2015年7月12日日曜日

第5回発表

発表はこれがさいごです。母校に関連する話題が多く、今年の発表は、ある意味で、発表してくれた人と母校の教師との関係性がいくつか見れてとても面白かったですね。ありがとう。

11 Mさんの「母校の教師について:

Mさんは高校のときにとてもよい教育を受けたと思います。もちろん、たいへんなときもあったでしょうが、総じて自分が辿ってきた道は正解ではないでしょうか?母校はユニークな学校で、ある意味で徹底的な一つの目標志向に向かって、親身な指導をし、実績も上げている学校です。それはもちろん生徒の目標が明確だからできることです。生徒の目標が明確であれば、教師の仕事も明確です。生徒の目標を実現することです。しかし、それはかなりたいへんなことです。さぼっていい加減にはできません。教師自身も研究しなければいけません。それが、受験であっても、留学であっても、それを支援することが教師の使命でしょう。

Mさんがインタビューした二人の先生は、やはりいい先生です。やりがいもあるのではないでしょうか?もともと英語の教師になることを決めていたわけではなく、流れの中で英語教師という仕事に就いたそうです。当時からするとそういうことは多くあったように思います。まずは、教師という職業があって、その後に教科を選ぶ。教科を選んだ理由も英語ができたり、なりやすいというような理由が往々にしてありました。その意味から、二人の先生は柔軟な考え方のできる人で、学校の方針にもうまく対応でき、その期待にも応えられたのではないでしょうか。

発表では、Mさんと二人の先生と学校との関係性に興味を持ちました。Mさんはたぶん英語は好きで、英語を通してなんらかの形で仕事をしたいと考えているのでしょう。教師もその一つだし、英語を使って活動し、何かしたいと思っていると思います。そのようなMさんをずっと支えてきたのは母校の先生や仲間でしょう。二人の先生の話をしているMさんは、たぶん、先生の話をしながらも、自分の高校時代を考えていた(振り返った)と思います。

Mさんの話を聞きながら、母校の先生と対話したり、教師を研究することの意味を考えました。Mさんも言っていましたが、「先生の知らない部分を見ることができた」というのは確かにそうです。先生もMさんと教師としての自分の仕事を話すとは考えてもみなかったでしょう。しかし、私はそれよりも、Mさんが、高校時代の先生と話すことによって、Mさん自身を再度振り返ることができたのではないかと思います。

教師の考えていることを調査する(教師認知研究)ことは、インタビューだけではあまり見えませんが、実は、このような調査をすることは、調査者自身の探求も含んでいるのです。調べようとする人の意図と対象となる人の相互のやりとりの中で、何か発見があると考えています。きちんとした研究では、厳密さが要求されますが、この授業では、母校の先生についてまとめながら、教育を考える自分を見つめる機会にしてほしいと思います。

いつものとおりですが、ここに書いてあるのは、私のメモです。思い違いや誤字脱字など多々ありますが、ご容赦ください。いずれの話もたいへん興味深く聞きました。ありがとう。


2015年7月8日水曜日

第4回発表会

それぞれの人が、それぞれの立場や観点で、それぞれのテーマで英語教師について話すのはたいへんおもしろいと思っています。前回終了後、北海道に行ったりしたので、感想が遅れてすみません。

9 Hさんの「新課程の英語科が教育実習先でどのように教えられていたか」

Hさんも母校に帰っての教育実習でした。教育実習というのもそれぞれの体験はだいぶ違うようです。Hさんのテーマは、新課程になって何が変わっているか?ということでした。しかし、母校は以前からかなり熱心に英語教育に取り組んでいる学校で、指導のしかたも安定しているようだ。多くの高校は、進学実績という目標をかかえている。教師はそれを達成しなければいけない状況です。しかし、その中でそれぞれの教師が工夫して英語のコミュニケーション能力の育成に努力している。それぞれの教師のアプローチは違うので、3週間ではなかなかどう実践しているかは見えにくいかもしれない。

