2016年12月19日月曜日

望ましい言語(英語)教師のあり方

今回は、AさんとIさん、二人の発表でした。たまたま、同じトピックを異なる視点で考えているようです。

Aさんはまだこれから教師を目指して勉強し、Iさんは4月から実際に英語教師として教壇に立ちます。

望ましい(求められる)言語(英語)教師(good language teacher)という研究や実践はたくさんあります。多くは、アンケート調査や聞き取り調査や、あるいは、優秀であると考えられる経験豊かな教師の思いから生まれたものです。どれも似たりよったりです。簡単に言うと、いわゆる「べき論」となります。しかし、科学的に検証して望ましい教師を特定したとしても、それが、その人がなりたい教師とは違うかもしれません。

結論から言うと、AさんとIさんは自分の考えと経験でこの課題を論じてよいと思います。リサーチとしてはその時の根拠がどこにあるかが大切です。「人は複雑です」「教師も複雑です」しかし、英語を教えることはシステマティックで、ダイナミックです。言い換えれば毎回チャレンジです。同じことを同じようにしているわけには行きません。だから別の言い方をすると毎回面白い。下の図は、私が日本で英語を教えている人の教師認知を表したものです。


私は、この図である程度納得しています。たかが英語教師ですが、多様な要素の影響を受けて常に動いています。達することはおそらくないでしょう。でも、このような多様な要素の影響を受けて、授業で何をどう教えるか意思決定を常に教師は行なっているということを理解しているかどうかはとても重要です。

教師は教えるとき誰かをモデルとします。モデルがいなければ、何科を拠り所にします。それが人によっては「達人」であり、「〜指導法」であり、自分の研究であり、経験であり、政策であり、・・・となります。上の図は、日本の伝統的な教育の歴史と学習指導要領が、日本の中高の英語教師にとって大きな無視できない要素です。どんなに頑張っても、私学であっても、その要素から逃れて英語教育はできません。しかし、だからと言って、それが悪いということでありません。

さて、AさんとIさんの発表に戻りましょう。Iさんが行なった聞き取り調査は興味深いです。Aさんも設定した課題に対して、何らかの調査をすることが大切です。調査は素朴なことでよいですが、本当にそうかどうか?あるいは、本に書かれていることを人はどう考えているのか?不思議なものですが、かなり多様な意見があると思います。

つまり、Aさんは(社会などから)「求められる」で、Iさんは(教師が生徒が)「望ましい」ということです。アプローチが違うので当然異なる結論になるでしょう。その際に、この研究の意味は、自分にとってプラスになっているかどうかです。

プラスになればよい調査だったということになるでしょう。

2016年12月11日日曜日

規範意識とほめ方・叱り方

まず、レポートについて少し訂正して詳しく書いておきました。読んでください。

リサーチデザインとレポートと評価について


Sさんの発表でした。ありがとうございます。簡潔な発表でしたが、色々と考えさせる問題で面白かったですね。内容は、文献にもとづいた内容で、一般的な規範意識とほめ方・叱り方の話でした。レポートは実態や事実や事例などを期待しましょう。

さて、学校であれ塾であれどこであれ、指導する立場の人とそこに集う人はある規範意識を持つ必要があります。言い方を変えれば、ルールが必要です。ゲームをするにはルールがなければ面白くないし、成立しません。サッカーがあれほど世界中に広がり愛されているのは、シンプルであるにもかかわらず、不十なルールがしっかりしているからでしょう。つまり、便利は手が使えない、というルールです。

学校での規範意識は、生徒指導や道徳教育と結びつきます。政策的には、文部科学白書などで言及されます。

第4章 世界トップレベルの学力と規範意識等の育成を目指す初等中等教育の充実

また、東京都は教師や大人にアンケートをして次のような冊子をまとめています。

子供たちの 規範意識を - 東京都教育委員会

教育の領域でかなり議論されている内容です。私塾などでの教育も基本は同様の考え方をしていますが、おそらく寺子屋的な日本の伝統的な教育に根ざした規範をこどもに提示しているようです。

英語では、norm awarenessという言葉がそれにあたるのでしょうか?昔は、教師教育をする高等機関を、normal school(師範学校)と言っていました。つまり、教師自体が規範を示すことがまず内在化しているということでしょう。今はそうは言いません。規範は教育と文化とは切っても切れないものです。他の国との比較は結構難しいかもしれないですね。英語という授業を考えた場合は、その授業の中でもルール設定は意外に悩みます。英語のコミュニケーション能力を育成し、英語を使う文化に触れながら、英語を教えるとすると、インターカルチュラル・コミュニケーション能力(intercultural communicative competence)を考慮する必要が出てきます。

Sさんは英語の教師ということではなく、ほめ方・叱り方について話をしました。一般的な規範とそれに基づくほめ方・叱り方ということです。おそらく、ある程度の方法論は当然あるでしょう。そのテクニックも理解しておくことは重要だと思います。

