言語教師認知とは?(本ブログのはじめの再掲)
まず、次の図を見てください。Simon Borg (2006)をもとに、日本の英語教師の認知の構造を表したものです。
言語教師認知の研究
ここで考える言語教師認知の研究のポイントは、
言語教師の課題解決につながる教師の認知プロセスの探求
英語教育研究の伝統と歴史の中の言語教師認知
教員研修の重要なカギとなる言語教師認知
近年、言語教師認知と授業実践との関連性の研究が徐々に注目され、この十数年間徐々に教師の心的プロセスへの注目度が高まり、その関心が浸透するようになってきました。言語教師として必要な力量は何か、言語教師として指導に携わるための知識と技能は何か、それを基盤とした教授力や学習指導力はどのように養成し、育成していくのか、また、その言語教師としての力量と学校教育における教育活動全般にかかわる力量との関連などが取りざたされてきました。しかし、それだけでは言語教師の今日的課題は解決しにくいことが認識されてきたのです。
このような経緯から、
言語教師認知研究とは「言語教師が目標指導言語や授業指導に関してどのような認知のプロセスを持って成長しているか」という探求をめざす。言い換えれば、「言語教師がどう考え、何を知り、何を信じているのか、そして何をしているのか」という認知のプロセスを言語教師認知ということばで表します。
多くの言語教師にとって関心の的は、指導言語の知識と技能に関係することであり、かつ、実際にどう指導するかに関連する知識と技能です。どちらに重点を置くかは状況と教師自身の考え方によります。言語教師を取り巻く研修もこれらのどれかに焦点を当て実施されています。文学、言語学、異文化、4技能の指導、発音、導入の工夫など、知識と技能に関する研修が教師の興味を引くでしょう。言語学や文学や言語教育を専門とする言語教育研修の指導者は、自身の研究の観点から様々な知識と技能を提供してきました。また、学校経営、教育課程、生徒指導などの教育にとって重要な研修内容は、校長経験者、指導主事などの経験者が担当し、行政の方針等に沿って、自身の経験と知識をもとに指導してきました。それに対して、教育学の知見を基盤とした教師の研究は、教師を研究の対象として科学的に分析することに終始する傾向がありました。これらの研究や実践が言語教師のために系統的に提供されてきたでしょうか。
英語教育研究はその長い伝統と歴史を形成してきました。「英学」に始まり、「英文学」と「英語学」という二つの学問的柱を中心として英語教育は研究実践されてきました。その伝統に加えて、応用言語学、第2言語研究などを背景とした理論と実践を導入することにより、カリキュラム、指導法、教材などに注目するようになっています。多くは、日本の学校現場の教師文化や実態とは、やや異なる視点からの内容であり、必ずしも現場に浸透するまでには至っていません。1980年代後半に導入された学習指導要領の「オーラルコミュニケーション」という目標設定とALT(Assistant Language Teacher)とのティームティーチングは、ある意味で英語教育を大きく変える出来事でしたが、期待ほどの効果はあがっていない可能性があります。
このような状況に対して、言語教師認知の研究はある意味で重要なカギとなる可能性があります。日本の小学校や中学校を中心にして行われてきた授業研究(lesson study)の伝統と、リフレクティブ・ティーチング(reflective teaching)(授業内容などを、つねに振り返り、考えることにより、授業を改善し、教師としての資質を向上しようとする研修)を背景とした協同のアクション・リサーチ(collaborative action research)(授業内容を、授業実践しながら、同僚とともに、改善しようとする研究)が、言語教師認知研究に支えられるからです。
ー 笹島・ボーグ(2008)『言語教師認知の研究』より
さて、本題です。「自分はことばをどう学んだか?」という問いです。
授業では、グループで関連の話をしました。話題は様々で興味深いと思ってくれればよいと思います。答えがあるわけではありません。他の人と話し合うことで、何が共通の意識で、何が違うか、に気づくか?また、どうしてそう考えるのか?ということを突き詰めて考えるということが、「省察(reflection)」につながります。
みなさんの議論の中で、私が特に印象に残ったのは、「受験」ということです。言い換えれば、「高校や大学の入学試験を目的とした英語学習」ということでしょう。
英語が話せないのは受験教育のせいだ。
文法訳読は受験には欠かせない。
本当は受験指導などはしたくないけど。。。
このような問題は、「学習指導要領」とはかけ離れています。みなさん気づいているのに、だれも解決できません。
実は、高校入試も大学入試も変わっています。学校の英語教育も少しずつですが変わっています。教師の意識はどうでしょうか?
