとえば、Sさんも言っていたとおり、「日本の学習者はきちんと教室では静かに先生の話を聞いている(あるいはふりをしている)が、おしゃべりをする」「意見を言わない」「一人で行動するのではなく、まわりを見ながら行動する」などなど。

でも、たしかに、これについてまとまった文献というのは私はあまり知りません。おそらく教育学の方では、英語教育にかぎらずなんらかのかたちで、あると思います。英語教育(English as a Foreign Langauge)の中でも、Native speakerが書いた日本人学習者の研究のような論文を探すとかなりあるような気がします。

たとえば

Analysis of a Japanese Learner of English

Why are Japanese so bad at English?


しかし、これも文法や発音などの学習と関連するようなものが多く、教室文化や学習態度や学習行動を話題としたものは、あまり見つかりません。その意味からすると、ひょっとすると、それほど研究されていない領域かもしれません。

考えてみると、日本でも海外でも多くのNative speakerが日本人学習者に英語を教えています。日本でもJETプログラムが始まって、30年程度経ちます。かなり多くの人が、かなり異なる状況で英語教育に携わっています。多くの人がなんとなく受け止めていることが、あまり根拠のないことかもしれません。

言語教師認知の研究の観点からすると、Native speakerの考え方とnon-Native speakerの考え方は、信条・信念(beliefs)、教え方に関する知識(knowledge)、ある教育環境での思い込み(assumption)、そしてその際の実際の行動(behaviors)などは、やはり多少違うのではないかと思われます。しかし、その実態は分かりません。

Sさんは、まず、身近なNative speakerの先生に聞いてみました。その回答をベースに、もう少し詳しく聞いてみるとよいと思いました。また、他のNative speakerの人にも聞いて、さらに深く聞くとよいでしょう。その際に、その先生がふだんどのように教えているのか、ということと、実際にどう教えているのかを見ることが大切です。

Sさんの話を聞いていて、日本で教えているNative speakerと言われている先生にアンケート調査ができたらよいと思いました。大学から幼稚園までいろいろなところで教えているNative speakerの人に、どのようなバックグラウンドがあり、なぜ日本で教えているのか、日本の学習者についてどのような印象を持ち、何がよい点で、何が悪い点で、改善が必要な点は何か、あるいは、どのように教えているときに工夫しているか、さらには、日本の文化教育システムの問題点や課題などを、インタビュー調査の中から抽出して、統計処理ができるようにアンケート項目を作成して、各領域で50人程度集められればかなり立派な調査になると思います。

他にも方法はありますが、とりあえず、私は彼らがどのように日本人英語学習者と教育文化を捉えているのか知りたいと考えました。

今回は、できるかぎり、聞ける人から話を聞いて、その聞いたことから、research questionsができれば十分だろうと思います。そのためにはどのような文献があるのかを調べられるだけ調べてみましょう。

来週からはあまり時間がないかもしれないので、いろいろと話ができないかもしれませんが、HさんもSさんもおもしろいテーマだと思います。教師のことを知ることは、自分を知ることでもあり、学習者や教育や社会を知ることにつながります。一つの社会調査ですが、どのような社会に言っても役立つ知見が得られるでしょう。

また期待したいと思います。

あたふたと忙しく、文章を見直す暇がありません。誤字脱字などご容赦ください。







2014年6月17日火曜日

Kさんの沖縄の米軍基地と英語学習

Kさんは、沖縄が好きで何度も足を運んでいる内に、ちょっとしたきっかけで英語教育に興味を持ったということです。元々の興味は、多文化ということがテーマのようですが、この授業と関連させて、「英語教師」という視点で沖縄の英語学習と文化を見たということでしょう。

Kさんの物事を探求しようという姿勢は見習うべきものがあります。思い立ったらすぐに行動するというのは、なかなかできることではない。私も沖縄は好きな場所で、機会があれば学校を訪れたいと思うことが多々あったが、ついつい食べるほうに向いてしまいました。

「沖縄はアメリカに近い」という思い込みが、多くの人にあるのかもしれなません。それも歴史的には複雑な問題を抱えた近さです。台湾やシンガポールや香港やアジアの多くの地域と、沖縄をいっしょにすることは無茶かもしれませんが、沖縄はその戦争の被害のどこかに位置していて、いまだに文化的にも少し異質な要素を持っていると考えてもおかしくはないでしょう。沖縄の米軍基地の問題は、多くの人にとっては、「外の」問題となり、「外の」人は自分の問題としてはやはり考えられないので、意見を差し挟むのはやめる傾向にあります。

