2013年7月18日木曜日

第6回発表を終えて

コメントが遅くなりました。とうとう終わってしまいました。

さて

21 K6さんの教育実習での先生について

K6さんも教育実習に行った経験を話してくれました。自分の母校だそうです。教育実習は先生になるために必要な実習ですが、実に様々な経験をします。この経験を調査した報告はあまり表に出ていません。およそ3週間がふつうですが、その3週間にどのくらい授業をして、授業についてどう指導されるのかはまったく混沌としています。それが現実と言えば現実ですが、ちょっと考えてみるとおかしなことかもしれません。

さて、K6さんは教育実習でお世話になった先生二人のことを話してくれました。どちらもいい先生のようです。一人は、Phonicsの指導では有名な先生で、ある面きちんとした指導をしてくれる先生です。生徒は安心して学習できるのではないでしょうか。Phonicsはきわめて自然な教え方です。文字を見て、その並びのパタンにそって発音するという実に単純なものです。ただ例外も多いのが英語です。

            one       t-one        m-one-y     

このあたりをどう指導して、学習者がこつをどうつかむかでしょうね。私はよい方法だと思います。特にラテン語系は生かせます。

もう一人の先生は、おだやかで生徒を安心して学ばせているのでしょう。これも私は重要だと思います。先生の影響で英語が好きになったり嫌いになったりするので、先生のパーソナリティとアプローチは、工夫が必要です。

授業の基本は、やはり人と人のコミュニケーションですから、幼くなればなるほど先生の存在は大きいです。先生と生徒の相性はあまり科学的ではないので話題になりませんが、確かに重要です。大学生になれば先生の教え方はあまり関係なく生徒のほうが賢い場合もありますから、問題になりませんが、小学生や中学生はそうはいきません。その意味からK6さんの発表は興味深いものでした。

22 K7さんのカンザス留学経験

K7は先生になりたいと考えています。この授業は聴講生として受講していました。私としてはうれしいかぎりです。授業を授業ではないかたち、教えるというのではなくみなさんで言語教師を考えようという趣旨でこの授業を担当しています。その意味から言えば理想的です。評価を出す必要もないので、言語教師認知の研究に純粋に興味を持ってくれたということです。ありがたい。

さて、カンザスでの留学経験はK7さんにとってはとてもよい経験だったようです。教育社会学という勉強をしたということですから、ただ単に語学留学というわけではないので、ある意味で大学院的な経験です。留学というのは、ただ外国に行って社会文化などの体験をするという感覚が強いのですが、私はいつもそれはあまり意味がないと思います。やはり意味のある留学をすべきです。資格を取る、留学したらその国で仕事をする、住む、などです。ただ単に行くだけならば、留学などとは言わず、「ちょっと行ってくる」でよいと考えます。乱暴ですが。

このクラスでは、様々な背景を持っていながら、英語を教える教師になろうとしている人、すでに教えている人がいます。単純にある国に行ってなんらかの学習や生活経験がある人、そうではない人など、ほんとうに様々で、それにより微妙に教育や学習に対する考え方が違います。どれがよいかはおそらく正解はないでしょう。それとともに、同じように生徒も異なる背景があり、想像しにくい環境にいる生徒にも出会うでしょう。そのときに自分の価値観を押し付ける事のないようにできるためには、きっとK7さんのカンザス体験は生きるはずです。

23 S3くんの英語学習について

S3くんはいろいろなことをよく考えていて、アイディアもたくさんある人です。英語学習については自分自身の考え方を追求しています。元気もあるし、教えることに熱心です。それとともに、もっと深く何か自分が納得できることを見つけたいのでしょう。これからが楽しみです。話はおもしろく聞かせてもらいました。突拍子もないことを述べているようですが、結論は至ってまともです。インプットが大事、英語は英語、間違って当たり前。S3くんは、それを書物ではなく自分で納得したことが重要です。

