2011年7月5日火曜日

小学校教員の外国語活動

小学校での外国語活動はいま多くの人が関心を持っている。どうしてかと言えば、一つの大きなビジネスとなっているからである。指導資格(民間レベル)などの研修会、教材、小学生のための英語塾など、教師も親も多くの投資をしている。また、各学校間でも先生方が多くの努力をして、様々な外国語活動を展開している。

文部科学省のサイト 
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/gaikokugo/index.htm

にも多くの活動報告があるし、それぞれの研究団体で多くの活動報告がある。まさに、多様である。教科でも科目でもなく、評価もされない活動に過ぎないが、忙しい中、小学校の先生はそれなりの教材研究をして、「よい授業」をしなければならないのである。

日本の小学校教育の実践は、世界でもいまだにトップクラスである。特に、その効率性は世界でも群を抜いていると思います。教員研修や授業研究など、多くの国が日本の小学校教育に注目し、見倣ってきました。しかし、問題がないわけではありません。大きな問題は、やはり、閉鎖性だと私は思います。最近ではどんどんと多様化していますが、学級王国的な弊害はいまでもときどきニュースになります。また、国際理解教育という割には国際化していない、あるいは、できにくい、環境があります。指摘されたように、外国語=英語 という思い込みがどうしてもあります。しかし、それは仕方のないことです。世の中全体がそうですから。

ただ、小学校は、場所や地域によっては、多文化多言語化が進んでいます。小学校の先生はそれに対応しなければいけないのでたいへんです。様々な国のこどもが、日本語も満足にできないにもかかわらず、小学校に来ます。先生はそれに対応しなくてはいけません。つまり、日本語を教えなければいけないし、生活習慣も教え、その対応も指導しなくてはいけません。多くのことを日本の小学校の先生はこなしています。その点からすると、優秀で、「教える」ということに関しては、まさに「プロ」と言えます。私の知っている範囲で考えると、小学校の先生は、ことばに関してもプロです。ほんとうに分かりやすく日本語を話します。それも気をつけて日本語を使います。その知識と技能をもっと活用すれば、もっと日本の外国語教育は改善されるはずです。

小学校の先生は、英語を教えるために研修を十分に受けていません。これは政策の問題ですが、ひどいことをしています。しかし、今回の外国語活動の導入においても、多くの小学校の先生は表立った不満を表明することなくこなしています。このように教師を大切にしない国はいつか衰退するでしょうね。教師を大切にしている国はうまく行っている国が多いです。

エスノグラフィーはたいへんでむずかしい調査ですが、多くのことを教えてくれます。特に調査する人の資質が重要視されますし、時間もかかります。まとめるのも実は大変ですが、言語教師認知研究では、自分自身のリフレクションにもつながるとてもよい活動だと思っています。得られたデータは表に出せないことが多いですが、そのようなデータは貴重です。しかし、注意しなくてはいけないことは、いつも冷静な目を持っていることだと思います。それは、教師としても必要な資質でもあります。小学校の外国語活動はいま始まったばかりですから、これからもっといろいろなことがあるはずです。注目しましょう。

フランス語教育

日本でのフランス語教育の歴史は古い。英語ばかりが注目されるが、ドイツ語とともに、日本では江戸時代から重要な言語として活用されてきた。また、世界でも、公用語として地位を保ってきたことも事実である。フランス語を話す人たちのフランス語に対する意識はかなり強く、言語としてのフランス語もしっかりとしていて、フランス語教育もしっかりとした体系がある。さらに、アカデミックな面でのフランス語には多くの人を引きつける魅力がある。

現在の日本のフランス語学習者がどのように考えてフランス語を学習し、その教育機関である大学がどのような考えをもってフランス語を指導しているのか。教師の指導理念は学生にどう伝わっているのか。J大学のフランス語教科書はCEFRの考えを反映している、いわゆる、 CLTにもとづく内容や活動が含まれている。教師の教え方も基本的に実用を重視した指導のようだ。英語教育分野の私の経験から判断すると比較的よい指導を行なっているように思える。

学生から見るフランス語の授業はどのように見えているのかは、教師としても興味のある視点である。学生は一人ひとり様々であるということを前提にすれば、おそらく、いわゆる、楽しい授業、為になる授業、分かりやすい授業、勉強が楽な授業などが想像される。それとともに、教師のキャラクターが大きいかもしれない。しかし、ある授業はある学生にとってはよいが、別の学生にはよくないかもしれない。その学生がそのときに思い描いていた知識や技能を提供してくれる授業は、動機づけがされている学生にとっては大切である。動機づけがされていない学生には、動機づけをさせる内容の授業が有効であろう。

フランス語をフランス語で教える授業は、「よい指導」にはいるかもしれないが、そう簡単に「よい」とも言えない。文法や訳読がかならずしも「わるい指導」とも言えないのと同様である。何が授業の良し悪しを決めるのかは意外とむずかしいのだ。

フランス語から見た英語教育はどうだろうか?フランス語を教えている教師の多くは英語もできる人が多い。英語教育を受けた経験もあるだろう。そうすると、英語教育の反面教師的な要素が授業の中に取り入れられる可能性がある。その点からすると、フランス語教育は英語教育よりもある面で効果的な指導をしているのかもしれない。

J大学のフランス語はCLTを基盤とした指導をしているという。CLTとは何か?と問うてみるとけっこう答えはむずかしい。コミュニケーションのために(重視して)教える指導法ということになるが、実態は様々である。おそらく、文法もしっかり教える必要があるし、4技能それぞれの技能と知識は教える必要がある。コミュニケーションだからといって、ゲームや遊びではない。

私は、フランス語の教師が何を考えているのかに興味がある。英語教師と同じだろうか?大学の英語教師とフランス語教師はおそらく違った考えをもって教えているのではないかと思う。言語感覚も違うし、文化も違う。英語に対する先入観のないフランス語を学ぶ学生に対する教師の思いは違うだろう。それでも、共通することは多いはずだ。たとえば、教師と学生との関係性も問題をフランス語の教師はどう考えるだろうか。意外にさばさばとしているかもしれない。そのあたりが知りたい。