では、英語学習との関連から、この状況をどう見るかという視点は、興味深いです。それも英語教師がどう見ているのかという課題設定は、私としてはおもしろいと考えます。

基地が近くにあり、多くのアメリカ人がそこにいて、教育的には多少交流する機会が多い可能性があるという状況は、動機付けには肯定的に働くと思います。しかし、そこに、「地位協定(the Status of Forces Agreement)」というアメリカ優先の力が存在し、それに地元の人は苦々しい思いを持って生活してきました。仕事という恩恵があることも多く、生活する上では欠かせない状況です。

英語学習という面から、Kさんは、基地の影響を考えました。そこで、学校を訪ね、英語教師にインタビューしてみました。得られたものは現時点では少ないかもしれませんが、Kさんの思い込みと英語教師の反応が微妙に違い、かつ、さらに疑問が湧くという点が、このようなエスノグラフィー調査の醍醐味です。結論はすぐには得られないかもしれませんが、このような調査は、そのプロセスと自分自身の思考がとても大切です。早急に結論を出さず、分からない事は分からないとして、事実を積み重ねることが大切です。

私は、リサーチクエスチョンに設定した疑問を、可能なかぎり多くの人に聞くことから、かなり多くのことが分かるように思います。英語学習と基地は表面的には多くの面で関連がなさそうに見えますが、深い部分では関係していると思っています。人間の「こころ」は複雑ですから、「基地があって、仕事があって、問題があって、。。。」という環境の中で英語を学ぶ、あるいは、英語を教えるということは、他の地域の英語学習とはおそらく違うでしょう。表面的には、学習指導要領や受験などの目標で設定される英語学習とそれに従う英語教師の仕事は、ほぼ同じように見えますが、実はかなり違うと思います。これは、何も沖縄に限ることなく、日本全国の各学校やそれを取り巻く文化で異なります。

英語教師の「こころ」は複雑です。それを理解することは成長につながります。英語自体は言語であり、多くの人には「道具」です。しかし、英語の背景にある文化や思想や知識は、日本語や他の言語とは異なります。英語教師はそのようなことを理解しておく必要があると考えています。授業でも述べた通り、英語教師は「外国語教師」です。さらには、「言語教師」です。だからおもしろい仕事だと思います。

文化と言語は切っても切れない関係にあります。その点から「文化」ということを考えると、次の資料が参考になるかもしれません。

multi-                             多文化
pluri-    culture     複文化
inter-        文化間

Culture in language teaching

次回からはこんなに時間がかけられないので残念ですが、さらに楽しい発表を期待しましょう。

2014年6月12日木曜日

OさんのTotal Physical Responseについて

1 OさんのTotal Physical Responseについて

Total Physical Response はかなり知られた指導法の一つです。早期の外国語教育には効果的とされています。また、TPRは、1960年代に行動主義的な言語学習から認知的な言語学習へと揺れ動く言語学習指導法が注目を集めた頃に発表された指導法の一つです。その他の指導法と同様にある信奉者がいて、現在も熱心に追求されている方法です。

Oさんは、それを自身が経験していて取りあげて発表してくれました。自分を基準として指導法を考えることは、英語教師の研究としては重要な視点でよいと思います。注意しなければ行けない点は、このような調査探求をする場合、文献をある程度きちんと確認する必要があることです。

Total Physical Responseはインターネットでも紹介されているので、比較的調べやすいと思います。批判もされますが、ある程度の効果は示すので、部分的にうまく活用すると、小学校や中学校の英語授業ではうまくいきます。Total Physical Responseという指導法だけを追求するのではなく、いろいろな指導の一部で必要に応じて、「身体を使って英語を理解する」と考えれば、学習者の学習はかなり容易に進むはずです。

英語教師の研究という観点からTotal Physical Responseを考えると、教師が英語学習の際に、このような指導をどう考えているかには興味があります。つまり、教師にはいろいろなタイプがいるので、生徒といっしょに歌を歌ったり、身体を使ってする活動が好きな人とそうではない人がいると思います。

みなさんの中でも、実際に英語を教えるということを真剣に考えている人、教育実習を経験する(した)人、教育実習でも中学でする人と高校でする人などなど。背景が異なる人がこの指導を実際にどのように利用して授業をするかは、とても興味があります。

Look at me. I will show you some gestures. Please guess what I do.

などとして、何かしぐさをして、たとえば、バナナを食べるなど、生徒に当てさせる。

What food am I eating?       -- A banana.

あるいは、

I am doing something. Please see me and do as I do. Are you okay?  --- Okay.

