2014年7月28日月曜日

第6回発表

第6回発表

Nさんの教師と子どもの変容について

Teach for JapanというNPO団体での活動を背景として、授業観察について話してくれました。「教える」「学ぶ」ということは、様々な状況が考えられるんだと思います。この活動の「教える」「学ぶ」は、いわゆる小中高の教育とはちょっと違うのでしょうが、若い人たちがボランティアで子どもと向き合う活動をしているのは立派だなと思いました。Nさんも熱心に教育を考えているし、授業観察ということを真剣に考えているのが印象的でした。観察(observation)というのは、私が考えている授業研究(lesson study)では最も大切なことだと思っています。見ている人は「私」です。見られている人は「教師」であり「生徒」であり、「教師と生徒の関係性」であり、多様です。Nさんは、観察を通して「変容」ということを考えました。ここでは観察する人と観察される人の省察を通して、気づきを見ようとしています。その際に言語化ということが重要となりますが、私は話を聞いていて、本当にそれで「人は変わるだろうか?」と思いました。これはむずかしい問題だと思っています。人が持っている信条・信念(beliefs)はかなり強固です。そうは簡単に変わりません。また、あまりころころと変わるのもどうかと思います。おそらく「変容」というよりは、自分の信条・信念(beliefs)をもとにして、その状況にうまく合わせるために、どうするかという問題かと考えました。その際に、観察し、観察を通して、互いに省察をくり返し、適応する、ということが、成長につながるのかな、と考えました。Nさんが探求しようとしていることはたいへん面白いと思います。私にもよく分かりませんが、フィードバックをこうしたら、こう変わる、という単純なことではないように思いますが、観察することにより、もっと何かが見えて来るでしょう。これは教師の研究としてはとても大切なことです。

Aさんの教育実習

Aさんは、この授業を聴講として取ってくれました。何か教師になるための準備として役に立っただろうかと危惧します。教育実習の話を率直にしてくれましたので、ここでは教育実習中のA さんの授業を見に行きましたので、それについて感想を一言述べておきます。教育実習というのは短いし、多くの人が充実した経験をするようです。しかし、その経験はかなり多様です。同じような経験をしても決して同じではありません。さて、「3週間で何を学んだのでしょうか?」と自問してみると分かります。授業のやり方、生徒の扱い方、学校のしくみなどなど、それなりの成果はあったはずです。「英語で授業をする」「生徒のことを考える」「文法はやはり大切だ」など、自分の教育観に何か影響を与えたでしょうか?私は、教育実習でいつも思うことは、その人がどういう目的で教育実習に行ったか?どういう教師と出会ったか?どんな生徒と向き合ったか?などで成果はかなり変わると思います。また、教育実習後から実際に教師となるまでがまた大切だと思います。さて、Aさんの授業ですが、私が見たのはCLILと読んでいる授業です。私はCLIL的な考え方を持って英語授業をすることはとても大切だとずっと思っています。AさんのCLILは、英語を何か興味ある内容を扱って、内容に焦点を当てることで、英語を使う活動を、主体的にすることです。英語という言語の知識や技能に明確に焦点を当てるのはではなく、内容に焦点を当てながら、英語という言語と日本語という言語と文化理解を「考える」のです。授業は決して見栄えがよいものではありませんが、生徒はけっこう満足して「学び」ます。Aさんの授業のときも、生徒がそのときの内容に興味を持って「学んで」いました。一番大切なことは、Aさんが「学ぶ」ということです。ぜひこれからも実践してほしいです。

Mさんの教員養成課程について

Mさんは、とてもよく勉強していて、おそらくこのクラスで一番「言語教師認知(language teacher cognition)」を理解している人だと思います。ぜひ興味を持って追求してもらいたいと話を聞いていて思いました。日本の教員養成システムには問題が多いです。みんな分かっているのに変わらないのです。その背景には歴史があります。おそらくこれからも変わらないでしょう。しかし、実際に英語教師となっている若い人はだいぶ昔とは変わっているようにも思うことがあります。そのような人が実際の教育現場に入ったときに、どのように教師としてスタートを切れるかどうかでその後がかなり変わります。養成課程ではSLAなどの研究と教師教育などの理論と実践においては少しずつ内容はよくなっています。問題はその量と質です。圧倒的に少ないし、そのような教育を受けた人が必ず教師になる訳ではありません。また、教員採用試験で、教員養成で求められていることがそのまま反映されている訳でもありません。受験や部活動やその他の学校教育に内在するシステムに抗う事はやはりできないし、それは社会のニーズでもあるので、それに従わない訳にはいきません。非常にむずかしい問題がたくさんあります。しかし、私はMさんが興味を持って探求しようとしていることは大切だとずっと思っています。「教師が考えないかぎり何も変わらない」ということです。英語で授業をするかどうかは表面的なことです。確かに教師は英語を話すことに自信がない人が多いかもしれませんが、そのように思わせてしまう何かがあるのでしょう。私も教員養成にかかわる一人として、Mさんの話には考えさせられます。ぜひいろいろと考えてほしいとつくづく思います。

みなさん、ありがとう。さいごにレポートの感想を次の投稿でしておきます。


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