面白かったのは、英語に対する意識でした。アメリカ英語、英国英語、オーストラリア英語など、あるいは、いわゆるネイティブスピーカーとそうではない人、帰国子女と日本にずっといる人など、英語学習に対してすごく根強い意識があるのだと改めて思いました。英語はたかが英語、日本語もたかが日本語と、私は思っていますが、やはり本物の英語という意識が強いのでしょう。たしかに、多くの国でそうです。英語ネイティブスピーカーはそれだけで仕事になったりする時代がずっと続いています。それっておかしくありませんか?と、私はS3くんのおもしろい話を聞きながら考えていました。

「英語をものにする」のは英語学習者にとってはけっこうたいへんです。でも、ちょっと考え方を変えてみませんか?そんなに英語の知識や技能を磨く必要はないのではないでしょうか?ある程度できればいいじゃないですか?英語を使いながら何かを勉強して、英語に触れていれば、自然に英語はその分野では使えるようになります。ある分野で使えるようになれば、それを応用して、別の話題でもなんとかなります。ことばってそんなものではないでしょうか?もちろん英文学や英語学を研究する人は別です。しかしだれもそうなる訳ではありません。

S3はいい先生になると思います。ぜひ先生になってもらいたいですね。ただ一言助言するとすると、謙虚であり、独りよがりにならないで欲しいということです。生徒はいろいろです。その一人ひとりの生徒を大事にしてほしいと思います。もっと勉強してすばらしい教師となってください。応援します。

ということで、すべての発表が終わりました。みなさん、ありがとう。何度も言いますが、一番勉強になったのは私です。これからもいろいろと活躍して教えてください。

いつでもメールください。
Good luck!

笹島茂
sasajima@saitama-med.ac.jp





2013年7月14日日曜日

第5回発表を終えて

いよいよこの言語教師認知の授業も終わりに近づきました。そろそろみなさんも気づいたと思います。おもしろいと思う人も入ればつまらないと思う人もいる。人はそれぞれです。それでよいわけですが、その問題を少し「人」という視点で探索してみましょうというのが言語教師認知の研究の基本だと思って、私はやっています。

そういうわけで、この授業を一番楽しんでいるのは私でしょう。

しかし、ちょっと忙しくて、今日は多少雑な(いつも雑かもしれない)感想になることをお詫びします。

17 S2さんの受験英語について

S2さんは教師になる訳でもなく、教育の勉強をしている訳でもありません。経済の勉強をしています。なぜこの授業をとったのかはここでは省略しましょう。とりあえず、何か役に立ったことを祈りましょう。

今日の話は、S2さんが自分の高校時代を振り返って自分が教わった先生についての振り返りでした。私が印象に残ったのは、それぞれの先生がそれぞれ異なるアプローチをしていたということを指摘した点です。タイトルにあるとおり、高校の学習の主たる目的が、大学に入学するためとなっていることに、大きな問題があります。英語学習に関しては、おそらく多くの人がそうではないでしょうか。大学に行く目的が明確ではない人には、おそらく部活動であったり、アルバイトであったり、友人であったりと、高校時代はやはり人生の中で重要な時期です。

日本の高校教育は、いろいろと批判されたりもしますが、それほど悪いものではありません。私も高校教師だったので思いますが、先生も生徒も実に多くの活動を一所懸命やっています。受験勉強について、S2さんも強調していましたが、決して悪いものではありません。意味はあります。それでも、「英語が使えるようにならない」といつも批判されます。問題は確かにありますが、受験英語自体の内容がおかしいわけではないのです。

問題は、おそらく教師とクラスサイズです。クラスサイズは多少改善されつつありますが、教師の文化が変化を拒んでいます。簡単に言えば楽をするということです。別の言い方をすると手を抜くということになるかもしれません。でも、それだからと言って批判できない状況があります。教師は英語を教えること以外にたくさんのことをしなければいけないし、それがその教師の評価にもつながります。

