2014年7月6日日曜日

第4回発表会

発表者が多く、議論ができなくてすみません。4つの発表はとてもおもしろい素材が一杯です。私の感想と意見を殴り書きですが書いておきます。参考にしてください。

Hさんの「オールイングリッシュ」の現場実態

Hさんは自身の教育実習の経験を通して、「授業を英語を使って教える(English Medium Instruction: EMI)」について考えたことを話してくれました。実際に教育実習中に出会った先生、以前から知っている先生などに話を聞きました。

「オールイングリッシュ」というのは、たぶん通じるのだと思いますが、私は英語でコミュニケーションしているときにあまり聞いたことがありません。でも、世界のどこでも外国語を教える教師は工夫していることです。

Native Speakerからすると、日本語が話せる人もけっこう悩むことです。人によっては、日本語を使って教えると日本語で授業をしてしまうそうです。また、英語が堪能でも授業では英語をコミュニケーションの道具としては絶対に使わないという信念を持っている人もいます。

私は、最近いろいろあってよいのではないかと思っています。というのは、英語の教師になろうとする人や若い英語の先生は、英語をコミュニケーションの道具として話すことには以前よりもはるかに多くなっていると思います。翻訳や文法の知識という点では劣る人もいるかもしれませんが、余分な知識はかえって学習者には迷惑です。変なうんちくを語ってお茶を濁す授業は面白い面もありますが、学習者からすれば目的が違うのではないかと思います。

結論的に、Hさんが述べたことは正しいと思います。しかし、安易に結論づけられる問題ではないので、教師となるにしてもならないにしても、英語という言語と日本語、さらにはその他の言語については注意しながら考えていくことは重要だと思います。

Sさんの教育学部の学生から見た教師

当初調査したいことと実際にアンケートしたことが多少噛み合ない点がありましたが、調査の視点は面白いと思いました。また、質問項目が可能性のある興味深い内容でした。もっと時間があるときっといい調査結果が出ると思います。

教育学部の学生さんがどのようなカリキュラムで学習しているのかは、私は知りません。背景知識でその点に触れてもらえるとありがたいですね。日本の教育学は、教師を養成する目的ではありません。この点は他の国と微妙に違います。その伝統の中で教育を受けた人が学校の英語教師をどう考えるのかは、たとえば、教育学の先生が、英語教育をどう考えているのかなどと関連するのかもしれません。

私は、言語教師というのは、言語を教える教師としての専門性を持った方がいいと思っています。広く「人格形成」などと考える、言語学習の本質が変わると思うからです。「人間形成」という観点から考えると、たぶん「教育」「学び」「学校文化」という少し大きなな枠組みを学校教育を考える必要が出てきます。しかし、言語という視点から英語教育を見ると、英語と日本語、英語を使って何かをする、英語とその他の外国語、英語と文化などと、アプローチの仕方が変わるはずです。

日本はちょっと複雑で、教師がかわいそうです。その意味から、Sさんの調査はおもしろいと思います。あまりまとめようと思わず、好きなことを、自分が考える日本の英語教師というものを、アンケート結果と併せて論じてはどうでしょうか?

Oさんの思考する英語授業

おもしろい考え方です。私はOさんに賛成です。人は何をするにも基本は「思考」です。思考することがなければ何も面白くないでしょう。英語教育はその点でかなり批判を受けてきました。逆に言うと、それがために「英語で英語の授業をする」あるいは「コミュニケーション能力を育成する」などがないがしろにされ、文法訳読が廃れないのです。

文学や言語を考えることは、英語教育ではかなり探求されてきました。かなり深く研究されたとも言えます。その意味では、これまでの英語教育は「思考」を形成する上では貢献したかもしれません。いまでも、進学校や予備校などで単に受験問題を得だけの授業は、決して人気がある訳ではありません。何かを考えさせてくれる授業の方が学習者には好まれる傾向があります。

しかし、広くあちらこちらを見ると、それでは日本の中だけで完結してしまう。鎖国状態あるいは翻訳社会状態、あるいは漢文学習状態で、多少問題があります。もっと多くの人がとりあえず英語を通して交流したりできる必要はやはりあると思います。

Oさんの「間を作る授業」とN先生の「間を埋める授業」は対立するものではないと思いますが、目標は同じなので、それを深く考えてみる価値は多いにあります。

さて、reflective learning (teaching) に関してですが、「振り返り」ということでさかんに取り入れられるようになっています。しかし、そんなに簡単なことでしょうか?というのが、私の素朴な疑問です。教師が授業の終わりで、「今日の授業の〜〜〜について振り返りましょう」ということで、学習者は成長するでしょうか?Oさんが言う「思考する授業」「間を作る授業」は、たぶんcritical thinkingにつながると思いますが、言うは易し、行うは難しという気がします。

でも、私はOさんの目指すところは分かるような気がします。それほどうまく行かないと思いますが、様々に「思考」や「哲学」をもっと重要なことと考えることは、たかが英語でも必要だと考えます。

Kさんの母校の国際科と普通科

高校も多様化して、一概に高校教育を定型化して論ずることはむずかしくなったなと感じました。つまり、大学に来るまでの学習者の英語学習経験は多様になっている可能性があると感じました。この大学はどちらかと言えばインターナショナルな大学教育で、多様な学生が多くいます。私は実態はよく知りませんが、私が本務として務めている大学とは文化も目標も違います。

国際あるいはグローバルということばは流行のように使われます。果たしてどういう意味で使われているのでしょうか?その点で、母校の国際科と普通科の違いを教師の視点を通して考えてみようという意図はたいへん面白いと思いました。しかし、発表のときも指摘しましたが、話を聞いた先生がかなり公式的な発言をしているように思いました。それは当然ですが仕方のないことです。それはそれとして貴重なインタビューです。

しかし、問題を多角的に捉えるために、生徒の視点、Kさんの視点、他の教師の視点、地域の視点などが加味できれば、母校をより明確に捉えることができ、国際科と普通科、学校と塾などの役割などが理解できるでしょう。

私が個人的に興味を持つことは、インタビューした先生が熱心な先生なので、もっともっと先生が現在抱えている課題や問題などに踏み込むことができれば面白いと思いました。おそらく、かなり忙しい状態で働いていると思います。その原動力は何かなど、探求できれば、おもしろい。

いずれにしても、調査の視点は明確にする必要があると思いました。

忙しい発表で申し訳ない。



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