授業でも議論がありましたが、ほめ方・叱り方には人それぞれです。また、状況に応じると思います。誰かの真似をしてその通りやってもうまく行かない場合があります。また、本に書いてあったことをそのままやってもすべてその通りの結果が得られる訳ではありません。Sさんも多分そのことは分かっていて、規範意識との関係性を考えたいのだと思います。

有能な教師は、規範をうまく作り、こどもの扱いが上手な人だと思います。そのコツを理解して、それがうまく使える人です。個人的には、ほめ方・叱り方などということではなく、多分教育の本質がプラグマティックに分かっている人だと、私は思います。

この授業は英語教師を考えるという枠組なので、英語教師に関して言うと、私自身はやはり英語を学ぶ意欲を生み出す環境とコミュニケーションということを意識できるルールを授業に導入することが大切だと思います。英語を学習とばかり考えていては、いつまでも学習から抜け出せません。使うことが大切です。また、それに関わって、ほめる、叱るということを考えると、的確に英語に対する積極的な意識をほめて、英語に対する消極的な意識を叱り、あるいは、諭し、自律して英語を学ぶ力を身につけられるように支援します。うまくいくかどうかは、結局学習者にあります。教師はそこまで責任を負う必要はないでしょう。

レポートでは、実態を踏まえて、ぜひ深く探求してみてください。








2016年12月4日日曜日

言語教師に向いている人

Fさんの発表でした。Fさんは第2言語習得(Second Language Acquisition)に興味を持ち、ただいまその基礎を勉強しているようです。言語学習を研究する上では欠かせない学問領域となりました。どのような領域もそうですが、学問というのは分類(taxonomy)を基本として統合にはなかなか向かない傾向があります。SLAは、習得の順序。誤答分析、学習者言語、中間言語などなど、現在は多様な領域に細分化され、その一つ一つがそれぞれ重要な研究領域として確立している。Fさんはまさにそれを始めたばかりで、少し頭でっかちになっているのかもしれません。

私は英語教師としてSLAも勉強しています。若い頃は英語教育も科学的であるべきだと考えて(そういう時代でした)、Krashenの仮説にもとづいて授業を組み立てていました。授業の記録をとり、テストのデータをもとに仮説検証実験的なことを繰り返していました。しかし、どう考えても日々の授業はそうは行きません。教育の場面では何が起こるかわかりません。それに対応しなくては指導はできません。理論と実践はなかなか整合しないことが多いです。

ただし、その中でも、私はcommunication strategyを特に研究した時期があります。学習者言語はどうしてもある時期中間言語的な言語使用の時期があります。また母語話者を理想形とするのも間違いです。統語的にも意味論的にも語彙論的にも言語習得には多様な道筋があると直感的に思います。教師としてはそのような理論を的確に理解して指導することは重要です。

しかし、Fさんも言っていたように、時にSLAの研究は実際の教育現場と遊離していると批判されます。言語教師の研究はそこが大切です。おそらく研究者の人は自分のやっていることが間違いなくSLAは実践に役立つと思っています。考え方の土台が違っているのです。人はみんな違います。自分と同じように考える人もいますが、そうは考えない人もたくさんいます。

そのような学習者の適性や個性と関連させたSLAの研究に焦点を当てて話してくれました。その話自体には特段コメントしません。しっかりと勉強して自分に興味のあるSLAを追求することが大切です。教師となる人にはやはりSLAの知識は必須です。また、教師としてやっていくにもSLAの研究は面白いし役立つでしょう。私が研究している言語教師認知という研究は、SLAを補完するものだと確信しています。

私は、Fさんがさいごに述べていた結論ー新しいこと好きのメリハリを持った「のほほん」とした性格の持ち主が英語教師として向いているーに興味があります。また、それに付随するSLAの観点から教師が持つべき資質のことをまとめていました。ここに至る論拠がよくわかりません。Fさんがもともと持っている英語教師のイメージと現在勉強しているSLAの知識がもとになっているとは思いますが、どうしてなのでしょうか?それを根拠を持って論じることが、おそらくSLAの研究につながるでしょう。

授業の時にも言いましたが、私の結論は、

どのような性格の人も英語教師には向いている。が、自分の個性や知識や特性を理解している必要があり、それにもとづいて指導できることが大切です。

根拠は、あちらこちらで発表した論考に書いてあります。

とても興味深いテーマです。Fさんが、このテーマに対して独自のデータを示すことで論じてもらうことを期待します。簡単なリサーチをお願いします。文献だけでは面白くない。