S2さんの提示した問題はけっこう複雑で考えさせられます。

18 Hさんの韓国の英語指導

韓国はお隣の国で、ふつうの人はみなさん仲良くやりたいと思っているのに、政治や歴史の経緯でうまくいきません。韓国の人が日本を嫌いだという調査結果があるそうですが、どういう調査なのでしょうか。私はそうは思いません。「好きだ、嫌いだ」などという調査は意味がない。とにかく仲良くしましょうよ!と思います。

さて、韓国の英語教育はたしかにHさんが言う通りです。おそらく全体的に見ると日本よりも割合として英語を使って活躍している人は多いような気がします。英語だけではなく、中国語や日本語学習もそうです。外国語を学ぶのは教養ではなくて実践や将来につながるという意識が強いからでしょう。そのような政府の政策がそのまま反映される仕組みができています。しかし、もちろんその流れに乗れない人たちもたくさんいます。

欧米に行くと、アジア系の人はやはりお互いに親近感が自然と生まれます。そのときに、私が感じるのは、中国や韓国の人は個が強いということです。日本の人の中にもそういう人はたくさんいますが、相対的にそう感じます。韓国で英語の授業を見たときは、日本とあまり変わらない授業風景を見ました。恥ずかしがりやだし、英語もそれほどできるわけではありません。受験勉強は厳しいし、授業内容も文法知識などテストのための活動が多いようです。しかし、親の教育熱が高く、大学受験や英語が話せるようになるために相当の支援をします。Hさんが興味を持って調べたこととほぼ一緒です。

Hさんが述べたことで印象に残ったことは、韓国の友達へのインタビューの中で、日本の英語教育は「細かい」という指摘です。これだけではよく分かりませんが、鋭い指摘だと思いました。確かに、日本の教師は「細かい」ことにこだわるかもしれません。それも「細かい知識の違い」に注意しすぎる傾向があるかもしれません。

19 Yさんの英会話教室の活動

Yさんは自分がサポートしている英会話教室の活動とその先生に焦点を当てて発表してくれました。この授業でも早期英語教育に関心を持って活動している人が多く、興味深く聞きました。小さい子供に言語を教える場合には、1)相当の当該言語に対する知識と技能、2)教えることや学ぶことに対しての知識と技能、3)こどもに対する愛情、の3つが主に必要だと思います。日本の現在の小学校外国語活動では、1)と2)がないがしろにされています。日本の小学校の先生は優秀なので、3)などを中心に、総合的な教育に対する専門性から、1)と2)を補っています。

日本の英会話教室も、実は、1)や2)がないがしろにされる傾向は否めません。必ずしも資格を持って教師をしているとは限らないからです。ネイティブスピーカーということと、TESOLやCELTAなどの欧米基準の資格を持っている人はまだよいですが、そうではない人もたくさんいます。しかし、資格を持っていれば、それだけで上手に教えられるかというとやはり違うと思います。教えることは教える先生がどう工夫するかが大切です。それができる人は必ずよい先生になります。

Yさんが紹介してくれた人は、たぶん自分でいろいろな工夫をして子供に英語を教えているのでしょう。子供にとってはありがたいことです。それと、Yさん自身が子供に関わりたいのでしょうね。発表にもそのことがよく表れていました。将来はぜひ子供たちの教育に関わっていただきたいと思いました。

これから、幼児や小学生の英語教育もますます盛んになるでしょう。英語教育だけではなく、言語教育自体が大切ですので、様々な言語に対応できる多くの人を育成する人材が必要になるでしょう。ますます活躍してください。

20 O3さんの私塾の恩師

O3さんは、本当にいい先生に出会えてよかったと思います。私が、言語教師認知に関心を持ったのも、「教師は生徒に影響を与え、生徒は教師に影響を与える」という関係性にずつと興味を持っているからです。教師との出会いは、友達との出会いと同様に、人生にとって大きな影響を持ちます。「なぜ英語の先生になろうと思うのか」と教師志望の学生に尋ねると、ある数の人が教師(恩師)のことを話します。O3さんは、私塾の先生から大きな影響を受け、いまだにその関係性を維持しています。それがとても興味深い点でした。