次の話題は、「ことば(主に英語)はどう教えられているか?」です。
次のサイトにアクセスして指導事例を参照して、この課題について意見を言えるようにしておいてください。
英語ネット
また、自分の興味あるテーマについてのリサーチを少しずつ始めてください。
2013年4月26日金曜日
2013年4月19日金曜日
1. 外国語(英語)を学ぶ/教えるとは?
言語教師認知論という研究に関心を持っていただいてうれしいですね。たくさんの人が来てくれて、きょうは大満足です。それとともに授業もすこし工夫しなくてはいけません。
大事なことは、言語教師認知の研究には確かに枠組みがありますが、この授業はそれに集中するのではなく、どちらかと言えば「学校現場」に焦点を当てて、「英語を教える・学ぶ」を考えましょう。
Language Teacher Cognitionとは
「言語教師が、言語を教える/学ぶにあたって、何を考え、どのような知識があり、どのようなビリーフ(信念)をもっているのか、ということを探求することにより、言語教育を見直し、言語教師自身の成長に寄与しようと意図する」
ということです。
詳しく知りたい人は、『言語教師認知の研究』(笹島・ボーグ, 2009)を購入して読んでください。また、英語版は簡単な説明は次の資料を読んでください。
Introducing Language Teacher Cognition
また、私が代表をしている研究会のサイトです。
JACET言語教師認知研究会
いっしょに暫し学びましょう。
さて、「外国語(英語)を学ぶ/教えるとは?」ということですが、。。。
英語を学ぶ意義は、学習者が英語を学習するにあたり、もっとも大切なことです。しかし、それをどう受け止めているか、あるいは、どう実践しているかは、人によって相当に違います。互いに異なることをまず理解することが大切です。「英語はコミュニケーションのためだ」という意義があったとすると、どのようなコミュニケーションを想定しているのか?
中高の英語教育では、「教科」としての「外国語(英語)」を学ぶという思い込み(assumptions)は、どの程度の共通理解があるのか?「言語(ことば)」として英語を学ぼうということはどういうことか?
これも人によってかなり違います。
不正確に英語を使ってもよいから、まずコミュニケーションだ!
まず基本が大切。発音を正確にしなければコミュニケーションはできない。
文法が分からなければ英語は読めない、書けない。
語彙学習が一番。
私は音読で英語が分かるようになった。だから音読を薦めたい。
学習指導要領にあるとおり、「コミュニケーション能力の基礎を養う」ので、私は、文法、語彙、訳をきちんと教える。それが子供たちの将来に必ず役に立つ。
などなど。
授業では、その他にも多くの話題が出ました。まとめると、
英語を学ぶ目標が受験になっている。もっと大きな目標のもとに英語や外国語は学ぶほうがよい。日本の英語教育の目標は限定的だ。日本の学校教育は画一的で、受験という方向性ができてしまうと、それに従って進んでしまい、結局、「役に立たない英語学習」となってしまう可能性が高い。世界は多言語多文化社会になっているので、もっとそういうことを考えたほうがよい。ヨーロッパは個人主義だ。もっと個人で考えて、行動するほうがよいのではないか?外国語は、「その場そのとき (hear and now)」が最も効果があると思う。もっと英語(あるいは外国語)が話されている状況に入って英語あるいは外国語)を使う機会に接することが大切。
といったものでした。非常に貴重な意見でもどれも正しいし、的を射ていると思います。しかし、大切な点は、これも、人によって受け止め方が異なるということです。
教師認知は、そのような複雑な教師の考え方を理解しようとすることを目的としています。そのことを理解して、英語の教え方や学び方を考えるということです。
コミュニケーションを重視した言語教育(communicative language teaching)(CLT)は主流です。しかし、実はCLTは形がある訳ではありません。Michael Longという人が1988年い提案したFocus on Form という考えは、コミュニケーション活動の中で文法を意識するというものです。ただコミュニケーションをすればよいというのではなく、そこで文法を意識して学ぶということでしょう。
鈴木利彦先生の話題が出ました。鈴木先生は、語用論(pragmatics)を研究している人です。語用論は実際の言語の使用を研究していますから、ある意味で、Focus on Formと似通った活動になります。
まとまりませんが、みなさんとの議論からそんなことを考えました。