それでも、Hさんは、多くの授業を見て、自分でも指導教官の先生の実践を踏襲して、教えることを考え、実践した。Hさんの言葉で印象に残っているのは、「実際に生徒を目の前にして見ないと、教えるということが考えられなかった」ということです。つまり、実際に目の前にしてどうしたらよいかを考え実践したということです。この言葉はよくわかります。教育というのはそういうものかと思います。あれこれと頭の中で考えても結局そのとおりにはいきません。また、計画しても思ったとおりに進むことはありません。模擬授業と実際の生徒を教えることは大きく違います。「教える」ことは技術だけではどうにもなりません。

新課程になり、「英語の授業は英語で教える」が注目されました。しかし、現状はおそらく何も変わっていないでしょう。明治以来日本はそのようなことの繰り返しです。国が学習指導要領を提示し、教科書会社がそれに沿った教科書を作り、現場はそれを形だけにこだわり、少し変えるのです。しかし、Hidden Curriculumと言われるように、受験や教員養成システムや伝統的な学校教育文化により、特に何も変わることなく、進むのです。それでも、社会経済活動は厳しくなるので、若い人はそれなりの知識や技能を身につけていきます。その息苦しさについていけない人も多くなってきています。教育はそのような多様な問題を抱えているのが現状でしょう。

Hさんの視点は面白いと思いました。Hさん個人で再度教育実習で見たそれぞれの教師や授業を見て、改めて母校や新課程を考えてみてはどうでしょうか?

10 AさんのALTについて

Aさんは、ALTに興味を持ったようです。本来、ALTは、JETプログラムで来日した英語圏の人の英語指導助手を表す言葉でしたが、現在は、小中高で英語教師を支援する人を総称して言うようになりました。すっかり定着して、多くの学校で英語教師とともに英語を教えています。ALTに関しては次のようなウェブがあります。

JETプログラム

The Association for Japan Exchange and Teaching (AJET) 

JETプログラム参加者の会「AJET

その他にも多くのJETプログラムに参加した人の集まりがあちらこちらにあります。良きにつけ悪しきにつけ、日本の英語教育に大きな影響を与えています。

JETプログラムは次のように説明されています。つまり目的は国際交流なのです。
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JETプログラムは、「語学指導等を行う外国青年招致事業」(The Japan Exchange and Teaching Programme)の略称で、地方自治体が総務省、外務省、文部科学省及び一般財団法人自治体国際化協会(CLAIR)の協力の下に実施しています。

このプログラムは、外国語教育の充実と地域レベルの国際交流の進展を図ることを通し、日本と諸外国との相互理解の増進と日本の地域の国際化の推進を目的として、昭和62年度に開始されました。平成26年度に28年目を迎え、招致国は4ヵ国から42ヵ国に、参加者も848人から4,476人へと、事業は大きく発展してきています。 また、JETプログラム開始以来、63ヶ国から6万人以上がJETプログラムに参加している。
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Aさんは、母校をALTについて調べてみました。ALTがたくさん働いている学校です。4人のALTを自分の体験などを通して分析しました。Aさんも言うとおり、日本の英語教師とALTの関係性はとてもおもしろいと思います。当然、ALTもそれぞれの教師認知を持っています。教育背景も違うし、文化も違います。日本の英語教師もそれぞれの教師認知を持って、実践しています。これは当然ぶつかるでしょう。うまくいく場合もあればいかない場合もあります。多少のストレスは感じるでしょうが、制度的しかたがありません。つまり、ALTは、公立の場合、一人で教えることはできません。ティームティーチングという形態が発生したわけです。

Aさんが、ALTをテーマとして選んだのはおもしろいことです。ALTは英語教師の資格をきちんと持っている人とそうではない人が混在しています。また、どこの国から来たかでかなり違います。私たちはつい「外人」として見る傾向がありますが、まったく違います。その点、4人の人の人間性やその他詳しく背景を知り、どういう考え方をもって教えているかを調査できたらたいへんおもしろい調査になるし、自分にとってもプラスになるでしょう。期待します。

