2011年6月29日水曜日

塾の英語教師について

日本では、国語教師は何を教えるのだろうか?と考えたことがある。現在はおそらく変わっているだろうが、かなり国語教師は情緒的なことを教えて、日本文化や日本の思想ということにかかわって授業を構成していたように思う。

PISAにおけるリテラシーとは違う能力を教えている印象があるが、現在は違うのかもしれない。

塾での国語教師や英語教師の調査はとても興味が引かれる。私は実態を知らないし、学術的にもどのような目的で調査するかも明確ではないかもしれないし、調べても価値がないのかもしれない。しかし、言語を教えている仕事であるから、共通のことがあるはずである。しかし、実際は相当に違うし、共有することはほとんどないかもしれない。

特に、塾という領域は、日本特有の部分が多く、他の国とはかなり異なる特殊な文化や社会教育システムの上に置かれてきている。これは、昔の寺子屋や藩校の流れにあるものであるとも言い難い。受験戦争という社会構造の中で、塾や予備校として、受験に特化して育まれた教育システムである。アプローチの仕方は様々で、ある思い込みの中で、ビジネスとして今日まで生きてきて、現在では、学校教育よりもある面で重要な位置を占めるまでになってきている。

特に、英語と国語は、受験では主要科目であり、試験で何点取れるかが至上目的である。しかし、それでは生徒が持たないので、あの手この手で、生徒の学習意欲を喚起してきた。ときには、はちゃめちゃな教育もあったろうが、目の前の生徒の判断が第一であり、また、親の判断が重要である。

英語であれば、英語が話せることよりは、テストで問題が解けることが第一なのである。それは長い目で見れば決してよいことではないが、生徒にとっては最も重要なことである。教師をそれを達成しなければならない。

言語教師認知を考える場合、このように塾で熱心に教えている教師を調査することは意義のあることである。塾と学校の教師は、英語を教えるということに関しては、ひょっとすると同じ意識を持っている可能性があるからだ。それは学習指導要領が目指すものとはかなりちがう、ずっと昔から変わらずに存在する集合的英語教師認知かもしれない。

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