I am walking.
I am jumping.
I am sitting on a chair.
I am singing.
I am sleeping.
....

など。
どう思いますか?口で説明したほうが早いでしょうか?

Oさんの話にみなさんから様々な反応がありました。人の発表を聞いて、ただ聞いただけでは、それでおしまいになるかもしれません。それに反応することで、

「おもいがけない発見がある」

これがこの授業のポイントです。みなさんは、何も疑問を持たなければ、何も学ばないでしょう。何か疑問を持てば、何か発見するはずです。発見すれば、探求したくなるはずです。

また、期待しましょう。









2014年5月22日木曜日

英語はどう学ばれているか?

いつもあちらこちらと話が飛んでしまい、まとまりがつきません。すみません。

英語を教える、学ぶ、というのは簡単なようでむずかしいし、けっこう複雑です。

人はみなさん違います

つまり

教師もみな違います
生徒もみな違います

人は同じモノを見ても、認識は違います。次の英文を読んで何を思い浮かべますか?

A sharp whistle goes across the green valley.


おそらく、この口笛を言語と考える人はあまりいないでしょう。

The FIFA World Cup in 2014 is going to be held in Brazil! 

これはほぼ同じ認識をするでしょうが、考えることは違います。

二つの文を較べると、どちらが英文としてむずかしいでしょうか?

このむずかしさ感は、英語を学ぶ目的や教え方や学び方に関係すると、私は考えます。

明日はそんなことを考えたいと思います。が、みなさんの発表が始まりますので、そのことが話題の中心となります。

いつも、何をやっているのか分からないかもしれませんが、ぜひ本を読んでください。

『言語教師認知の研究』
『言語教師認知の動向』

みなさんの貴重な発表から、少しずつ英語教師を研究をすることの意義が分かると思います。

すべての人が教師となるわけではないようですが、教師という仕事や教育という仕事はおもしろい仕事です。ぜひ、携わっていただきたい。

2014年5月14日水曜日

英語教師はどう教えているか?2

英語教師はどう教えているか?ということを考えようと思いましたが、例のごとく様々な話題が出て、そちらの方が面白くてついついしゃべってしまいました。

面白いと思うかどうかは、みなさん次第です。授業は受け身では絶対に面白くありません。また、学ぶということもただ「倣う」「まねる」では発展はないと思います。特にこの授業に集まっている人は、「英語教師」に興味があるわけで、「英語教師」という何かがあるわけでもなく、そこに答えがあるわけでもありません。自分で探すことです。

ですから、みなさんの疑問や考えたいことは貴重です。一つ一つを思い出せませんが、みなさんの疑問について、私が考えたことは私にとっては貴重でした。

みなさんは、そろそろテーマを決めて「英語教師研究」を自分自身の興味と関心から探求してください。5月23日に聞きます。

さて、英語教師はどう教えているか?ということですが、答えは、わかりません。というより、複雑です。なんとなくイメージは浮かびますが、自分の体験と人の体験は違うし、一つの授業を見ても、みなさん一人ひとりが見る視点は違います。出て来た結果はばらばらです。

ということを前提に、私が経験したこと見たことのいくつかを書いておきます。今回は、小学校にしぼります。(私個人の認知を基盤にしているので事実ではないということは理解してください。)

日本

小学校 外国語活動 

地域や学校によってかなり違いますが、基本的には、英語を楽しむ(英語に慣れ親しむ)という活動です。私は悪い事ではないと思いますが、NSや外国の人(あるいは指導者)は「お客さん」という感じでしょうか?日本では、「内」と「外」という考え方に根強くあるように思います。「外国語活動」は国際理解教育が主な目的なのでしかたがありませんが、少し中途半端な印象がします。しかし、多くの小学校の先生は熱心に対応していると言ってよいでしょう。問題は英語を教えるためのトレーニングがないので、根拠がないので困っているという感じです。NSとしてALTや指導者の人がくれば、その人たちの考えを優先して授業を形成します。私立学校や特区はその範囲ではありませんから、かなり英語学習を提供しているはずですが、これも根拠がありませんから、かなりばらばらです。ということで、どう教えているかは実態は混沌としていると言えます。

それでも、受験英語というような考え方はここにはないと思います。発音、文字、表現など、CLTに比較的基づいているし、楽しく英語を学ぼうという姿勢はあると思います。ある意味でこれまでの伝統がない分、ひょっとしたらよい方向に向かうかもしれませんが、さてどうなるでしょうか?詰め込みになるかもしれません。