次は、「2.自分はことばをどう学んだかについて考える」がテーマです。楽しみにしています。
大事なことは、言語教師認知の研究には確かに枠組みがありますが、この授業はそれに集中するのではなく、どちらかと言えば「学校現場」に焦点を当てて、「英語を教える・学ぶ」を考えましょう。
Language Teacher Cognitionとは
「言語教師が、言語を教える/学ぶにあたって、何を考え、どのような知識があり、どのようなビリーフ(信念)をもっているのか、ということを探求することにより、言語教育を見直し、言語教師自身の成長に寄与しようと意図する」
ということです。
詳しく知りたい人は、『言語教師認知の研究』(笹島・ボーグ, 2009)を購入して読んでください。また、英語版は簡単な説明は次の資料を読んでください。
Introducing Language Teacher Cognition
また、私が代表をしている研究会のサイトです。
JACET言語教師認知研究会
いっしょに暫し学びましょう。
さて、「外国語(英語)を学ぶ/教えるとは?」ということですが、。。。
英語を学ぶ意義は、学習者が英語を学習するにあたり、もっとも大切なことです。しかし、それをどう受け止めているか、あるいは、どう実践しているかは、人によって相当に違います。互いに異なることをまず理解することが大切です。「英語はコミュニケーションのためだ」という意義があったとすると、どのようなコミュニケーションを想定しているのか?
中高の英語教育では、「教科」としての「外国語(英語)」を学ぶという思い込み(assumptions)は、どの程度の共通理解があるのか?「言語(ことば)」として英語を学ぼうということはどういうことか?
これも人によってかなり違います。
不正確に英語を使ってもよいから、まずコミュニケーションだ!
まず基本が大切。発音を正確にしなければコミュニケーションはできない。
文法が分からなければ英語は読めない、書けない。
語彙学習が一番。
私は音読で英語が分かるようになった。だから音読を薦めたい。
学習指導要領にあるとおり、「コミュニケーション能力の基礎を養う」ので、私は、文法、語彙、訳をきちんと教える。それが子供たちの将来に必ず役に立つ。
などなど。
授業では、その他にも多くの話題が出ました。まとめると、
英語を学ぶ目標が受験になっている。もっと大きな目標のもとに英語や外国語は学ぶほうがよい。日本の英語教育の目標は限定的だ。日本の学校教育は画一的で、受験という方向性ができてしまうと、それに従って進んでしまい、結局、「役に立たない英語学習」となってしまう可能性が高い。世界は多言語多文化社会になっているので、もっとそういうことを考えたほうがよい。ヨーロッパは個人主義だ。もっと個人で考えて、行動するほうがよいのではないか?外国語は、「その場そのとき (hear and now)」が最も効果があると思う。もっと英語(あるいは外国語)が話されている状況に入って英語あるいは外国語)を使う機会に接することが大切。
といったものでした。非常に貴重な意見でもどれも正しいし、的を射ていると思います。しかし、大切な点は、これも、人によって受け止め方が異なるということです。
教師認知は、そのような複雑な教師の考え方を理解しようとすることを目的としています。そのことを理解して、英語の教え方や学び方を考えるということです。
コミュニケーションを重視した言語教育(communicative language teaching)(CLT)は主流です。しかし、実はCLTは形がある訳ではありません。Michael Longという人が1988年い提案したFocus on Form という考えは、コミュニケーション活動の中で文法を意識するというものです。ただコミュニケーションをすればよいというのではなく、そこで文法を意識して学ぶということでしょう。
鈴木利彦先生の話題が出ました。鈴木先生は、語用論(pragmatics)を研究している人です。語用論は実際の言語の使用を研究していますから、ある意味で、Focus on Formと似通った活動になります。
まとまりませんが、みなさんとの議論からそんなことを考えました。
次は、「2.自分はことばをどう学んだかについて考える」がテーマです。楽しみにしています。
2013年4月16日火曜日
2013 言語教師認知の授業の概要
2013年度さらに言語教師認知の研究は盛んになっています。
今年からは、英語という言語の教師、つまり、英語教師に焦点を当てましょう。
目標は、二つです。
自分を知る・自己を見つめる
英語はどう教えるか?英語教師はどう教えているのか?
