2015年6月15日月曜日

第2回発表

第2回は、二人の方が発表してくれました。両方とも、母校に関係する教師の話でした。教師というのはやはり大きな影響力がありますね。ふだんは意識していなくても、このように調査してみると教師は、良かれ悪しかれ、興味深いと思います。

2 Iさんの「英語教師と国語教師」

英語教師も国語教師も言語教師(language teacher)という括りで考えられるはずですが、母語と外国語という大きな隔たりがあります。中学校の国語の学習指導要領は次のような目標を設定しています。

「国語を適切に表現し正確に理解する能力を育成し,伝え合う力を高めるとともに,思考力や想像力を養い言語感覚を豊かにし,国語に対する認識を深め国語を尊重する態度を育てる。」

しかし、気をつけなければいけないのは、この背景にある国語教育文化ということでしょう。英語ももちろんそうです。学習指導要領が必ずしも現場に浸透しているわけではなく、解釈が変わります。それでも、私は、アンダーラインした「言語感覚を豊かにし,国語に対する認識を深め国語を尊重する態度」は、日本の国語教育の特徴を表しているような気がします。感覚、尊重するという情緒的な要素が入っています。

Iさんが調査対象としたH先生とK先生はどちらも素敵な先生だと思います。よい先生に教えてもらったと考えてよいでしょうね。よい先生はたくさんいます。さらに、一人ひとりのアプローチはみなさん違います。つまり、教え方や指導のしかたに定型はないのです。

二人の特徴を比べてみて、単純に結論を出すのではなく、その事実をていねいに探ることが大切だと思いました。結論はないのですが、一つ一つの事象は実に興味深いですね。そこに、Iさん自身の考え方が反映されるともっと面白い分析になります。対象とした先生には、Iさんが何か惹かれている部分もあるし、疑問に思うこともあるはずです。

その点をうまくまとめて質の高いレポートとしていただきたいと思います。

3Aさんの「通信制高校の英語教育」

Aさんは、教育ということを真摯に考えている人です。それは、ある意味、そのことで苦労したからでしょうね。教師をめざすのかどうかは別として、教育という仕事にかかわるといいと思います。その意味では、たぶん、H先生をもっと探求してみるとよいと思いました。それとともに、通信制、単位制などの高校という学校文化と教師とのかかわりを調べてみるのは意味があるでしょう。

学校は多様です。教育の中で訳ありの人は世界中どこにもいて、苦労している人も多い。むずかしい問題がたくさんあります。個人がすべてにかかわることは不可能ですが、教師は、自分とかかわりのある一つひとつの事例を大切に考えて対処しなければいけません。これは世界中共通ですが、どこまで、どのように、かかわり、どの程度まで責任を持つ必要があるのかは、文化により違います。日本はその点でかなり複雑な役割を教師が背負う危険性が多々あるように考えています。

この授業は英語教師を考えますから、そこに焦点を絞ると、生徒が英語に何を求めるのかにより、教師はそれに対応するのは当然です。通信制高校や定時制高校などは、そのニーズがかなり異なるので、一つひとつの事例によりすべて違うでしょう。ある意味で経験や人間性が要求され、学習全体の指導を要求されます。その意味で、Aさんに影響を与えたH先生は、もっとその背景や信条を探る必要があるかもしれません。

それとともに、Aさん自身の高校時代などを再度ふりかえってみるよい機会がではないかと思います。H先生を通して、Aさん自身を知るよい機会となるのではないでしょうか?レポートは、通信制の母校と、そこで教える先生と、そこで学ぶ生徒の現状などをまとめて、どのような問題があり、自分の経験と重ねて、H先生という人を深く探求してみるとよいレポートになると思います。結論はやはり必要ないでしょう。探求のプロセスが大切です。

二人ともありがとうございました。多少誤解もあるかもしれません。誤字脱字や文章の不備は容赦ください。メモです。

また、次回楽しみです。


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