ヨーロッパ

小学校 外国語
もちろん、国と地域によりかなり異なりますが、総じて、英語およびヨーロッパ言語は重要だという柱ができています。CEFRの枠組みが大きく影響しています。英国だけが悲惨な状況かもしれません。明らかに、受験のためというスタンスではありません。「その外国語が使えるか使えないか」という将来の学習や仕事と関係しています。しかし、必ずしも早期に外国語を学ぶわけではなく、また、CLTが徹底しているかというとそうではありません。教科書内容にそって教えているというのが実態のような気がします。語彙、文法などは教えることの基本です。それとともに、英語を使うということが生徒の側に備わっていると思います。つまり、教室の外に出て、実際に英語を目にする、耳にする、という背景が大きいようです。授業で教師がそれほどおおげさなパフォーマンスをする必要もないし、だれかカリスマ的な英語教師がいて、その教え方をみなで模倣するようなこともあまり見たことがありません。一人ひとりの先生の考え方次第です。日本と大きく異なる点は、教える人はその言語が使える人がやはり多いということです。英語を使う経験があり、教える訓練もしています。教え方がうまいかどうかというと、そうでもありませんが、教師と生徒の目標がほぼ一致しているので、授業はシンプルであり、生徒は言語を使おうとします。また、学校の科目として学ぶということでもないような気がします。

アジア

小学校 英語

韓国
小学校3年生から英語が教えられています。トップダウンで政策的に始まった経緯があります。私が見たのは始まった頃の授業です。教材などを用意して、教師のトレーニングも実施して、かなり評判がよかったような印象だったので、見に行きました。2004年頃です。実際はそれでもうまくいかない事がよく分かりました。現在はNSなどを入れたり、ITを取り入れたりと工夫しているそうです。当時よりは進んでいるし、生徒も学ぶ必要があるので、かなり改善されたようですが、最近のことはあまり知りませんので、果たして実態はどうか?という気がします。しかし、当然週2日英語を教えているので、その効果はあるのが当然でしょう。また、学校以外の英語熱が盛んです。留学もあるでしょう。使える人お相当に増えているはずです。基本的に、日本と大きく異なる点は、やはりコミュニケーションを目的として、英語が使えることを意識した授業が展開されていることです。日本とある面では似ていますが、英語教育にそこまでお金を投じていません。また、中学校に行くと必ずしもコミュニケーションということを重視した英語授業ではなく、基礎基本を重視した従来型の文法知識に焦点を当てた授業となる傾向があります。韓国でも受験があるし、塾もあります。学校でも語彙や文法は重視するし、読む聞くは重視して指導しています。でも、やはり大きな目標として、使えるかどうかが大切と考えられていると思います。さらに、学校だけではなく、早期英語教育は盛んです。

英語教師はどう教えているか?というと、私が見た小学校の授業は、授業中に英語を使いますが、やはりマニュアルにあるような英語のやりとりです。あるいは、Q & Aです。あとは、教科書教材をきちんと使って教えるということです。しかし韓国語は当然使います。

中国 

中国は大きな国で英語教育一つをとってもかなり多様です。実際に見た授業も2005年以前のことですからいまとはかなり違うかもしれません。その頃からそうですが、都市部と地方ではまったく違うという状況があることはよく言われています。おそらく現在もそうです。都市部は1年生から徹底的にやっていますが、すべての子どもではないでしょう。優秀な小学校の高学年になれば英語でコミュニケーションすることは苦もないことのようです。大人数のクラスサイズでの活動でコミュニケーション活動をし、かつ競争社会ですから、伸びる人はどんどん伸びていきます。が、そうではない人はまったく英語は分からないという現実があります。

また、英語は日本と同様受験科目的な考え方があります。当然、教師は語彙や文法知識に焦点を当てます。テストもあります。だからと言って、日本と同一視すると必ずしもそうではないようです。基盤は、CLTだからです。教科書も日本のような伝統的な文法シラバスなどの観点がしっかりしているわけではなく、CLTです。しかし、英語教師の教え方は、ヨーロッパなどと比べると機械的な印象を持ちます。おそらく国の体制とクラスサイズのせいだと思います。あるいは学校文化という背景が強いのでしょう。これが地方に行けば、まったく違う可能性があります。

