2012年5月13日日曜日

言語教師認知の研究

今回は、私がほとんど話してばかりですみません。次回はそのようなことがないようにしたいと思います。

さて、

言語教師認知の調査研究は、素朴な発想から生まれます。しかし、単に教師の考えを調べて分析することにとどまらないことが大切です。教師は、様々な意味で査察(inspection)や評価(appraisal)の対象とされる傾向があるからです。実際、ここ数年の間に、教師は校長に評価されたり、自己評価することを求められています。説明責任(accountability)の観点から、多くの報告文書の作成、社会や保護者からの要望に応える必要性、学校内の情報の管理など、授業指導にかかわる以外の多くの仕事が課せられ、なおかつ、授業だけではなく、部活動、生徒指導、多様化する生徒や保護者との対応を、次から次へと要求され、多くの教師が、勤務時間外にも多くの仕事をしています。もちろん、さぼっている教師もいるでしょうが、大半の教師は教育に熱心です。言語教師認知の研究は、それをサポートする研究であることを追求しています。ただ単に教育研究のための研究ではなく、実践的な研究である必要があると考えています。

『言語教師認知の研究』の第1章と第2章の趣旨はそういうことです。詳しくは、本を読んでください。授業では、その点を踏まえて二つのことを伝えようとしました。

1 言語教師認知研究は、教師の内面を探求することから教師の成長をサポートする。
2 言語教師認知研究は、教師(あるいは教師になろうとする人)の自己の哲学的探求に資する。

英語教育では、英語指導技術の向上を求める方向性が主流です。つまり、指導法の改善、明日の授業に使える指導教材や活動のアイディアなど、表層的な面に関心が集まってきました。「文法訳読はよくない」「受験指導のために問題を解いているだけではよくない」「ゲームして歌歌って楽しくしているだけでは英語力はつかない」などなど、何十年も同じような議論が続いています。そのような議論の中で多くの教師は何を考え、どう指導しているのでしょうか?また、教師だけではなく、生徒はどう考えているのでしょうか?教育は上から押し付けるだけでは決してよい結果は生まれません。基本は、個人の 成長です。個人の成長をどうサポートするのかが、課題です。

一人ひとりがすばらしい才能があると考えて、それを伸ばすことです。言語はその意味でとても大切なツールです。考える、理解する、発表する、など、すべてに言語はかかわります。国語と英語を異なるものと考えるよりも、結局は、自己の成長のツールの重要な一つと考え、母語と外国語などと考える発想を変える必要があるかもしれません。

さまざまな意味で教師は、それらのことに強い影響力を持ちます。言語教師が、言語にかかわる知識、技能、信念、思い込み、態度、意欲などなどの認知的な面について探求することは、言語教師自身の成長を支え、プロフェッショナルとして誇りを育てるのです。

授業では、言語教師認知の探求の一端を紹介しましたが、リサーチの方法は様々です。最初に述べた通り、素朴な質的調査をしてみることが、最初の一歩です。それは、自分が知りたいということに一歩踏み込んでみることです。話を聞きに行くことでもよいです。観察することでもよいです。アンケート調査もよいです。実験でもよいかもしれません。自分自身の日記でもよいかもしれません。探求してみることです。それを授業に持ちより、みなさんで話し合うことで方向性が見えてきます。

次回までに、自分が探求したいことを考えておいてください。

乱筆乱文ごめんなさい。

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