授業シラバスは概ね次のように進みますが、みなさんの興味の向く方向に行きましょう。
1. 外国語(英語)を学ぶ/教えるとは?
2.自分はことばをどう学んだかについて考える
3.ことば(主に英語)はどう教えられているか?(1)
4.ことば(主に英語)はどう教えられているか?(2)
5.ことばはどう学ばれているか?
6.外国語(英語)はどう学ばれているか?
7.ことばの教え方を調べる(1)国語と英語はどう違うか?
8.ことばの教え方を調べる(2)英語とヨーロッパ言語とはどう違うか?
9.ことばの教え方を調べる(3)英語とアジア言語とはどう違うか?
10.ことばの教え方を調べる(3)国語と日本語はどう違うか?
11.ことば(主に英語)の教え方について話しあう(1)
12.ことば(主に英語)の教え方について話しあう(2)
13.言語教師認知を考える(1)
14.言語教師認知を考える(2)
15.まとめ
今年からは、英語という言語の教師、つまり、英語教師に焦点を当てましょう。
目標は、二つです。
自分を知る・自己を見つめる
英語はどう教えるか?英語教師はどう教えているのか?
授業シラバスは概ね次のように進みますが、みなさんの興味の向く方向に行きましょう。
1. 外国語(英語)を学ぶ/教えるとは?
2.自分はことばをどう学んだかについて考える
3.ことば(主に英語)はどう教えられているか?(1)
4.ことば(主に英語)はどう教えられているか?(2)
5.ことばはどう学ばれているか?
6.外国語(英語)はどう学ばれているか?
7.ことばの教え方を調べる(1)国語と英語はどう違うか?
8.ことばの教え方を調べる(2)英語とヨーロッパ言語とはどう違うか?
9.ことばの教え方を調べる(3)英語とアジア言語とはどう違うか?
10.ことばの教え方を調べる(3)国語と日本語はどう違うか?
11.ことば(主に英語)の教え方について話しあう(1)
12.ことば(主に英語)の教え方について話しあう(2)
13.言語教師認知を考える(1)
14.言語教師認知を考える(2)
15.まとめ
活動 グループ討論
リサーチ
発表(口頭とレポート)
英語教師の考え方/教え方の探求!
2012年8月2日木曜日
言語教師認知論2012を終えて
最終会は、特別講師を迎えて、内容的にちょっと濃かったのですが、個人的には勉強になりました。中国におけるglobal understandingに関する教師の認知は、現在の中国の発展を考えると重要なテーマで興味をそそります。
英語を教えるということは、国際理解や異文化理解(文化間理解)と深く関係します。小中高では英語を教えていますが、学習指導要領では「外国語」となっています。ことばは広い理解の始まりでもあるし、欠かせない道具ですが、内容でもあります。
コミュニケーションの重要性は多くの人が指摘するし、社会の中で生きる人間の生活の基盤です。それだけではなく、理解を図る上でコミュニケーション能力がなければうまくいかないでしょう。文化はその際に潤滑油にもなるし、障害にもなります。
「国際理解」ということば自体の理解のしかたも教師一人ひとり違うでしょう。英語では、global or international understandingと一般に言われますが、ヨーロッパなどではあまり聞かない気がします。個人的な思い込みなので事実ではないと思いますが、そんな気がします。どちらかというと、教師の人と話していると、intercultureということばをよく聞きます。
しかし、東アジアでは、「国際理解」は英語を学ぶ際には大きな目標となっているようです。実際は、「国際理解」と称して何をしているのでしょうか?私個人の経験では、「英語圏の文化を体験したり,歌や食べ物や行事を紹介し、平和に仲良くやりましょう」という内容が多かったように思います。それが悪いというわけではありませんが、実際は、もっと個人的なつながりをすることのほうがいつも重要なのではないかと思います。その意味で、英語や互いの言語を利用できることはとても大切です。
Kさんは、日本の大学院で英語教育を研究し、日本語も英語も堪能です。これからますます活躍していただきたいと思います。
さて、さいごの授業で、発表した内容についてレポートをいただきました。ありがとうございます。あらためて興味深く読ませていただきました。それぞれのテーマはどれも、言語教師認知的に見れば、たいへん重要です。ぜひ追求していただきたいと思います。
