2014年5月22日木曜日

英語はどう学ばれているか?

いつもあちらこちらと話が飛んでしまい、まとまりがつきません。すみません。

英語を教える、学ぶ、というのは簡単なようでむずかしいし、けっこう複雑です。

人はみなさん違います

つまり

教師もみな違います
生徒もみな違います

人は同じモノを見ても、認識は違います。次の英文を読んで何を思い浮かべますか?

A sharp whistle goes across the green valley.


おそらく、この口笛を言語と考える人はあまりいないでしょう。

The FIFA World Cup in 2014 is going to be held in Brazil! 

これはほぼ同じ認識をするでしょうが、考えることは違います。

二つの文を較べると、どちらが英文としてむずかしいでしょうか?

このむずかしさ感は、英語を学ぶ目的や教え方や学び方に関係すると、私は考えます。

明日はそんなことを考えたいと思います。が、みなさんの発表が始まりますので、そのことが話題の中心となります。

いつも、何をやっているのか分からないかもしれませんが、ぜひ本を読んでください。

『言語教師認知の研究』
『言語教師認知の動向』

みなさんの貴重な発表から、少しずつ英語教師を研究をすることの意義が分かると思います。

すべての人が教師となるわけではないようですが、教師という仕事や教育という仕事はおもしろい仕事です。ぜひ、携わっていただきたい。

2014年5月14日水曜日

英語教師はどう教えているか?2

英語教師はどう教えているか?ということを考えようと思いましたが、例のごとく様々な話題が出て、そちらの方が面白くてついついしゃべってしまいました。

面白いと思うかどうかは、みなさん次第です。授業は受け身では絶対に面白くありません。また、学ぶということもただ「倣う」「まねる」では発展はないと思います。特にこの授業に集まっている人は、「英語教師」に興味があるわけで、「英語教師」という何かがあるわけでもなく、そこに答えがあるわけでもありません。自分で探すことです。

ですから、みなさんの疑問や考えたいことは貴重です。一つ一つを思い出せませんが、みなさんの疑問について、私が考えたことは私にとっては貴重でした。

みなさんは、そろそろテーマを決めて「英語教師研究」を自分自身の興味と関心から探求してください。5月23日に聞きます。

さて、英語教師はどう教えているか?ということですが、答えは、わかりません。というより、複雑です。なんとなくイメージは浮かびますが、自分の体験と人の体験は違うし、一つの授業を見ても、みなさん一人ひとりが見る視点は違います。出て来た結果はばらばらです。

ということを前提に、私が経験したこと見たことのいくつかを書いておきます。今回は、小学校にしぼります。(私個人の認知を基盤にしているので事実ではないということは理解してください。)

日本

小学校 外国語活動 

地域や学校によってかなり違いますが、基本的には、英語を楽しむ(英語に慣れ親しむ)という活動です。私は悪い事ではないと思いますが、NSや外国の人(あるいは指導者)は「お客さん」という感じでしょうか?日本では、「内」と「外」という考え方に根強くあるように思います。「外国語活動」は国際理解教育が主な目的なのでしかたがありませんが、少し中途半端な印象がします。しかし、多くの小学校の先生は熱心に対応していると言ってよいでしょう。問題は英語を教えるためのトレーニングがないので、根拠がないので困っているという感じです。NSとしてALTや指導者の人がくれば、その人たちの考えを優先して授業を形成します。私立学校や特区はその範囲ではありませんから、かなり英語学習を提供しているはずですが、これも根拠がありませんから、かなりばらばらです。ということで、どう教えているかは実態は混沌としていると言えます。

それでも、受験英語というような考え方はここにはないと思います。発音、文字、表現など、CLTに比較的基づいているし、楽しく英語を学ぼうという姿勢はあると思います。ある意味でこれまでの伝統がない分、ひょっとしたらよい方向に向かうかもしれませんが、さてどうなるでしょうか?詰め込みになるかもしれません。