さて、あと1回の発表で、この授業も終わりです。みなさん、それぞれのテーマを深く考えていただきたいと思います。けっこう一つ一つのテーマはたいへん重要な課題です。

2015年7月1日水曜日

第3回発表会

発表会は一人30分程度の時間ですが、30分では語り尽くせないくらいの内容がいつもあります。それぞれの一人ひとりの体験を通して見たことは他にはない事実だからでしょう。科学的と言われる事実は、検証可能で客観的と言われるものである必要がありますが、自分や教師や自分と教師の「こころ」のやりとりは他人にも自分にも「見えない」のです。話を聞いていると、少しそれが見えるときがあります。それが面白いのです。

6  Hさんの教育実習を終えて

Hさんは、母校で教育実習をしました。忙しかったけれども充実した3週間だったようです。ハンドアウトのさいごに、It is one thing to know, and another to teach.と書いてありました。これはだれもが感じることです。しかし、これは共通しているようでかなり個人的な体験で実は人によってかなり違います。

Hさんは、Hさんに影響を与えた先生がまだ同じ学校で教えているということがとてもよかったと思います。その先生と自分を重ねて考えることができたからです。「教師は生徒のロールモデルとなる」を教育実習で心がけたというのは、けっこうたいへんですが、生徒にとってはたいへんありがたいことです。身近な先輩、あるいは、年齢の近い教師は、親や教師がどんなに多くの経験や知見を持っていたとしても、同じことを言ったとしても、その受け止め方はかなり違います。

教師はロールモデルとしての役割は当然あります。特に英語学習であれば、そうでしょう。教師が英語をどう使い、どう学習し、また、研究しているかは、教師という職業の特徴です。私も教師をすることの魅力は、自分が学びを楽しむを実践できることだと思っています。Hさんの恩師が実践していることは、たぶん、私と同じでしょう。

逆に、Hさんも言っていたように、「反面教師」ともなります。教師の中で意図してやっている人はおそらくいないでしょうが、相性というか、誤解というか、考え方の違いなどで、そういうことが頻繁にあります。これは避けられないことですが、Hさんのように、それをバネにして成長する場合もあります。

Hさんは、教育実習を楽しんだようです。もちろんたいへんだったと思いますが、「教える」ということの面白さも分かったのではないかと思います。また、教師という職業を選択肢に入れてほしいと思いました。また、恩師の先生との関係性や恩師の先生の実践にも興味を持ちました。あちらこちらにいい先生がたくさんいます。私はそういう先生の実践に興味があり、可能なかぎり会って話してということをしてきましたが、時間にも限界があります。このようにHさんを通して、また一人すてきな先生がいるということを知りました。ありがたいですね。

7   Yさんのスウェーデンの英語教師

スウェーデンの外国語教育と日本の外国語教育は、歴史的にも地理的にもかなり異なりますが、日本にとっては、福祉を中心として昔から注目してきた国です。私も何度か訪れて、学校を見たりして思うことは、教師の自由度が高いという印象です。また、Yさんも説明していたとおり、人種なども多様で、言語も文化も異なる子どもがたくさんいます。ある面でむずかしいですが、個人を尊重し、勉強する子はきちんとするし、しない子はそれぞれの道を進むということのようです。

Yさんが紹介した教師は、Yさんが高校生のときに留学で出合った人です。スウェーデンの教員養成の詳細は知りませんが、それほど綿密なプログラムではないような印象を持っています。ようやく整備し出したという感じでしょうか?ただ、ヨーロッパ全体がそうであるように、実習期間をかなりとっています。また、英語であれば、英語力というものを当然重視します。留学などは当たり前であり、英語教師というよりも、外国語(言語)教師というほうがよいかもしれません。私の興味であるCLILは自然なかたちで実践されています。バイリンガルプログラムを多く、英語については第2言語と言ってもいのでしょう。

さて、Yさんの話のスウェーデンのH先生ですが、いい先生だと思います。熱心で自分を高めようとします。この点はたぶんどこの国でも共通して言える「よい教師」です。私が話を聞いていて面白いなと思ったのは、教師の「多忙感」です。世界中の教師の多くは忙しいと感じています。理由は、かなりの仕事を家に持ち帰るからです。授業をすると分かると思いますが、宿題を点検したり、採点したり、授業案を考えたり、個々の生徒の相談に乗ったりと、個人の裁量にまかせえられることが多々あります。