教師は、教える人であり、研究する人です。英語教師であれば、英語を教えることがまず第1の仕事です。そのための知識、技能、経験はつねにブラッシュアップする必要があります。多くの外国語の教師は、自分の知識や技能に自信を持っていません。もし自信があるとしたら、それはおそらく間違いです(と思います)。
言語教師認知論自体は、何もないかもしれませんが、教師である自分を考える、自分を探求する、それも生徒や同僚を通して自分を見つめる、生徒や同僚も教師を通して自分を考える、というような「学び」を教師という観点から考え、発展させることと深く関係しています。教師自体を研究の対象とするわけではないと考えています。特に言語教師はその点について考える必要があります。文法や単語を教えたり、受験指導をしたり、英語でコミュニケーションすることを教えているだけでは壁に突き当たります。その先があると思います。その先とは、私にもわかりませんが、実際、それぞれのことを探求してすばらしい成果を上げている人がたくさんいます。それをただ見倣うのではなく、「自分を見つける」ことが大切でしょう。そのヒントが、言語教師認知の研究にはあると思うわけです。
英語の知識や技能の向上には何も役立たなかったかもしれませんが、数ヶ月ありがとうございました。また引き続きよろしく。
このブログは,メモです。乱筆乱文ご容赦ください。
英語を教えるということは、国際理解や異文化理解(文化間理解)と深く関係します。小中高では英語を教えていますが、学習指導要領では「外国語」となっています。ことばは広い理解の始まりでもあるし、欠かせない道具ですが、内容でもあります。
コミュニケーションの重要性は多くの人が指摘するし、社会の中で生きる人間の生活の基盤です。それだけではなく、理解を図る上でコミュニケーション能力がなければうまくいかないでしょう。文化はその際に潤滑油にもなるし、障害にもなります。
「国際理解」ということば自体の理解のしかたも教師一人ひとり違うでしょう。英語では、global or international understandingと一般に言われますが、ヨーロッパなどではあまり聞かない気がします。個人的な思い込みなので事実ではないと思いますが、そんな気がします。どちらかというと、教師の人と話していると、intercultureということばをよく聞きます。
しかし、東アジアでは、「国際理解」は英語を学ぶ際には大きな目標となっているようです。実際は、「国際理解」と称して何をしているのでしょうか?私個人の経験では、「英語圏の文化を体験したり,歌や食べ物や行事を紹介し、平和に仲良くやりましょう」という内容が多かったように思います。それが悪いというわけではありませんが、実際は、もっと個人的なつながりをすることのほうがいつも重要なのではないかと思います。その意味で、英語や互いの言語を利用できることはとても大切です。
Kさんは、日本の大学院で英語教育を研究し、日本語も英語も堪能です。これからますます活躍していただきたいと思います。
さて、さいごの授業で、発表した内容についてレポートをいただきました。ありがとうございます。あらためて興味深く読ませていただきました。それぞれのテーマはどれも、言語教師認知的に見れば、たいへん重要です。ぜひ追求していただきたいと思います。
教師は、教える人であり、研究する人です。英語教師であれば、英語を教えることがまず第1の仕事です。そのための知識、技能、経験はつねにブラッシュアップする必要があります。多くの外国語の教師は、自分の知識や技能に自信を持っていません。もし自信があるとしたら、それはおそらく間違いです(と思います)。
言語教師認知論自体は、何もないかもしれませんが、教師である自分を考える、自分を探求する、それも生徒や同僚を通して自分を見つめる、生徒や同僚も教師を通して自分を考える、というような「学び」を教師という観点から考え、発展させることと深く関係しています。教師自体を研究の対象とするわけではないと考えています。特に言語教師はその点について考える必要があります。文法や単語を教えたり、受験指導をしたり、英語でコミュニケーションすることを教えているだけでは壁に突き当たります。その先があると思います。その先とは、私にもわかりませんが、実際、それぞれのことを探求してすばらしい成果を上げている人がたくさんいます。それをただ見倣うのではなく、「自分を見つける」ことが大切でしょう。そのヒントが、言語教師認知の研究にはあると思うわけです。