以上です。思いついたままに見直しもしないで書いてます。誤字脱字、誤解はご容赦ください。

2016年11月28日月曜日

教師の言葉かけについて

1.  Tさんの発表

Tさんは、英語教師の言葉かけについて話してくれました。とてもおもしかったです。ありがとうございます。授業や指導において、教師の役割としては重要だと誰もが直感的に思うことです。が、結構反省することが多いことでもあります。

さて、これは英語ではどう言うのでしょうか?日本語では「言葉かけ」は、教師が生徒にかける言葉で、私の印象としては、情緒的な要素が強い感じがします。英語ではこれにぴったりする言葉がないかもしれません。少し日本的な言い方かもしれません。

英語では、おそらく、

Teacher talk
Teacher feedback
Teacher language

 などと言うのかもしれません。

Tさんが示してくれたいくつかの教師と生徒のやりとりを見ていて、日本の英語の授業のやりとりに少し特徴があるような気がしました。しかし、Tさんが取り上げたのが悪い例なのでそう感じたのでしょう。多くの場合は適切な言葉かけが行われているはずです。

特徴の一つはクラスサイズです。日本のクラスの生徒数は、40人が標準で、40人相手にやりとりするということは、10人、20人を相手にするのとは違います。大学は20人ちょっとが標準となっていることが多く、そこで英語を使うことはそれほど難しいことではありません。が、40人となるとコミュニケーションのパターンが変わらざるを得ません。

いわゆるそれに合わせたTeacher talkが必要になります。その場合、Corrective feedbackはやはり難しくなります。欧米の文献で紹介されているもの、あるいは、ネイティブスピーカーが行うESLのような授業とは違うと考えたほうがいでしょう。一人の人に話すことを全体に話すようにしなければいけません。このような教師内の談話分析は重要です。

Clean language (McCracken, 2016)という本があります。その中で、Clean languageは、

Clean Language seeks to minimise miscommunication and misconceptions and create deep, personalised learning experiences for each child.

というように定義されます。教師は授業での言葉使いに注意しなければいけませんが、これは母語の話で、外国語の話ではありません。

また、これは、Teacher languageとも言われるようです。

Teacher language—what we say to students and how we say it—is one of the most powerful teaching tools. Through careful use of language, we can support students as they develop self-control, build their sense of community, and gain academic skills and knowledge. The Responsive Classroom approach offers specific language strategies for various areas of teaching. These strategies range from asking open-ended questions that stretch children’s thinking to using respectful reminding and redirecting language when children’s behavior goes off track.

https://www.responsiveclassroom.org/the-power-of-teacher-language/

何れにしても教師は発話には注意しなければいけません。

しかし、Tさんが提示した問題は、単に言葉かけが重要だということではなくて、日本の英語の授業での教師と生徒とのやりとり、あるいは、何を教えているか?ということが、ひょっとしたら日本の授業の特徴があるのかなと思ったことです。

つまり、日本の英語の授業は、学習指導要領が述べる「コミュニケーション能力の育成」ではなくて、多くの場合、結局受験やテストのための、あるいは、学習のための英語 という感じが強くしました。

悪い事例の教師の言葉かけが、なぜそうなってしまったのか?例えば、生徒が言ったことに、過剰に反応したり、あまり聞かないで適当に反応したりしてしまうのはなぜなのか?教師はその時に何を考えてそう反応してしまうのか?日本語だったらそうは反応していないのか?日本語でもそう反応しているのか?などなど。

Classroom English

は教師となる人は一応練習します。教育実習などではそれを使うようにするでしょう。また、英語の教師はそれを使っていると、なんとなく英語で授業をしていると考えるでしょう。それはなぜでしょうか?

Tさんの言葉かけの話の中には多くの話題が入っていました。これから考えるべき多くのヒントが入っていました。逆に言うと、かなり多くの要素が入っているので、多少整理すると良いと思いました。

つらつらと思いつくままに書きました。次回の発表も期待したいところです。

ありがとうございました。

2016年10月12日水曜日

2016年英語教師研究

2016年は後期開講となりました。履修する人の顔も違い、また、私自身も変わり、世の中も変わります。

一口に「英語教師」と言っても、普遍ではなく、常に変わっています。今日の英語指導が明日も同様でよいとはいきません。

教師が考える英語教師と、英語の先生になろうとする人が考える教師と、全く関係のないところから見る教師は、違って見えるでしょう。

さらには、英語教師と他の外国語の教師も違います。小学校、中学校、高校、大学、社会人の英語教育も違います。

この授業は、そのような環境で、多様な観点から見る英語(あるいは外国語)教師を考えましょう。誰もがお世話になる英語教師、その英語教師によって学ぶ英語、そんなことを考えることはあまりないはずです。が、この授業では少しだけそのことを考えましょう。

私が教えるというよりも、ともに学ぶ、ということです。

今ままでどんなことを考えてきたかは、このブログから多少理解できると思います。時間があったら覗いてみてください。

楽しみです。

笹島茂