2011年5月24日火曜日

様々な言語教師

前回は、language teacher(言語教師)の話をしました。私は、日本では、language teacher という考えが希薄あるいは欧米とは違うと考えています。極端に言うと、日本には、language teacherというコンセプトは存在しないと言えるのではないかと思っています。

つまり、日本では、国語の教師は、漢字を教え、日本の文学を教え、日本の思想を教え、日本的な考えや文化を教えるなどをします。

小学校の学習指導要領は、「国語を適切に表現し正確に理解する能力を育成し,伝え合う力を高めるとともに,思考力や想像力及び言語感覚を養い,国語に対する関心を深め国語を尊重する態度を育てる」とあります。中学校は、「国語を適切に表現し正確に理解する能力を育成し,伝え合う力を高めるとともに,思考力や想像力を養い言語感覚を豊かにし,国語に対する認識を深め国語を尊重する態度を育てる」とあります。両者とも、さいごに書かれている「国語に対する関心(認識)を深め国語を尊重する態度を育てる」が、国語という教科が、単に言語教育というわけではないことを意味していると考えられます。

これは、おそらく、日本だけではないと思いますが、多言語社会からすると、異質かもしれません。

言語教育(ことばの役割とその意味と機能を理解し、ことばを必要に応じてうまく使える指導)は、ひょっとすると、日本では見過ごされている知識と技能である可能性があります。

つまり、国語と英語は教えられているけれども、国語は上記の目標があり、英語は別の目標があります。

このように、「言語教師」というコンセプトをどのように英語教師やその他の外国語教師が理解しているのか、あるいは、国語教師が理解しているのかは、ほとんど調査されていないと考えられます。

そのような言語教師の様々な認知を理解することは、とても重要だと思います。フランス語の教師、ドイツ語の教師、ポルトガル語の教師、あるいは、塾講師など、別の言語教師がどのように考えているのかを調査することは、発端としてはとてもおもしろいことで、有意義です。

教師は、多くのことに影響を与える仕事です。先の戦争でも、大きな役割をしました。どのように荒れた国でもまず教育です。教育は教師が行います。読み書きそろばんだけを教えるだけではなく、それに付随する様々なことを間接的に教えています。

教師の考え、教師の知識、教師の認知過程を探求することは、その意味で有意義です。それも、言語教師にしぼって調査することで、少し言語教育が変わるのではないかと期待するのです。

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