スウェーデンは、日本と比べるとはるかに男女の格差がなく、個人が尊重される国です。それでも、教育は女性が担う部分が多いように思います。教育で活躍している人がたくさんいます。私の知っているほとんどの英語の先生が女性です。それはさておき、日本はどうでしょうか?女性が多くなっていますが、中高では男性が多いですね。私の妻も英語教師でしたが、だいぶ以前に辞めました。多忙だからです。

日本は圧倒的に多忙です。真面目であればあるほど、家庭や生活を犠牲にしなくてはいけません。さらに、最近では、夏休み、冬休みもなく働いています。教師の仕事のメリットは、夏休みなどの生徒の休暇中に研修が自由にできて充電できることです(日本ではでした)。もちろん、さぼってばかりいる教師もいるでしょう。日本は、さぼっていい加減な人がいたことも事実で、批判もされました。それが今日のような管理社会になったと言えるでしょう。

Yさんの話を聞いて、教師はプロフェッショナルであるべきだと改めて強く思います。また、英語ならば英語の教師として仕事をすべきと思います。しかし、そうならない複雑な学校文化がすでにできていて、それはそう簡単には変わらないのです。Yさんは、日本の教師のデータをこれから集めるそうです。Yさんなりに分析してみてください。

8  Aさんの生徒に求められる良い英語教師とは?

Aさんは、良い英語教師とはどういう教師か?というテーマで課題に取り組んでいます。面白い点は、母校の学校の先生にアンケートを実施したことです。客観的には意味のない調査かもしれませんが、Aさんと母校の先生の関係性がとてもよく表われたデータで、私はとても面白いと思いました。母校の文化がよく出ているからです。

私が研究している言語教師認知という研究は、「言語教師が何を考え、何を知っていて、どのような信念を持っていて、どう教えて、どうそれを振り返っているのか?」ということを基盤にしています。多くの研究は、教師がどう成長し、どう変化していくのか、何が教師の教え方に影響を与えているのか?というようなことです。アンケート、インタビュー、日誌、語り、観察、などを分析して、たとえば、「文法を教えることについてどう考えているのか?」「コミュニケーション重視の指導についてどう認識し、どう教えているか?」などを探求しています。

しかし、このような調査は一般化することはむずかしく、一般化することにもあまり意味がない可能性があります。教師の内面の研究は、状況を考慮した観点で見るほうが、調査する側にも調査される側にも、納得できることが多いのではないかと考えます。その点から、Aさんの調査はとても面白いと思いました。これだけしっかりと答えてくれたのは、Aさんが調査したからです。ある特定の学校と、ある特定の調査者と、ある特定の教師集団の英語教育に対する考え方です。ここでは、調査者の実体験と視点を生かすことが大切です。その調査者の視点で、このアンケートを見て、考え、分析します。それはたぶん興味深い結果が出ると思います。

できれば、アンケート回答者の授業の実際を添えると調査に幅ができます。「なぜ英語教師を目指したか」はおもしろい質問です。それについての回答も詳しく聞けると、その先生の指導観、つまり、言語教師としての基本的な立場が理解できると思います。

良い英語教師というのは、ある一般化されたモデルはあるかもしれませんが、それがその状況に応じてどう当てはまるかは、かなり複雑でしょう。あまり単純化しないほうがよいレポートとなるのではないでしょうか?考えてみてください。

毎回、話を聞くたびに、興味深いですね。みなさん、ありがとう。次回も期待しましょう。






2015年6月21日日曜日

第3回発表

昨日は、本日発表のT さんの案内で都立国際高校を訪問し、IBのクラスや、その他の英語の授業を参観しました。たいへんよい機会でした。教師を考える場合に、その状況を理解することは欠かせません。その意味で、この授業は、教師が教えている現場の理解も研究の重要な要素です。本日は、二人の発表をもとに考えます。

4 Mさんの「教育実習を終えて」

Mさんは、母校で教育実習を終えました。その体験をもとに本日の発表を構成しました。教育実習は、本来の教員養成システムからすれば、最も重要ですが、教師としてやっていくには、非常に短い期間です。そのために、現場でボランティアや、その後の事前研修などが行われ、教師教育を継続的に行うようになってきています。3週間という短い期間であるために、実習生にとっても生徒にとってもかなり濃密な時間となることも多く、ある意味で貴重な体験です。