O3さんの話を聞いて、ある程度納得しました。非常に濃密な関係性ができているということでした。しかし、それができているのも、O3さんの先生がいい先生だということだけではなく、O3さん自身がおそらく最初から持っていた知性や感性が先生と共振したのだと思います。とてもよい出会いだったということです。ぜひ大事にしていただきたいと思いました。

ビデオで授業の様子もちょっと拝見しました。子供たちの視線がすごかったですね。少人数という環境も大きな要因ですが、先生のこどもに対する愛情と教育に対する意欲がそうさせるのでしょう。ややもすると押し付けがましいことになる可能性がありますが、そのようなことは少しも感じさせない授業でした。

私は、授業を成立させる一つの要素は、この辺りにあると思っています。「先生が楽しく授業をする」ということが基本にあって、それをいつもできるようにする、ということが基本です。これは簡単なようでむずかしいことです。「楽しく授業をする」ためには、相当の努力をふだんからしていなければなりません。「自分が楽をして楽しんでいれば生徒も楽しいだろう」とは大きく違います。

「先生が楽しく授業をする」というのは、教師の「こころ」の有り様です。教師の「こころ」は現在の教員養成や教員研修ではあまり取り上げられないし、どうやったらそういう心持ちになれるのかはトレーニングのしようもないかもしれません。でも大切です。O3は恩師とともにそのことを学んだのかもしれません。恩師と培ったことを今度はO3がだれかに伝えられるようにしていただきたいと思いました。

乱筆乱文で申し訳ありませんが、いよいよ次回でさいごです。授業後はみなさんにお礼をしたいと思います。



2013年7月8日月曜日

第4回発表を終えて

ちょっと暑くてたいへんでしたが、どれも興味深い発表でした。ありがとうございます。

それぞれに感想を書きます。

12  Cさんのフランスと日本の学習者の言語学習に関する認知の調査

Cさんはフランスで教育を受け、日本に来てフランス語を教えながら教育に興味をもって学習している。この授業に興味を持って受講して、いつもとてもよい意見を出してくれてありがたい。素朴な疑問は、人はその社会文化を背景として言語学習をどう考えているかはたぶん違うのではないかということです。教育学の勉強をしているのできちんと統計処理をして調査結果を報告してくれた。

今回は、この授業に関係する調査だったので、人数も少なく限られているが、調査の観点はとても興味深いものでした。結果は、統計的には、フランスと日本の学習者の、教材、教師、環境、情報、に関する認知に差はないということでした。しかし、この調査結果が意味するところは貴重だと思いました。

教育の比較調査は本来かなり精緻にしなければいけないかもしれませんが、Cさんは現在日本にいるので、エスノグラフィーという調査ができるので視点を絞ればとてもよい研究ができると思った。私自身も同じようなことを考えて調査をしているが、けっこうむずかしいし、時間がかかる。長い目で調査するとよいと思う。

結果として、「認知にあまり大きな差はない」ということは、ひょっとすると、言語学習に関する教材、教師、環境、情報などの表面的な部分は普遍性があるということが言えるかもしれません。しかし、直感的には、それではどうも納得できないのではないでしょうか?そこにポイントがあるように思いました。ぜひ、その観点から教師認知の研究を進めていただきたいと思います。

13  O2さんの音読に関する調査

O2さんの学習や研究に対する態度はいつも見習うべきものがあります。ぜひすばらしい研究を続けていただきたいと思います。かくいう私も生涯学習(lifelong learning)をモットーとしています。この授業でもそれぞれの方の発表から学ぶことが多く、これこそ言語教師認知の研究の骨格と思っています。Cさんにも見習うべきことが多いですが、Cさんとはまた違う視点で、O2さんも言語教師認知に関連して、音読の探求をしています。これこそ言語教師認知の探求の目的の一つです。

