2011年5月29日日曜日

英語教師

英語教師は、どのような経歴があって、どのような授業をしていて、どのような環境にいて、何を考えているのかを知ることはとても重要だと思っています。

人はだれでも信条や信念があります。それは生まれたときから育まれたもので、変えようにも変わりません。あるいは、変えたくもないし、変えてはいけないことかもしれません。人は、それを個性と呼ぶでしょう。個性のない教師はあまり魅力的とは思えません。

「英語教育を科学する」ということは大切ですが、「科学」の意味を間違えると、無味乾燥な授業や学習となってしまいます。授業は生き物ですから、やはり、教師の個性は必要です。受験対策などは、ある面で攻撃の対象となったりしていますが、受験指導でも、人に影響を与えるようなすばらしい授業をしている人もいます。

「使える英語」という観点から、コミュニケーション活動を重視して、様々に工夫して授業をしている人がいます。これもすばらしい授業をしている人がいます。

英語授業を通して、人間教育をする人もいます。これもすばらしい実践の成果を上げている場合もあります。

英語授業は、4技能の効果性だけに注目して、リーディングの力がこのような指導をしたら向上したとか、このような活動をしたら、生徒のコミュニケーション能力がこれだけ上がったとか、ある指導をしたらモティベーションが高まったとか、などなど、効果性だけを話題にする傾向があります。

しかし、それだけが授業の本質ではないのではないかと考えます。より複雑な思考やコミュニケーションが生まれているのが、授業という場面です。教師はそれをむずかしいとも捉えるし、おもしろいと捉えます。人は様々です。教師は様々です。

教師は考えることがまず大切だと勝手に思っています。さて、みなさんはどうでしょうか?

S先生の話は面白かったですね。参考になりましたか?

そろそろみなさんの調査研究の発表です。楽しみにしています。次回は自習ですが、その後、少し整理して発表へとつなげましょう。

2011年5月24日火曜日

様々な言語教師

前回は、language teacher(言語教師)の話をしました。私は、日本では、language teacher という考えが希薄あるいは欧米とは違うと考えています。極端に言うと、日本には、language teacherというコンセプトは存在しないと言えるのではないかと思っています。

つまり、日本では、国語の教師は、漢字を教え、日本の文学を教え、日本の思想を教え、日本的な考えや文化を教えるなどをします。

小学校の学習指導要領は、「国語を適切に表現し正確に理解する能力を育成し,伝え合う力を高めるとともに,思考力や想像力及び言語感覚を養い,国語に対する関心を深め国語を尊重する態度を育てる」とあります。中学校は、「国語を適切に表現し正確に理解する能力を育成し,伝え合う力を高めるとともに,思考力や想像力を養い言語感覚を豊かにし,国語に対する認識を深め国語を尊重する態度を育てる」とあります。両者とも、さいごに書かれている「国語に対する関心(認識)を深め国語を尊重する態度を育てる」が、国語という教科が、単に言語教育というわけではないことを意味していると考えられます。

これは、おそらく、日本だけではないと思いますが、多言語社会からすると、異質かもしれません。

言語教育(ことばの役割とその意味と機能を理解し、ことばを必要に応じてうまく使える指導)は、ひょっとすると、日本では見過ごされている知識と技能である可能性があります。

つまり、国語と英語は教えられているけれども、国語は上記の目標があり、英語は別の目標があります。

このように、「言語教師」というコンセプトをどのように英語教師やその他の外国語教師が理解しているのか、あるいは、国語教師が理解しているのかは、ほとんど調査されていないと考えられます。

そのような言語教師の様々な認知を理解することは、とても重要だと思います。フランス語の教師、ドイツ語の教師、ポルトガル語の教師、あるいは、塾講師など、別の言語教師がどのように考えているのかを調査することは、発端としてはとてもおもしろいことで、有意義です。

教師は、多くのことに影響を与える仕事です。先の戦争でも、大きな役割をしました。どのように荒れた国でもまず教育です。教育は教師が行います。読み書きそろばんだけを教えるだけではなく、それに付随する様々なことを間接的に教えています。

教師の考え、教師の知識、教師の認知過程を探求することは、その意味で有意義です。それも、言語教師にしぼって調査することで、少し言語教育が変わるのではないかと期待するのです。

2011年5月17日火曜日

言語教師認知について概説

前回述べたことをまとめると次のようになります。

・「認知」という用語の問題
・基盤となる社会的認知(social cognition)の考え
 
  人は意図的に環境に影響を与える。
  人は認識を返す。
  社会的認知は自己とかかわる。
  社会的刺激は認知の対象となることで変化する。
  人の特性はそれ自体を考えるのになくてはならない観察不可能な属性である。
  人は、モノが通常変化するよりも時間や環境とともに変わりやすい。
  人についての認知の正確さはモノについての正確さよりも確認するのがむずかしい。
  人は不可避的に複雑である。
  社会的認知は自律的に社会的説明とかかわる。

