2012年6月25日月曜日

言語教師認知の研究の意義

言語教師認知をもう一度考えておきましょう。
本研究は確実に進んでいます。日本の教師認知全般にわたる研究の動向は、秋田喜代美(1992)の論文が概要を捉える意味で参考になります。

教師の知識と思考に関する研究動向

授業の中で教師は何をどう考えて教えているのかを捉える必要がありますが、これには多くの要素があり、そう簡単に整理できるものではありません。ある授業で教師がどのように授業をしたかを分析して、ある程度理解できたとしても、それが別の授業で生きるかどうかは分かりません。

英語の授業で、発音で、/r/と/l/の指導をするとしましょう。効果的にその違いを教える方法は様々です。小学生と中学生では違う方法を取ることが必要かもしれません。こどもとおとなでは違うでしょう。母語を日本語とする人とそうではない人でも違います。

さらに、授業のポイントをどこに置くかでも内容は変わります。

・音を認識する → 聞く
・音を発話する → 話す
・意味を理解する → コミュニケーションする

その他に、場面や状況、学習者のニーズや動機なども考慮する必要があります。

これらを総合して、教師は判断して授業を行なっています。その知識や技能を教師が身につける必要があると考えるのが、「教師の成長」ということにつながります。

秋田氏の論文のさいごに、本研究の3つの課題が書かれています。

1 研究方法
2 教師と生徒の認知
3 日本での研究の必要性

この3つの課題は、20年以上を経たいまでも解決されていませんが、徐々に注目を集めてきていることは間違いありません。多くの研究がなされるようになってきました。

しかし、「教える」あるいは「学ぶ」現場ではどうでしょうか?

言語教師認知の研究は、おそらく主流となる研究ではないでしょうが、多くの教育研究、教科指導、言語教育、言語学などに必要な視点です。

国際理解教育という領域では、まず教師が国際理解ということをどう考えているのかが問われるでしょう。

ドイツ語を教えることと英語を教えることなどについても何か違いがあるのか?もしあるとすると、それは何か?言語を教える教師に共通する知識や技能はあるのか?などを考えることも大切です。

予備校というのは特に興味深い教育現場です。日本では欠かせない教育現場であるにもかかわらず研究分野ではまったく無視されていると言ってもよいでしょう。なぜそうなのでしょうか?あるいは、実際にどのような役割をしているのでしょうか?

フィンランドの教育は多くの人が注目していますが、一部が紹介されている程度です。人によっては、「小さな国の教育で、日本には当てはまらない」などと考えています。しかし、多くの地域で教師が何をしているかを知ることはとても重要でしょう。

言語教師認知の研究の意義は、簡単に言うと、言語教師に注目することで、「教える」ことを考えてみることにあると思います。

そのためには、研究方法、授業での生徒との関係、日本というコンテクストの研究は、いまでも求められる研究の方向性を示すものと言えます。



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