Mさんは、特に指導教官の先生の話しをしてくれました。優秀でよい先生はあちらこちらにいます。Mさんにとってはよい出会いだったと思います。母校は、Super Global High Schoolの指定を受けて、多様な取り組みをしています。たぶん仕事は忙しくなってきているのではないでしょうか。教師にとってはよい面もあれば、わるい面をあるでしょうが、生徒にとってはよいことだと思います。その中でMさんはかなり忙しい実習活動を行ったようです。結局、その体験はMさんが教師としてやっていくことに大きな意味があったようです。やはりその意思決定の大きな要因は、実際に教壇に立って「教えた」という体験です。それとともに、その体験を支援した教師と、いっしょに実習した仲間と、そして生徒です。その中でも指導教官の役割はかなり大きいと考えられます。

指導教官の先生は、「学び」ということをよく考えている先生のようです。単に英語を教えるという技能的なことだけではなく、教育の本質的なところを大切にしていると思いました。今の時代では、このように哲学を持って「教える」ことに携わることがたいへん難しくなっています。たぶんTさんの影で、指導教官の先生はいろいろと苦労した点もあったと思います。Tさんには見えない多くの部分があるとは思いますが、Tさんの視点から見た指導教官観はたいへん興味深いものでした。Tさんは授業をしなければいけないので、指導教官の先生の教え方をある程度踏襲しながら、「為すことによって学ぶ(learning by doing)」という実践的な「教える」という体験をしました。分析はそれをもとにしたものです。Tさんが工夫した授業は、Tさん自身が持っている指導観、あるいは、指導ビリーフです。それをもとに、指導教官の先生の教え方や指導観を参考にしました。

この英語教師研究の授業では、このような自分自身の指導観(あるいは言語教師認知)と指導教官の指導観を、相互作用的に見てみることが大切だと思っています。つまり、ある授業の意思決定をする際に、指導教官の何がどう自分の指導観に基づく授業案あるは授業に影響したのか、あるいは、影響しなかったのか、などです。教育実習の自分の「こころ」の動きと、指導教官の「こころ」の動きがどう関係するのか、さらには、それが自分の授業や今後の教師としてやっていくことにどう関係するのか、など、そのようなことが考えられると面白いと思いました。

5 Tさんの「言語教師の認知プロセス」

Tさんの発表は、Tさんにとってはとても大きな存在である一人の英語教師の「教えること」や教育観あるいは教師観などの認知プロセスあるいは教師認知(teacher cognition)の分析です。私の研究ではこれを「教師のこころ」と言っています。このような分析はとても貴重だと思っています。なぜかと言えば、様々な意味で、その影響を与えた先生がTさんのロールモデルとなるからです。

その意味から、このような調査と分析はTさんにとって重要だと思いました。というのは、教師は多様です。また、教え方、学び方、教育、生き方などなど、かなり異なっていることが多少わかっています。一つの考え方にこだわると、それはずっと変わることがないのが普通です。それは、よい方向に向くと生徒にとってもよい影響を与えます。それがTさんの例だと思います。逆に、わるい方向に向くと、悲劇となることもあります。日本の教育の特徴はある面で閉鎖的です。時に息苦しい面もあります。一つのレールから外れると、レールがもうないというような状況もありえます。その意味で教師の認知や「こころ」を探求することは重要だと、私は考えています。

発表の際に話したとおりですが、インタビューや他の生徒の見方などから分析したTさんの恩師である教師の認知プロセスは相当に複雑です。この発表はその意味からTさんの認知プロセスでもあります。この調査分析をとおして、Tさん自身を見るチャンスでもあります。たとえば、なぜ自分は恩師の先生の影響を受けたのか、どの点が影響を受け、どの点は影響を受けていないのか、自分が見ている恩師は他の生徒が見ている恩師と同じかどうか、などなど。

