2017年7月9日日曜日

2017年度3

4 Confidence and Education

Nさんは教師の自信について話してくれました。教師でなくても、自信、自己肯定感、あるいは、信念、信条などという人が拠り所とする根拠はいつも重要です。特に英語教師の場合は、英語を授業言語とするかどうかという判断は、英語を教えることとは違い、英語で教えるあるいは英語で授業を運営するということになります。これには多くのことが影響しています。

Nさんは4人の先生に聞きました。質問もあまり複雑ではなく、中身としては物足りないものがあります。この問題はかなり複雑で、英語が得意だから授業で英語を使うという単純なことではありません。ただし、発表には色々なことを考えさせられました。日本の状況では、確かに英語を使う機会が圧倒的にないという事実がありそうだ、ということです。

確かに、私自身も高校で英語の教員をし、大学でも英語を教えることが多いのですが、英語の授業の関連で英語を話すことはあまりないということに気づきました。授業の中で生徒が英語を使うことを演出することは昔から大切だと思ってきました。ただ、パフォーマンスは嫌いでした。英語の教師はエンターティナーや俳優のようでであるべきだと言われることがありますが、私にはそのような才能もなければ、その気もありません。また、NSのように英語を使うことにも抵抗がありました。私は日本人で日本の文化を背負って、かつ、高校教師としては、教師としての様々な職務があり、何か多くの人が持っている英語を話す人のイメージを満足させるような英語教師とはなるつもりもありませんでした。「英語(を使うこと)に自信があるか?」と聞かれれば、真剣に答えれば、「ない」と答えるでしょう。また、すべてに自信はないと答えるでしょう。

個人的には自信がある必要もないと考えます。ただし、自己肯定感(self-esteeem)あるいは自己効力感(self-efficacy)などと言われる感情は重要です。それがなければ、自分自身がしているすべてのことに自信を持てないし、楽しくないし、ビビって生きることになります。「英語を使うことに自信がありますか?」という質問は、「日本語を使うことに自信がありますか?」とほぼ同じです。自信があろうがなかろうが使い、コミュニケーションができて、生活や学習ができればよいのでしょう。

Nさんの発表の中で、英語教師は意外に英語を使っていないということの方が問題だと思いました。日本あるいは日本の教育の問題かもしれません。教師の英語力に規制をかけたり、授業で無理やり英語を使わせるような政策ではなく、教師が英語を使える環境に携わる状況を支援することが大切だと思います。これも無理強いすることではなく、英語を使って意味のある活動をする機会をもっと作ることが大切です。英語研修として意味なく英語を話すのではなく、それぞれの教師のニーズに合った英語を話す機会があることが重要です。自信はその中で生まれるのではないでしょうか?

そんなことを考えました。教師のこころを理解することは、私の研究の中心です。そのためには、かなり手間をかけないと本当のところはよくわかりません。が、Nさん自身のこころでこの問題を考えることも重要だと思います。

面白かったです。ありがとう。

5 高校(中学)の英語コミュニケーション授業においての日本人教師と外国人教師の有益性の比較

Hさんは、NSとNNSを比較しました。日本で働くいわゆるALT (assistant language teacher)の歴史は古く、それなりに英語教育には貢献したと思います。私が英語教員になったそのちょっと後からJET programが始まりした。それ以来です。アメリカのJET program参加者募集には、次のような文言があります。

The JET Program is a competitive employment opportunity that allows young professionals to live and work in cities, towns, and villages throughout Japan. Being a JET is an opportunity to work and to represent the United States as cultural ambassadors to Japan.

JET Program USA

ALTの基本は、教師ではなく文化交流の一環です。これが1987年ごろに始まり、そのまま30年続いています。私はいい加減にやめて日本の英語教師を応援したほうがよいと前からずっと思っています。

Hさんも、英語で授業をすることに興味を持っているようです。NSは英語を母語としているかあるいはバイリンガルとしているかで、ふつうに英語を日常言語としています。日本人教師は英語教師として働いていますが、主な役割はまず教育者であり、「教育を司る」ということです。英語だけを教えているわけではない。ALTの役割もそうです。

Hさんが言う通り、日本語を母語とした英語教師と英語を主言語とする英語教師とのアプローチは当然異なるでしょう。どちらがよいかということはむずかしい問題ですが、その役割を理解して、教育活動に従事することが重要だと思います。NSについては外国語学習においては確かに重要で学習者にとってはニーズの高い人材です。しかし、多言語多文化社会が進行し、世界の中心的な都市では、英語を中心として政治経済社会が機能しています。英語という言語に関しては、ELF (English as a LIngua Franca)が強調されるようになりました。学問の世界ではELFを批判する人もいますが、実社会では進行しています。英語教師もこの点を意識しないといけません。

日本の高校などでは、英語の授業なのに英語があまり使われていない授業が数多く行われています。だいぶ変わったと思いますが、まだまだです。英語の授業は英語で行うことが基本だと思います。が、ただ英語でやればよいというわけにはいきません。All in Englishなどという用語が度々言われるのは、やはり意味のない英語授業が続くことが問題です。学習者にとって望ましい英語学習について、教師になる人が自由に考え、探求し、教師という仕事に意欲を感じるシステムを作ることが重要で、さらには、学習者が自分で勉強できる環境をもっと提供することです。留学もそう簡単にできるわけではなく、NSだからよいということでもありません。Hさんの言う通りです。