ヨーロッパ

小学校 外国語
もちろん、国と地域によりかなり異なりますが、総じて、英語およびヨーロッパ言語は重要だという柱ができています。CEFRの枠組みが大きく影響しています。英国だけが悲惨な状況かもしれません。明らかに、受験のためというスタンスではありません。「その外国語が使えるか使えないか」という将来の学習や仕事と関係しています。しかし、必ずしも早期に外国語を学ぶわけではなく、また、CLTが徹底しているかというとそうではありません。教科書内容にそって教えているというのが実態のような気がします。語彙、文法などは教えることの基本です。それとともに、英語を使うということが生徒の側に備わっていると思います。つまり、教室の外に出て、実際に英語を目にする、耳にする、という背景が大きいようです。授業で教師がそれほどおおげさなパフォーマンスをする必要もないし、だれかカリスマ的な英語教師がいて、その教え方をみなで模倣するようなこともあまり見たことがありません。一人ひとりの先生の考え方次第です。日本と大きく異なる点は、教える人はその言語が使える人がやはり多いということです。英語を使う経験があり、教える訓練もしています。教え方がうまいかどうかというと、そうでもありませんが、教師と生徒の目標がほぼ一致しているので、授業はシンプルであり、生徒は言語を使おうとします。また、学校の科目として学ぶということでもないような気がします。

アジア

小学校 英語

韓国
小学校3年生から英語が教えられています。トップダウンで政策的に始まった経緯があります。私が見たのは始まった頃の授業です。教材などを用意して、教師のトレーニングも実施して、かなり評判がよかったような印象だったので、見に行きました。2004年頃です。実際はそれでもうまくいかない事がよく分かりました。現在はNSなどを入れたり、ITを取り入れたりと工夫しているそうです。当時よりは進んでいるし、生徒も学ぶ必要があるので、かなり改善されたようですが、最近のことはあまり知りませんので、果たして実態はどうか?という気がします。しかし、当然週2日英語を教えているので、その効果はあるのが当然でしょう。また、学校以外の英語熱が盛んです。留学もあるでしょう。使える人お相当に増えているはずです。基本的に、日本と大きく異なる点は、やはりコミュニケーションを目的として、英語が使えることを意識した授業が展開されていることです。日本とある面では似ていますが、英語教育にそこまでお金を投じていません。また、中学校に行くと必ずしもコミュニケーションということを重視した英語授業ではなく、基礎基本を重視した従来型の文法知識に焦点を当てた授業となる傾向があります。韓国でも受験があるし、塾もあります。学校でも語彙や文法は重視するし、読む聞くは重視して指導しています。でも、やはり大きな目標として、使えるかどうかが大切と考えられていると思います。さらに、学校だけではなく、早期英語教育は盛んです。

英語教師はどう教えているか?というと、私が見た小学校の授業は、授業中に英語を使いますが、やはりマニュアルにあるような英語のやりとりです。あるいは、Q & Aです。あとは、教科書教材をきちんと使って教えるということです。しかし韓国語は当然使います。

中国 

中国は大きな国で英語教育一つをとってもかなり多様です。実際に見た授業も2005年以前のことですからいまとはかなり違うかもしれません。その頃からそうですが、都市部と地方ではまったく違うという状況があることはよく言われています。おそらく現在もそうです。都市部は1年生から徹底的にやっていますが、すべての子どもではないでしょう。優秀な小学校の高学年になれば英語でコミュニケーションすることは苦もないことのようです。大人数のクラスサイズでの活動でコミュニケーション活動をし、かつ競争社会ですから、伸びる人はどんどん伸びていきます。が、そうではない人はまったく英語は分からないという現実があります。