・ビリーフ研究
・ビリーフと知識と行動
・学習者の研究
・学習者と教師の自律

そこで、私自身は次のように言語教師認知の研究を考えています。

言語教師認知の研究は、大きく変わりつつある言語教育のパラダイム、たとえば、学習者の自律、ICTの利用、CEFRなどの言語教育の枠組、スタンダード、LSP、CLILなど、を英語教師が理解し、効果的に活用することによって、自身の授業を考え直す一つのきっかけとなります。言い換えれば、言語教師認知の研究は、教師のリフレクションやアクションリサーチにつながるのです。さらに言えば、教師認知の研究は、結局は、授業改善、学習、学習者の研究と大きく関連します。単に教師の社会学としても意味がないし、教師の心理学と考えるのも発展性がないのです。

結局、どのような話題であっても、教師にかかわることはすべてテーマです。しかし、それが意外に分かっていないことが多いのです。それぞれ興味のあることをリサーチしてみてください。

次回は、それぞれのリサーチデザインを考えましょう。

2011年5月11日水曜日

日本の英語教師と英語学習に関する教師認知

日本の英語教師についての雑感

日本の英語の先生について、みなさんはどのようなイメージを持っているでしょうか?

中学校の英語の先生、高校の英語の先生、大学の英語の先生、英語の先生と言っても多様です。英語の発音がきれいな先生、海外事情の話をよくしてくれる先生、文法を分かりやすく教えてくれる先生、受験の際のテストのポイントを的確に教えてくれる先生、歌を歌ったり、映画の話をしてくれたり、おもしろい話をしてくれる先生、厳しくて、読んで訳してテストするだけの先生などなど。

中学校の先生のイメージは、その後の英語学習への興味を左右するとよく言われます。また、中学校の英語の先生と高校の英語の先生の教え方が極端に違うという話も耳にします。

大学の先生は高校の先生の指導を批判し、高校の先生は中学校の先生の批判をし、中学や高校の英語の先生は大学入試を批判し、英語母語話者の先生は日本の英語の先生の批判をしたりすることがあります。

日本の英語教師についてのみなさんのイメージはどうでしょうか?フランス語、ドイツ語、ポルトガル語の教師と違いますか?

前回は、言語学習について話しました。話があちらこちらと行きましたが、教師認知的におもしろいポイントがいくつかありました。

簡単にまとめると次のようなことがありました。もっとあったかもしれません。

文法・訳読、CLTの問題
学習スタイルの問題
授業での母語(日本語)の問題
読書と言語学習の問題
通訳・翻訳と言語学習
言語活動の意味
ことばへのこだわり
英語学習と英語授業(英語授業とは?)
学習ストラテジー
個々を大切にした指導
言語学習と音声
日本の学校教育における英語学習
受験英語の効果と影響 
帰国子女の意味
音読や暗唱は会話につながる 
習ったことと使うこと
オーセンティックな教材の意味
英語以外の外国語の学習 
文法学習の問題
海外生活の意味
ネイティブスピーカー
読み聞かせ
英語という言語と英語科目
カタカナ語

続いて、それぞれが追求したいテーマについて一言:

フランス語教育の現状とフランス語教師のフランス語教育の考え方と英語教育について調べることはおもしろいと思います。予想とすると、フランス語教育の先生の方が、CLTや最近の言語教育方法の動向について敏感かもしれません。英語教育は、大学の場合、従来の英文科的な発想と新しい言語教育の発想が極端になっていることが予想されますが、英語は、とにかくTOEICなどのテスト指向が強いでしょう。
フランス語の先生の教師認知を調べる一つの基準に、アンケート調査か聞き取りの調査をしてみるとよいと思います。

教科書は、やはり教える上でも学ぶ上でも重要です。多くの外国語教科書は、CLT的な構成になっています。つまり、場面や機能にもとづき、タスクをすることで外国語を身につける。文法や語彙はその場面や機能に関連して説明されるという構成です。日本の中高の教科書構成は必ずしもそうではありません。そのあたりを較べてみて、教師が教科書をどう意識して、どう教えているのかも併せて調査すると意味があります。

外国語教育の意義というテーマですが、相当に広いです。なぜ外国語を学ぶのか、どのように外国語を学ぶことがよいと考えるのか、言語というものをどう捉えているのか、などを、教師がどう考えているのかを調査するとおもしろいでしょう。外国語を教えている先生は、基本的に、語学が好きで、外国に興味をもっているでしょう。あるいは、関係の外国の文化に興味を持っているかもしれません。しかし、最近では大学の先生は、必ずしもそのような先生ではなく、専門は全く別で、仕事上、外国語を教えている人もいるかもしれません。日本人が外国語を学んでいる意義をそのような教師がどう考えているかは興味あるところです。

日本語を母語として外国語を教えている教師は、ネイティブスピーカーとは違う考え方をしている可能性はあります。たとえば、日本人は日本や日本語を特別に考える傾向が多少あるように思います。たとえば、日本語を使う場合と英語を使う場合に極端に性格まで変わってしまうような人がいます。私が高校教師のときは、あまり世間を知らなかったので、英語を話す場合はテンションを上げなければいけないと思い込み、悩んだこともありました。外国語学習経験や外国居住経験が教え方にも大きく影響を与える可能性があります。そのあたりを調査してみるとおもしろいでしょう。

言語教師認知の研究は、いわば「臨床言語教育」です。実際の場面の具体的な行動や思考に焦点を当てて、探求し、自分を見つめることです。