2015年6月21日日曜日

第3回発表

昨日は、本日発表のT さんの案内で都立国際高校を訪問し、IBのクラスや、その他の英語の授業を参観しました。たいへんよい機会でした。教師を考える場合に、その状況を理解することは欠かせません。その意味で、この授業は、教師が教えている現場の理解も研究の重要な要素です。本日は、二人の発表をもとに考えます。

4 Mさんの「教育実習を終えて」

Mさんは、母校で教育実習を終えました。その体験をもとに本日の発表を構成しました。教育実習は、本来の教員養成システムからすれば、最も重要ですが、教師としてやっていくには、非常に短い期間です。そのために、現場でボランティアや、その後の事前研修などが行われ、教師教育を継続的に行うようになってきています。3週間という短い期間であるために、実習生にとっても生徒にとってもかなり濃密な時間となることも多く、ある意味で貴重な体験です。

Mさんは、特に指導教官の先生の話しをしてくれました。優秀でよい先生はあちらこちらにいます。Mさんにとってはよい出会いだったと思います。母校は、Super Global High Schoolの指定を受けて、多様な取り組みをしています。たぶん仕事は忙しくなってきているのではないでしょうか。教師にとってはよい面もあれば、わるい面をあるでしょうが、生徒にとってはよいことだと思います。その中でMさんはかなり忙しい実習活動を行ったようです。結局、その体験はMさんが教師としてやっていくことに大きな意味があったようです。やはりその意思決定の大きな要因は、実際に教壇に立って「教えた」という体験です。それとともに、その体験を支援した教師と、いっしょに実習した仲間と、そして生徒です。その中でも指導教官の役割はかなり大きいと考えられます。

指導教官の先生は、「学び」ということをよく考えている先生のようです。単に英語を教えるという技能的なことだけではなく、教育の本質的なところを大切にしていると思いました。今の時代では、このように哲学を持って「教える」ことに携わることがたいへん難しくなっています。たぶんTさんの影で、指導教官の先生はいろいろと苦労した点もあったと思います。Tさんには見えない多くの部分があるとは思いますが、Tさんの視点から見た指導教官観はたいへん興味深いものでした。Tさんは授業をしなければいけないので、指導教官の先生の教え方をある程度踏襲しながら、「為すことによって学ぶ(learning by doing)」という実践的な「教える」という体験をしました。分析はそれをもとにしたものです。Tさんが工夫した授業は、Tさん自身が持っている指導観、あるいは、指導ビリーフです。それをもとに、指導教官の先生の教え方や指導観を参考にしました。

この英語教師研究の授業では、このような自分自身の指導観(あるいは言語教師認知)と指導教官の指導観を、相互作用的に見てみることが大切だと思っています。つまり、ある授業の意思決定をする際に、指導教官の何がどう自分の指導観に基づく授業案あるは授業に影響したのか、あるいは、影響しなかったのか、などです。教育実習の自分の「こころ」の動きと、指導教官の「こころ」の動きがどう関係するのか、さらには、それが自分の授業や今後の教師としてやっていくことにどう関係するのか、など、そのようなことが考えられると面白いと思いました。

5 Tさんの「言語教師の認知プロセス」

Tさんの発表は、Tさんにとってはとても大きな存在である一人の英語教師の「教えること」や教育観あるいは教師観などの認知プロセスあるいは教師認知(teacher cognition)の分析です。私の研究ではこれを「教師のこころ」と言っています。このような分析はとても貴重だと思っています。なぜかと言えば、様々な意味で、その影響を与えた先生がTさんのロールモデルとなるからです。

その意味から、このような調査と分析はTさんにとって重要だと思いました。というのは、教師は多様です。また、教え方、学び方、教育、生き方などなど、かなり異なっていることが多少わかっています。一つの考え方にこだわると、それはずっと変わることがないのが普通です。それは、よい方向に向くと生徒にとってもよい影響を与えます。それがTさんの例だと思います。逆に、わるい方向に向くと、悲劇となることもあります。日本の教育の特徴はある面で閉鎖的です。時に息苦しい面もあります。一つのレールから外れると、レールがもうないというような状況もありえます。その意味で教師の認知や「こころ」を探求することは重要だと、私は考えています。