さらに、別の面で面白いと思ったのは、各生徒のそれぞれの見方を少し整理して、恩師の先生にさらに尋ねてみたらどうかと思いました。Tさんと先生はかなり信頼関係があり、率直にいろいろと話せるようなので、もっと本音が聞けそうだと考えるからです。さらには、Tさんは教師を目指し、先生の指導法に共感を持っているからです。これは、Tさん自身の教師認知の形成にはよい影響を与えると思います。もちろん、その方が調査の質を高めるし、自分だけの思い込みではない、reflexivityを考慮するからです。

Reflexivityは、日本語に訳すのがむずかしいので、わかりやすく説明すると、「自分を他者や対象に反射させて、ふりかえってきちんと論理的に考えること」です。つまり、Tさんの調査で言えば、ある教師が、「教える」にあたり、何をどう考え、その背景にどのような信念があり、どのような学び方をして、何を知り、何をどう学んだのか、そして、何をどう考え教えるのか、さらに、それをどうふりかえって、これからどう教えようとするのか、などの認知プロセスを、その教師とともに、Tさんの鏡をとおして見て、分析するというその過程で、reflexivityをきちんと考慮するということです。

ちょっとむずかしいでしょうか?でも、やってみてください。おもしろいと思います。

発表を聞いていると、いつも勉強になります。みなさんの率直な思考を期待しています。

2015年6月15日月曜日

第2回発表

第2回は、二人の方が発表してくれました。両方とも、母校に関係する教師の話でした。教師というのはやはり大きな影響力がありますね。ふだんは意識していなくても、このように調査してみると教師は、良かれ悪しかれ、興味深いと思います。

2 Iさんの「英語教師と国語教師」

英語教師も国語教師も言語教師(language teacher)という括りで考えられるはずですが、母語と外国語という大きな隔たりがあります。中学校の国語の学習指導要領は次のような目標を設定しています。

「国語を適切に表現し正確に理解する能力を育成し,伝え合う力を高めるとともに,思考力や想像力を養い言語感覚を豊かにし,国語に対する認識を深め国語を尊重する態度を育てる。」

しかし、気をつけなければいけないのは、この背景にある国語教育文化ということでしょう。英語ももちろんそうです。学習指導要領が必ずしも現場に浸透しているわけではなく、解釈が変わります。それでも、私は、アンダーラインした「言語感覚を豊かにし,国語に対する認識を深め国語を尊重する態度」は、日本の国語教育の特徴を表しているような気がします。感覚、尊重するという情緒的な要素が入っています。

Iさんが調査対象としたH先生とK先生はどちらも素敵な先生だと思います。よい先生に教えてもらったと考えてよいでしょうね。よい先生はたくさんいます。さらに、一人ひとりのアプローチはみなさん違います。つまり、教え方や指導のしかたに定型はないのです。

二人の特徴を比べてみて、単純に結論を出すのではなく、その事実をていねいに探ることが大切だと思いました。結論はないのですが、一つ一つの事象は実に興味深いですね。そこに、Iさん自身の考え方が反映されるともっと面白い分析になります。対象とした先生には、Iさんが何か惹かれている部分もあるし、疑問に思うこともあるはずです。

その点をうまくまとめて質の高いレポートとしていただきたいと思います。

3Aさんの「通信制高校の英語教育」

Aさんは、教育ということを真摯に考えている人です。それは、ある意味、そのことで苦労したからでしょうね。教師をめざすのかどうかは別として、教育という仕事にかかわるといいと思います。その意味では、たぶん、H先生をもっと探求してみるとよいと思いました。それとともに、通信制、単位制などの高校という学校文化と教師とのかかわりを調べてみるのは意味があるでしょう。

学校は多様です。教育の中で訳ありの人は世界中どこにもいて、苦労している人も多い。むずかしい問題がたくさんあります。個人がすべてにかかわることは不可能ですが、教師は、自分とかかわりのある一つひとつの事例を大切に考えて対処しなければいけません。これは世界中共通ですが、どこまで、どのように、かかわり、どの程度まで責任を持つ必要があるのかは、文化により違います。日本はその点でかなり複雑な役割を教師が背負う危険性が多々あるように考えています。