また、英語は日本と同様受験科目的な考え方があります。当然、教師は語彙や文法知識に焦点を当てます。テストもあります。だからと言って、日本と同一視すると必ずしもそうではないようです。基盤は、CLTだからです。教科書も日本のような伝統的な文法シラバスなどの観点がしっかりしているわけではなく、CLTです。しかし、英語教師の教え方は、ヨーロッパなどと比べると機械的な印象を持ちます。おそらく国の体制とクラスサイズのせいだと思います。あるいは学校文化という背景が強いのでしょう。これが地方に行けば、まったく違う可能性があります。

他のアジアの国

英語が重要な言語であることは各国共通しています。シンガポールやフィリピンのように英語が公用語の国からそうではない国まで様々ですが、「英語は必要」という点で一致して指導されています。問題は、経済的な理由による教員養成の不足だと思います。ここでも都市部と地方では相当に差が出てきます。すべての国のことは知りませんが、台湾はかなり日本と似ています。英語はやはり学校の科目であり、クラスサイズやシステムも似ています。小学校ではすでに1年生から英語を教えています。英語教師のトレーニングも徹底しています。都市部では英語で教えている授業がほとんどでしょう。しかし、塾もあり、受験は重要です。

マレーシアはかなり多様です。シンガポールに倣う傾向がありますが、実態はそうはならない。民族によってもかなり異なるカリキュラムがあり、レベルもかなり違います。政策的に進めていることと実態はかなり差があるような気がしますが、実態は分かりません。

香港は、英語で授業をするということが徹底されていますが、実態はやはり学校の科目という印象を持ちます。生徒のレベルも様々です。しかし、一様に言える事は、やはり、「英語で授業をする」ということが推奨されますが、生徒の英語学習の目的は受験であり、そのための英語教育が実施されているということです。英語教師は英語力と英語授業力のテストがあり、それにパスする必要があります。英語を実際に使える必要があることはもちろんですが、それとともに、やはり受験ということがあるので、教師はそれに対応する指導が要求されていると思います。

インドで一度小学校の授業を見たことがありますが、私立の女子校であり、英語は彼らにとっては指導言語ですので、あまり参考にはなりませんが、欧米のように英語を話すことを強制していないことが印象的でした。

だらだらと書いていたら、長くなりました。ここに書いたのは私の印象です。事実はおそらく違うと思います。が、小学校だけでもこれだけ多様です。また、これまでの話はNNSの英語教師です。NSの教師はどうかと言えば、また異なるでしょう。

小学校で英語を教えるNSの教師については、私はあまり知りませんが、やはりモデル的な扱いであったり、発音を指導したり、彼らの国の文化を紹介したり、テキストに沿って、歌やゲームなどをすることで指導するケースが多いように思います。NSとNNSの教師と区別する必要もない時代になっていると思いますが、基本はどちらの教師にしても「よい」教師は「よい」教師です。

このように多様な教師が多様に教えているわけですが、この基本は、Lortie (1975)という人が紹介した「観察の徒弟制(apprenticeship of observation)」です。自分の経験がベースになります。しかし、その経験は彼らの認知をベースにしていることを忘れてはいけません。

中学や高校はまた別の機会に。




2014年5月8日木曜日

英語教師は英語をどう教えているか?

「自分はどう英語を学び、それが教師とどうかかわり、教師の考えはなんだったのだろうか?」

というテーマで話し合ってもらいました。話し合いは、何か結論がなければいけないのでしょうか?互いに話していると、「あ、そうなんだ」ということがありませんか?あるいは、「なぜこの人はそのことを話しているのだろうか?」などと考えませんか?

雑談というのはとても大切だと思っています。また、話すことは意外にむずかしいかもしれません。無駄と考える人もいるでしょう。学びとは何か知識を得ることと考えるかもしれません。私は、人と話すことのなかで、「気づく(awareness)」ということが大切だと考えています。

何か気づいたことがありませんか?

さて、今回は、「英語はどう教えられているか?」を考えましょう。

日本の小学校、中学校、高校で、英語はどう教えられているでしょうか?自分の経験や本で読んだこと、実際に見たなどを考えましょう。

また、5月23日頃までに、自分の発表テーマを考えておいてください。