2012年4月28日土曜日

言語教師を考える

第2回の言語教師認知の雑談が終りました。「雑談」というと誤解されるかもしれませんが、第2回の雑談はとてもよかったですね。記録しておけばよかった。

さて、「雑談」と言いましたが、私は雑談の中に意外とヒントがあると思っています。つまり、発見や発想がある。

言語教師認知(language teacher cognition)は、「言語を教える教師が何を考え、何をよりどころに教え、どんな知識を持って、どんな行動をとり、どのようにふりかえっているのか」ということです。その言語教師認知を研究することで、授業を改善し、よりよい教育を提供できるようにするということを目的にしていると、私は考えています。ということは、つまり、言語を教えることを、その主たる役割をする言語教師を考えることにより、実践的臨床的に、学習や学習者を見ていくということにつながります。

私は英語教師ですので、英語を教えることで、まず考えます。日本では英語教育が主流ですから、それで考えることが一般的でしょう。今日の話は、その英語教育の中で、それぞれの人がどのようにかかわってきたかを、それぞれの人の話を聞いて、ふりかえりました。面白かったですね。

K1さんは、実に興味深い英語教育を体験してきたようです。学校教育の中の英語教育に対する疑問から出発して、なおかつ、その学校教育を問い直そうとしているように見えました。自分の体験、特に塾や予備校で体験が大きく影響しているようです。実は、このように塾や予備校での英語との触れ合いが、その後の英語の学び、あるいは、英語だけではなく、学び全体を大きく特徴づけている可能性があると考えています。しかし、そのことを追求する研究はあまりないようです。言語教師認知自体も欧米での研究から出てきていますから、そのような状況というのはあまり想定していないし、したとしても背景が一般的ではないので、そのような研究をしても意味がないからでしょう。ですが、日本ではこれはかなり大きな意味を持ちます。

「受験英語が悪い」とよく言われますが、受験に群がるビジネスが悪いとも言えます。それは、しかし、「必要悪」でしょう。塾や予備校の指導、あるいは、受験産業は、学校教育の中でも根強い文化です。100年以上もその状況はあまり変わっていないとも言えるのです。

Tさんは、いわば比較的よい先生に出会ったと言ってよいでしょう。しかし、それは、たぶん偶然にそうなったわけではなく、そのような出会いをTさんが作っていると言ってもよいと思います。ちょっとうまく言えませんが、そのような先生と生徒の関係性を見ることは、言語教師認知の研究にはとても大切になる可能性があります。「あなたはなぜ英語の先生になろうと思うのですか?」と問うと、多くの人が、自分が教わったよい先生のことを話します。「あの先生のようになりたい」というようなことをよく聞きます。つまり、自分の中にある教師像ができあがるわけです。これは意外にその人の教師人生を左右します。

Tさんが物事を理解する感性という点が面白かったですね。教師が「これはおもしろいよ!」というオーラのようなものは多くの場合とても重要です。このようなempathyは大いに研究に値します。

K2さんの英語教育との出会いも前向きなもののようです。国際交流ということに関心を持ったというのもうなづけます。交流をするには言語が欠かせません。英語だけという訳にもいきません。韓国語の「地下鉄(チハッチョル)」の話は私にはよく分かりました。ことばとの出会い、ことばだけではなく人との出会いは、きっとそのようなことが大きく影響を与えるのでしょうね。大学には2タイプの学生がいるという話も興味深かったです。ことばを体験的に使ってきた人(使用に慣れている人)と学校(受験)の英語の勉強で積み上げてきた人がいて、互いがそれなりにお互いを認めている、という分析はおもしろい。どうしてなんだろうというのが私の疑問です。

さて、だらだらと書きました。本来は、言語教師認知の研究の背景を講義する予定でしたが、話が面白かったので、その方向に行きました。しかし、言語教師認知の研究は、それでよいと思っています。理論的なことばかり言っても、この研究は意味がないのです。実践があってこそ、言語教師認知の探求です。その意味から、ある意味で、「自己を見つめる」ということをしました。それを他者と共有する。そこにこそ「教師の成長(teacher development)」があるのです。

次回は、自分がこの授業で探求したいことをさらに追求できる会としたいですね。本も読んでおいてください。『言語教師認知の研究』(開拓社)は、入門書のようなものです。読んでもらえれば分かります。次回は少し本の内容にも触れましょう。




2012年4月13日金曜日

2012年度 言語教師認知を考える


言語教師認知とは?

http://ltcjapan.blogspot.jp/

このブログは、言語教師認知(language teacher cognition)を考えるために、メモとして公開しています。

昨年(2011年)から始めました。

特に、日本の学校教育における言語(主に英語)教師の認知を知ることにより、日本の言語教育の改善と言語教師の資質向上を図ることを目的としています。昨年の内容はアーカイブを見てください。


言語教師認知の研究

ここで考える言語教師認知の研究のポイントは、

  • 言語教師の課題解決につながる教師の認知プロセスの探求
  • 英語教育研究の伝統と歴史の中の言語教師認知
  • 教員研修の重要なカギとなる言語教師認知

みなさんが言語を教える教師であれば、「自分を見つめる」ということになります。
語学に関心があれば、自分がかかわっている領域の調査につながるでしょう。
教育全般に関心があれば、教育における言語の役割を考えるヒントにつながるでしょう。

つまり、広く言えば、「教師とは何か?」という教師研究(teacher research)にすべて関係します。教師を知るということは、「学ぶ」ということに深くかかわります。

「ことばを学ぶとは?」「ことばを教えるとは」「ことばとは?」など、さまざまな問題を、言語教師認知研究という視点から考えましょう。