音読というのは、言語活動の基本的な活動です。授業活動の一つとするかどうかは、教師が決定します。しかし、学習者からするとなんらかの形で行っている活動でしょう。O2さんが言う通り、音読という活動をどのように理解しているかはかなりあいまいです。しかし、それは黙読にも言えます。大きくは、「読み」そのものの活動自体を考える必要が出てきます。脳のしくみからすれば、理解、音韻処理、記憶、入力と出力などなど細かく分析する必要も出てきます。しかし、それとは別に、教師が音読に関してどう考えているのかを調査することは意義があります。

Lortie (1985) は「観察の徒弟制(apprenticeship of observation)」という用語を使い、教師は教えられたように教えることが多いということを述べました。たしかにある面でそうです。人というのは、自分がした経験に基づいて判断している場合が多々あり、机上の知識だけでは行動にはつながらないことが多いように思います。また、音読について知識として持っている考えと実際に授業の際にどう活動するかも、そう簡単に説明できません。授業で行う教師の意思決定の要因はかなり複雑です。「知っていること」「したいこと」「していること」「したことをどう意識しているか」という教師の認知は、音読一つとっても探求の価値があるでしょう。

私がO2さんの話を聞いていて興味をもったのは、インタビューをしているO2さんとインタビューの対象となっている人の認知の微妙な関係です。ただ単に調査しているだけではなく、調査から互いが影響しあっている可能性があるわけです。調査においてはこのような関与はよくないと批判されがちですが、言語教師認知の調査では、そのような調査のあり方も重要ではないかと個人的には考え、追求しています。互いが影響し合うことによって明らかになる面もあると思っています。

音読は、東アジアの教育文化かもしれませんが、まだ解明されていないことも多く、O2さんの調査に期待しています。

14 F2さんのポルトガル語と英語学習

F2さんは自身のポルトガル語学習と英語学習のことを話してくれました。大学に入ってからポルトガル語をマスターできたということは、小学校から英語学習を導入する必要はないのかもしれません。また、いま中高で実施されている英語教育は一体何のなのかということを考えさせられます。貴重な発表でした。

一概に比較はできませんが、言語学習全体を考える必要があるように思いました。文部科学省は、


言語活動の充実に関する指導事例集


を提供しています。趣旨は、

「新しい学習指導要領では,生きる力をはぐくむことを目指し,基礎的・基本的な知識及び技能を習得させ,これらを活用して課題を解決するために必要な思考力,判断力,表現力等をはぐくむとともに,主体的に学習に取り組む態度を養うために,言語活動を充実することとしています。」

です。私はこれにはほぼ賛成です。授業を見ていると教師の一方的な講義がよく見られます。生徒はただ板書を写すだけで、その知識をテストし、評価する、という活動です。もちろん、このような講義も必要ですが、それだけでは不十分です。

私は、 F2さんのポルトガル語学習の話を聞いていて、そのような活動をうまく取り入れたカリキュラムを経験したんだろうと思いました。それとともに、 F2さん自身がポルトガル語学習を通じて主体的な学習を培ったのだろうと思います。英語の学習経験がポルトガル語学習に役立ったことはもちろんですが、言語学習が学び全体に影響したことはまちがいないでしょう。

F2さんが、そのような自分の体験を様々な背景を考慮してこの問題を探求すると貴重な資料となるような気がします。期待しましょう。

15  K5くんのコミュニケーションの意味

K5くんは二人の教師に対するインタビューをもとにコミュニケーションの意味について考えた。いろいろなところで議論されていることで、英語学習の意味と実際の教室活動の複雑さの問題をよく表していると思った。学習指導要領はコミュニケーション能力を育成することを目標としていますが、そのコミュニケーション能力をどう捉えるかでいままで行われてきた活動が結局踏襲され、正当化されてしまいます。K5くんの発表はその重要な問題を扱いました。