発表の際に話したとおりですが、インタビューや他の生徒の見方などから分析したTさんの恩師である教師の認知プロセスは相当に複雑です。この発表はその意味からTさんの認知プロセスでもあります。この調査分析をとおして、Tさん自身を見るチャンスでもあります。たとえば、なぜ自分は恩師の先生の影響を受けたのか、どの点が影響を受け、どの点は影響を受けていないのか、自分が見ている恩師は他の生徒が見ている恩師と同じかどうか、などなど。

さらに、別の面で面白いと思ったのは、各生徒のそれぞれの見方を少し整理して、恩師の先生にさらに尋ねてみたらどうかと思いました。Tさんと先生はかなり信頼関係があり、率直にいろいろと話せるようなので、もっと本音が聞けそうだと考えるからです。さらには、Tさんは教師を目指し、先生の指導法に共感を持っているからです。これは、Tさん自身の教師認知の形成にはよい影響を与えると思います。もちろん、その方が調査の質を高めるし、自分だけの思い込みではない、reflexivityを考慮するからです。

Reflexivityは、日本語に訳すのがむずかしいので、わかりやすく説明すると、「自分を他者や対象に反射させて、ふりかえってきちんと論理的に考えること」です。つまり、Tさんの調査で言えば、ある教師が、「教える」にあたり、何をどう考え、その背景にどのような信念があり、どのような学び方をして、何を知り、何をどう学んだのか、そして、何をどう考え教えるのか、さらに、それをどうふりかえって、これからどう教えようとするのか、などの認知プロセスを、その教師とともに、Tさんの鏡をとおして見て、分析するというその過程で、reflexivityをきちんと考慮するということです。

ちょっとむずかしいでしょうか?でも、やってみてください。おもしろいと思います。

発表を聞いていると、いつも勉強になります。みなさんの率直な思考を期待しています。

2015年6月15日月曜日

第2回発表

第2回は、二人の方が発表してくれました。両方とも、母校に関係する教師の話でした。教師というのはやはり大きな影響力がありますね。ふだんは意識していなくても、このように調査してみると教師は、良かれ悪しかれ、興味深いと思います。

2 Iさんの「英語教師と国語教師」

英語教師も国語教師も言語教師(language teacher)という括りで考えられるはずですが、母語と外国語という大きな隔たりがあります。中学校の国語の学習指導要領は次のような目標を設定しています。

「国語を適切に表現し正確に理解する能力を育成し,伝え合う力を高めるとともに,思考力や想像力を養い言語感覚を豊かにし,国語に対する認識を深め国語を尊重する態度を育てる。」

しかし、気をつけなければいけないのは、この背景にある国語教育文化ということでしょう。英語ももちろんそうです。学習指導要領が必ずしも現場に浸透しているわけではなく、解釈が変わります。それでも、私は、アンダーラインした「言語感覚を豊かにし,国語に対する認識を深め国語を尊重する態度」は、日本の国語教育の特徴を表しているような気がします。感覚、尊重するという情緒的な要素が入っています。

Iさんが調査対象としたH先生とK先生はどちらも素敵な先生だと思います。よい先生に教えてもらったと考えてよいでしょうね。よい先生はたくさんいます。さらに、一人ひとりのアプローチはみなさん違います。つまり、教え方や指導のしかたに定型はないのです。

二人の特徴を比べてみて、単純に結論を出すのではなく、その事実をていねいに探ることが大切だと思いました。結論はないのですが、一つ一つの事象は実に興味深いですね。そこに、Iさん自身の考え方が反映されるともっと面白い分析になります。対象とした先生には、Iさんが何か惹かれている部分もあるし、疑問に思うこともあるはずです。

その点をうまくまとめて質の高いレポートとしていただきたいと思います。

3Aさんの「通信制高校の英語教育」

Aさんは、教育ということを真摯に考えている人です。それは、ある意味、そのことで苦労したからでしょうね。教師をめざすのかどうかは別として、教育という仕事にかかわるといいと思います。その意味では、たぶん、H先生をもっと探求してみるとよいと思いました。それとともに、通信制、単位制などの高校という学校文化と教師とのかかわりを調べてみるのは意味があるでしょう。