ありがとう。

今年度もそれほど多い授業参加者ではありませんでしたが、私にとっては考えさせられることも多く、勉強になりました。次回はゲストを招いて言語教師を考えましょう。

乱筆乱文はご容赦ください。私のメモです。



2017年7月3日月曜日

2017年度2

2 スペインと日本の英語教員に対するイメージと現状

Mさんの発表でした。Mさんはスペインに1年ほど滞在して勉強した経験があり、スペイン語も堪能で友達もたくさんいるそうです。この発表では、そのネットワークからスペインと日本の英語教育や英語教員に関して調査してくれました。

スペインは、2000年に入ってから急速に英語教育を推進しました。その発展はさすがラテン系という印象があります。とにかく何でも役に立ちそうなことはドシドシと取り入れてきました。スペイン語は今でも世界的に汎用性の高い言語で、文化的にも自負できる要素があり、英語などを使う必要もないと考える人も多いでしょう。しかし、学校教育で英語をどんどん取り入れて教えるようになりました。

なぜそれができたのかを考えると、やはり国自体が多言語状況にあったこととと、ヨーロッパの一部であったことが大きいと言えます。さらには、イタリアやフランスなど、言語的に違い言語があり、互いに刺激しあったことも影響しているのでしょう。否が応でも英語を話す人たちがたくさん入って近くに住んで仕事をしている状況が自然になっているようです。

そんなスペインと日本の英語教育に関する英語教師の意識をアンケートで聞きました。結果は実に面白いです。ずいぶんと違う国民性だということがよくわかります。10段階で答えてもらいましたが、スペインの人は、極端に回答し、中間があまりないというのはなるほどと思いました。しかし、実際に細かく聞くと結構微妙かもしれないと思います。多分文化的な差ですね。

特に英語教員の仕事が圧倒的に違うのがアンケートにもよく現れています。英語の教員はやはり英語を教えることに特化しているスペインに対して、日本はかなり違います。これは多くの人は知っているのですが、誰も何も言わないのです。この点が結構問題だと思っています。このような調査が大々的に行われ、日本の教員の仕事がとても特殊だということを明確にして議論する必要があります。


PISAの調査でも日本の教員の仕事量が指摘されましたが、仕事の細かい内容までは指摘されていません。日本では、英語力の養成が小学校から求められるようになっています。これには長い議論があり、不毛な気がします。Mさんが指摘したように「本当に英語必要ですか?」という疑問は実態を見るとその通りです。多くの人は必要としません。というより、必要としないような状況が続いていると言って良いでしょう。

まず、必要な場がどのようにあるのかを社会全体が考えてから教育の内容を決めるべきですが、初めに方針があり、それに合わせてお題目が先に決まり、その目標設定に教員がついていくという仕組みが問題です。

私はMさんのような調査がたくさん必要だと思います。また、日本の英語の先生が実際にスペインに行き、スペインの英語の先生と話をする場があると良いと思っています。英語の先生は英語圏ばかりに行き、他の外国のことや文化に関心がないのは問題だと思っています。Mさんのような人が先生になると少しは英語教育も変わるのではないかと思っています。

レポート期待です。乱筆乱文失礼。ありがとう。

3 教育実習を終えて

Iさんの教育実習の体験のレポートです。Iさんは母校の高校に教育実習に行きました。授業は,英語ではなく世界史を教えました。母校での教育実習は文部科学省からは推奨されていませんが、私はとても良いことがたくさんあると思います。もちろん、多様な学校現場を知ることは意味がありますが、自分が高校生として学んだ場所の教育文化や教師文化を改めて見る機会はとても貴重です。社会で教育実習をしたこともある面で重要です。つまり、日本の教員養成のシステムでは教科を教えることよりも、学校での教育全体の体験をすることが重要視されているので、Iさんは英語の免許も取れる訳です。変ですね。

教育実習の目的は、学校での実践的な教育体験をすることで、学習指導が主体ということでは必ずしもないのです。非常に曖昧です。指導教諭は特に資格が必要ではありません。また、特に手当も受け取りません。また、実習生の立場はかなり微妙です。事故があれば大学が責任を取ることが前提ですが、多々問題もあり得ます。みなさんの良心的な合意で成り立っています。

また、3週間という期間も微妙です。文部科学省は、その短さを埋めるために、学校体験、学校ボランティア、学校インターンシップを導入しています。しかし、実態はどうでしょうか?採用試験があり、一生懸命やったとしても教員になれない人も多々います。慣れたとしてもそれほど熱心に教科を教えたいのかは定かではありません。多様です。

そのような状況で教育実習に行ったIさんは、母校の伝統の話、母校の現状、英語教育などを話してくれました。英語教育はどの学校でもかなり力を入れるようになってきています。Iさんの母校もそうだと思います。英語の先生はおそらくプレッシャーもあって大変だと思いますが、Iさんの話だと伝統の中でゆったりと教育をしているようです。私は、教育にはそのようなある種のゆとりがなければうまくいかないと考えていますが、現実は難しいのかもしれません。

さて、Iさんはイスラームのことを世界史の授業で担当したそうです。この話題は結構大切なことのようですが、日本人であり、かつ、イスラームに特に関わっていない人には誤解も多い話題です。日本の学校教育では宗教がタブーとされています現場からすると仕方がないかもしれません。しかし、ある面で宗教に寛容なことが日本文化の良さなのかもしれません。私にはわかりませんが、宗教とともに生きている人たちが世界中に多くいることは確かです。

さて、Iさんの教育実習の話はとても面白かったのですが、本授業のテーマである英語教師の研究については今後のレポートで反映させてもらえればと思います。あるいは、Iさんが英語と社会の免許をとるという中で、英語の教師と社会の教師の違いみたいなことについて考えても良いかもしれません。何か違いがありますか?

乱筆乱文ですみませんが、様々な教育実習の体験を聞くのはとても楽しいです。ありがとう。