日本では、古い形の言語学習や言語指導がいまだに多く残って実施されています。あまり効果的ではなく、面白みのない英語学習がいつまでもはびこる原因は複雑です。日本だけの問題ではなく、多くの国で意外と実は行われている教え方です。語彙や文法や発音や意味を教えることは言語学習の基本ですから、ないがしろにはできません。問題がそれらがコミュニケーション能力にうまく応用されないことです。

この問題は、「英語は日本の多くの人に必要な言語ではない」という理由づけや、「基礎を養えばよい」ということで片付けられます。また、学校の先生の仕事は、英語だけ教えることではないという実態があります。公立の中学校の教師が特にそうかもしれません。高校は多様ですが、中学と同様の状況があります。しかし、調査ではあまり明確にはできませんが、そのような状況の中で英語を教えることが形骸化されている実態がなきにしもあらずです。

インタビューした二人の先生は真摯な教師と思います。実際、ほとんどの英語教師は自分の信念にもとづき熱心に仕事をしています。英語授業で学習指導要領のことはあまり考えないかもしれませんが、英語によるコミュニケーション能力の育成はよく考えて授業をしていると思います。それだけコミュニケーションの捉え方が曖昧であり、目的が不明確なことが一因です。

K5くんの視点は、その面でとても重要です。教師はこのようにだれもが当然と思い込んでいることを日々振り返って考える機会が必要だと思います。日々の忙しさの中で多くの仕事に追われ自分を見失ってしまう危険性があります。ちょっと立ち止まって教師自身が様々な問題を考えるということが、教師認知の一つの目標だと思います。

16 F3さんの小学生の英語学習活動と意識

F3さんは、ボランティア活動で小学生に英語を教えている。こういう活動をしている人にはぜひ教師となってもらいたいと思いました。小学校の英語教育活動は現時点では混沌としています。熱心な活動も多く、それなりの成果をあげていますが、問題も大きく存在します。現在の状況では小学校での英語教育には「反対」という人も根強くいます。そんな中で、F3さんのように地域のニーズに応えて、こつこつと子供たちの興味関心を育てていくのは日本の寺子屋的伝統で、すばらしいと思います。ぜひ無理のないように続けていってくれればと思います。

その活動に参加している子供たちにアンケート調査をしてくれました。ポジティブな意見が多く、活動の効果をよく表しているようです。別の調査では、昔からずっと言われ続けていることですが、中学校1年生の夏休み後、また、高校1年生の夏休み後で、英語学習(だけではないかもしれませんが)に意欲を失う生徒が多い、と言われています。原因の一つは、F3さんも指摘していましたが、急にむずかしくなるということです。たぶんそれだけではなく、日本の学校文化全体で考えないとこの問題は解決がつきません。

F3さんの話を聞きながら、CLILのことを考えました。CLILのことはみなさんあまり知らないと思いますが、CLILの理念は、たぶんF3さんたちの活動に関係します。何事もそうですが、ただ「楽しい」だけでは学習は成立しません。「考える」ことが重要であり、「仲間とともにコミュニケーションする」ことが重要です。その点を重視するのがCLILです。日本ではヨーロッパのようにCLILを実施するわけにはいきません。その点で日本的なCLILを開発する必要があります。

日本の小学校英語活動は、アメリカなどの第2言語習得の考えをもとにしている活動が主流のような気がします。ヨーロッパの複言語主義(Plurilingualism)(1人の人が複数の言語を学ぶ)とは微妙に違います。アジアでは、英語だけが推奨され、早期英語学習が加速しています。日本もそれに巻き込まれざるをえません。そうすることは仕方がありませんが、理念をしっかりと持って、その流れに入ることが重要だと思っています。そのためには教える教師がもっとこの問題を考えることが大切です。その意味で、教師認知はとても重要だと考えています。

以上、乱筆乱文ご容赦ください。今週も期待しましょう。