学校は多様です。教育の中で訳ありの人は世界中どこにもいて、苦労している人も多い。むずかしい問題がたくさんあります。個人がすべてにかかわることは不可能ですが、教師は、自分とかかわりのある一つひとつの事例を大切に考えて対処しなければいけません。これは世界中共通ですが、どこまで、どのように、かかわり、どの程度まで責任を持つ必要があるのかは、文化により違います。日本はその点でかなり複雑な役割を教師が背負う危険性が多々あるように考えています。

この授業は英語教師を考えますから、そこに焦点を絞ると、生徒が英語に何を求めるのかにより、教師はそれに対応するのは当然です。通信制高校や定時制高校などは、そのニーズがかなり異なるので、一つひとつの事例によりすべて違うでしょう。ある意味で経験や人間性が要求され、学習全体の指導を要求されます。その意味で、Aさんに影響を与えたH先生は、もっとその背景や信条を探る必要があるかもしれません。

それとともに、Aさん自身の高校時代などを再度ふりかえってみるよい機会がではないかと思います。H先生を通して、Aさん自身を知るよい機会となるのではないでしょうか?レポートは、通信制の母校と、そこで教える先生と、そこで学ぶ生徒の現状などをまとめて、どのような問題があり、自分の経験と重ねて、H先生という人を深く探求してみるとよいレポートになると思います。結論はやはり必要ないでしょう。探求のプロセスが大切です。

二人ともありがとうございました。多少誤解もあるかもしれません。誤字脱字や文章の不備は容赦ください。メモです。

また、次回楽しみです。


2015年6月8日月曜日

第1回発表

第1回の発表です。

毎年、メンバーが変わると展開も異なります。英語教師をどのような立場でどう見るか、あるいは、そこに集まった人が英語教師という対象をどう考えているか、という相互作用です。

今年度は今年度でおもしろい展開になっています。基本的に私は「何かを教えよう」とは考えていません。それぞれがどう「英語教師」という対象をどう考え、興味を持ち、探求するかを、いっしょに考えていくというスタンスです。

本日は、その第1回発表です。

1. Tさんの「理想の授業」

自分の母校の英語教師の教え方を振り返って考え、その教師にインタビューしました。ポイントは、教師の海外体験ということがどのように教え方に反映するかということです。調査の視点はとてもおもしろいと思いました。日本の英語の教師の中で、それほど多くの人が海外での生活や学習の経験しているわけではありません。海外での体験は教師の教え方に大きく左右する可能性はあります。しかし、教師の教え方がそれだけで変わるかどうかはわかりません。これは直接「海外での体験が現在の指導にどう影響していますか?」という質問が必要で、それに対して、さらに追求してみる必要があるでしょう。

私は、それよりも、Tさんの話を聞いていて、Tさん自身の「理想の英語授業」というものを知りたいと思いました。3人の先生の教え方、3人の先生とTさんとの相性、Tさん自身のカナダでの体験、そして、現在の英語とのかかわり、などなどです。

理想の授業というのは、だれもがばくぜんとイメージします。が、現実はそれほど簡単ではありません。コミュニケーション活動ばかりでもいけないし、英語で授業をすればよいというものでもありません。大学受験というニーズがあれば、それに応えるのが教師の役割でしょう。英語を使って仕事がしたいということがあれば、それを支援するのも大切です。英語でもどの言語も、使えるようになるためには、個々の努力が必要で、その努力を効果的に引き出して、支援することが、教師には求められます。

しかし、教師も自分の学習体験があり、英語学習のしかたに関するビリーフを持っています。また、それぞれの教師はそれぞれの性格があります。様々な要因が、授業での意思決定に作用します。また、そのときの状況により、予想もしない展開となることもあるでしょう。

海外の体験が教師の教え方を左右するとしたら、それは何か?また、その体験は、Tさん自身の体験と重ねてどうだろうか?文法や訳読などを中心とした教え方は、本当に、海外体験がないことと関係するだろうか?など、考えながら、Tさんの考える理想の教え方を整理してはどうでしょうか?Tさんの「こころ」が反映するとおもしろい探求となるように思います。その際に、この問題に関する文献を参照してみてください。

話を聞いていて、たぶん、Tさん自身の英語授業に対する思いを、この調査から、振り返ってみてはどうかと思いました。

興味深い話をありがとう。