他のアジアの国

英語が重要な言語であることは各国共通しています。シンガポールやフィリピンのように英語が公用語の国からそうではない国まで様々ですが、「英語は必要」という点で一致して指導されています。問題は、経済的な理由による教員養成の不足だと思います。ここでも都市部と地方では相当に差が出てきます。すべての国のことは知りませんが、台湾はかなり日本と似ています。英語はやはり学校の科目であり、クラスサイズやシステムも似ています。小学校ではすでに1年生から英語を教えています。英語教師のトレーニングも徹底しています。都市部では英語で教えている授業がほとんどでしょう。しかし、塾もあり、受験は重要です。

マレーシアはかなり多様です。シンガポールに倣う傾向がありますが、実態はそうはならない。民族によってもかなり異なるカリキュラムがあり、レベルもかなり違います。政策的に進めていることと実態はかなり差があるような気がしますが、実態は分かりません。

香港は、英語で授業をするということが徹底されていますが、実態はやはり学校の科目という印象を持ちます。生徒のレベルも様々です。しかし、一様に言える事は、やはり、「英語で授業をする」ということが推奨されますが、生徒の英語学習の目的は受験であり、そのための英語教育が実施されているということです。英語教師は英語力と英語授業力のテストがあり、それにパスする必要があります。英語を実際に使える必要があることはもちろんですが、それとともに、やはり受験ということがあるので、教師はそれに対応する指導が要求されていると思います。

インドで一度小学校の授業を見たことがありますが、私立の女子校であり、英語は彼らにとっては指導言語ですので、あまり参考にはなりませんが、欧米のように英語を話すことを強制していないことが印象的でした。

だらだらと書いていたら、長くなりました。ここに書いたのは私の印象です。事実はおそらく違うと思います。が、小学校だけでもこれだけ多様です。また、これまでの話はNNSの英語教師です。NSの教師はどうかと言えば、また異なるでしょう。

小学校で英語を教えるNSの教師については、私はあまり知りませんが、やはりモデル的な扱いであったり、発音を指導したり、彼らの国の文化を紹介したり、テキストに沿って、歌やゲームなどをすることで指導するケースが多いように思います。NSとNNSの教師と区別する必要もない時代になっていると思いますが、基本はどちらの教師にしても「よい」教師は「よい」教師です。

このように多様な教師が多様に教えているわけですが、この基本は、Lortie (1975)という人が紹介した「観察の徒弟制(apprenticeship of observation)」です。自分の経験がベースになります。しかし、その経験は彼らの認知をベースにしていることを忘れてはいけません。

中学や高校はまた別の機会に。




2014年5月8日木曜日

英語教師は英語をどう教えているか?

「自分はどう英語を学び、それが教師とどうかかわり、教師の考えはなんだったのだろうか?」

というテーマで話し合ってもらいました。話し合いは、何か結論がなければいけないのでしょうか?互いに話していると、「あ、そうなんだ」ということがありませんか?あるいは、「なぜこの人はそのことを話しているのだろうか?」などと考えませんか?

雑談というのはとても大切だと思っています。また、話すことは意外にむずかしいかもしれません。無駄と考える人もいるでしょう。学びとは何か知識を得ることと考えるかもしれません。私は、人と話すことのなかで、「気づく(awareness)」ということが大切だと考えています。

何か気づいたことがありませんか?

さて、今回は、「英語はどう教えられているか?」を考えましょう。

日本の小学校、中学校、高校で、英語はどう教えられているでしょうか?自分の経験や本で読んだこと、実際に見たなどを考えましょう。

また、5月23日頃までに、自分の発表テーマを考えておいてください。

2014年4月27日日曜日

英語教師は何を考えて教えているだろうか?

第2回目は、一人一人の人の話を聞いていたら、おもしろくてそれで終わってしまいました。すみません。

最初に、この授業で、私は「教えるということは考えていない:というような趣旨のことを言いました。

それは、「学習者の自律(learner autonomy)」を考えているからです。ましてや、この授業に来た人は、来ただけで、何か考えることがあって来ているわけですから、何かしらの目的を持っているわけです。それであれば自分の目的を自分で達成しましょう。私はただの鏡です。

さて、次は、当初のとおり、「自分はどう英語を学び、それが教師とどうかかわり、教師の考えはなんだったのだろうか?」ということを考えましょう。


2014年4月21日月曜日

英語教師研究 2014

2014年は科目名称を「英語教師研究」と改めました。

この授業は、私の講義を聞くのではなく、みなさんの疑問や問いから始まります。

「英語教師研究」は「英語教師が、自分の課題を授業に反映させるために、あるいは、授業改善のために、あるいは、自分の授業の悩みを解決するために、リサーチマインドをもって、教師自身のが成長すること」と定義しましょう。

それにもとづいて、英語教師となる(?)みなさん、授業の中で成長しましょう。