この授業は英語教師を考えますから、そこに焦点を絞ると、生徒が英語に何を求めるのかにより、教師はそれに対応するのは当然です。通信制高校や定時制高校などは、そのニーズがかなり異なるので、一つひとつの事例によりすべて違うでしょう。ある意味で経験や人間性が要求され、学習全体の指導を要求されます。その意味で、Aさんに影響を与えたH先生は、もっとその背景や信条を探る必要があるかもしれません。

それとともに、Aさん自身の高校時代などを再度ふりかえってみるよい機会がではないかと思います。H先生を通して、Aさん自身を知るよい機会となるのではないでしょうか?レポートは、通信制の母校と、そこで教える先生と、そこで学ぶ生徒の現状などをまとめて、どのような問題があり、自分の経験と重ねて、H先生という人を深く探求してみるとよいレポートになると思います。結論はやはり必要ないでしょう。探求のプロセスが大切です。

二人ともありがとうございました。多少誤解もあるかもしれません。誤字脱字や文章の不備は容赦ください。メモです。

また、次回楽しみです。


2015年6月8日月曜日

第1回発表

第1回の発表です。

毎年、メンバーが変わると展開も異なります。英語教師をどのような立場でどう見るか、あるいは、そこに集まった人が英語教師という対象をどう考えているか、という相互作用です。

今年度は今年度でおもしろい展開になっています。基本的に私は「何かを教えよう」とは考えていません。それぞれがどう「英語教師」という対象をどう考え、興味を持ち、探求するかを、いっしょに考えていくというスタンスです。

本日は、その第1回発表です。

1. Tさんの「理想の授業」

自分の母校の英語教師の教え方を振り返って考え、その教師にインタビューしました。ポイントは、教師の海外体験ということがどのように教え方に反映するかということです。調査の視点はとてもおもしろいと思いました。日本の英語の教師の中で、それほど多くの人が海外での生活や学習の経験しているわけではありません。海外での体験は教師の教え方に大きく左右する可能性はあります。しかし、教師の教え方がそれだけで変わるかどうかはわかりません。これは直接「海外での体験が現在の指導にどう影響していますか?」という質問が必要で、それに対して、さらに追求してみる必要があるでしょう。

私は、それよりも、Tさんの話を聞いていて、Tさん自身の「理想の英語授業」というものを知りたいと思いました。3人の先生の教え方、3人の先生とTさんとの相性、Tさん自身のカナダでの体験、そして、現在の英語とのかかわり、などなどです。

理想の授業というのは、だれもがばくぜんとイメージします。が、現実はそれほど簡単ではありません。コミュニケーション活動ばかりでもいけないし、英語で授業をすればよいというものでもありません。大学受験というニーズがあれば、それに応えるのが教師の役割でしょう。英語を使って仕事がしたいということがあれば、それを支援するのも大切です。英語でもどの言語も、使えるようになるためには、個々の努力が必要で、その努力を効果的に引き出して、支援することが、教師には求められます。

しかし、教師も自分の学習体験があり、英語学習のしかたに関するビリーフを持っています。また、それぞれの教師はそれぞれの性格があります。様々な要因が、授業での意思決定に作用します。また、そのときの状況により、予想もしない展開となることもあるでしょう。

海外の体験が教師の教え方を左右するとしたら、それは何か?また、その体験は、Tさん自身の体験と重ねてどうだろうか?文法や訳読などを中心とした教え方は、本当に、海外体験がないことと関係するだろうか?など、考えながら、Tさんの考える理想の教え方を整理してはどうでしょうか?Tさんの「こころ」が反映するとおもしろい探求となるように思います。その際に、この問題に関する文献を参照してみてください。

話を聞いていて、たぶん、Tさん自身の英語授業に対する思いを、この調査から、振り返ってみてはどうかと思いました。

興味深い話をありがとう。

2015年4月13日月曜日

2015年度の英語教師研究

Address: http://ltcjapan.blogspot.jp

この授業は、言語教師認知研究(Language Teacher Cognition)を探求します。今年も、基本的に、最初は、私が説明しますが、一人ひとりがテーマをもって探求してください。

例年たいへんおもしろい探求があります。それは原始的ですが、どれも解決しなければいけない大きな課題と結びついています。

今年度も期待しています。

研究会

Language Teacher Cognition