英語の知識や技能の向上には何も役立たなかったかもしれませんが、数ヶ月ありがとうございました。また引き続きよろしく。
このブログは,メモです。乱筆乱文ご容赦ください。
2012年7月14日土曜日
発表を聞いて4(大手予備校講師インタビュー)
予備校や塾と言われる教育機関あるいはその他の教育産業は、日本の教育には欠かせない存在となっているにもかかわらず、あまり表立って取り上げられることはないようです。その意味で、K2さんの話は興味深く聞きました。大手予備校講師のK先生に焦点をしぼって、その教師のライフヒストリーを、自分とのかかわりを交えて話してくれました。言語教師認知の研究は、教師のビリーフ、教師の知識、教師の意思決定、教師の学習などが、教師の教え方や行動とどうかかわるかを探求する研究で、さらに、その研究を通じて、教師個人の成長を図ることを目的としています。そのことが、生徒の学習に大きく影響を与えるという観点から、とても重要な研究だと思っています。
その意味で、予備校や塾での英語指導は、私にはよく分からない対象で、もっと探求する必要があるといつも思っています。
ウェブで調べてみると、様々な調査報告がありますが、ベネッセに次のように補助教育として説明があります。
JAPAN’S SuPPlEMENTARY EDuCATiON MARKET
また、次のような記事もありました。
Supplementary education in Japan
いずれにしても、予備校や塾は教育の重要な一部となっていることがよく分かります。その中でも「英語」は実に重要な科目となっています。
K先生は、K2さんに大きな影響を与えた先生です。さらに、K2さんだけではなく多くの教え子に影響を与えたようです。静岡から東京に出てきて、人気講師の一人として活躍しています。しかし、生徒の大学合格という目標を実現するプロフェッショナルとして日々の努力は並大抵ではありません。おそらくどのような教育現場でもそれなりに活躍する人だと思います。
K先生が授業で心がけていることは次の3つだそうです。
分かりやすい おもしろい(fun) 外見/雑談
なるほどと思います。中学校や高校の英語授業でも多くの先生は腑に落ちることだし、そう努力していると考えられます。
私は、大学で教えていて学生に思うことは、「何のために英語を学ぶのか?」ということです。予備校ではこれが明確で「目標の大学に合格するため」です。しかし、これは誤解だと考えています。予備校や塾の先生は、それだけでは生徒は満足しないだろうと直感しているはずです。だから、何か工夫をしなければ生徒の関心を引きつけることはできないと考えます。その工夫は、教師によって違います。違っていいだろうと思います。生徒は違うからです。
その中でも最も重要なことは、生徒の人生や学習などの不安に対する漠然とした配慮ではないかと、個人的には考えます。これは、英語を教えることと直接関係ないかもしれませんが、間接的には大きく関係しています。K先生の心がけていることに関連させると、
分かりやすい → 分かったことによる不安の排除
おもしろい(fun) → 心を開放することによる不安の排除
外見/雑談 → 「つかみ」による一体感
などと考えることもできます。あまりいい説明ではないかもしれませんが、生徒の安心感や信頼感をつかみ取ることは、教育の基本です。
私は、基本的に受験指導を肯定するわけではありません。文法理解も読解もある意味で必要ですが、最終的には、その言語が「使える」かどうかです。受験という短絡的な学習目標設定はすべきではないと思います。その意味で、予備校や塾のパワーを学習者個人の言語教育ともっと密接に関連させたほうがよいと考えています。
CEFRやCLILやELPなどのヨーロッパを中心とした言語教育の流れは、日本でも生かせる可能性があります。受験というビジネスは相当の力があります。若い人がその表面的な部分にのみエネルギーを注ぐのではなく、言語学習が将来につながる基礎的な能力として生かされることを望みます。その意味で、言語教師は、どのような教育機関でも、言語教師として活躍できるように、次のようなスタンダードを考えみました。
実践的外国語(英語)に携わる言語教師研修カリキュラムより
K2さんは、予備校の教師になりたいそうです。きっと「教える」「学ぶ」ことに対する自身の体験がそうさせるのでしょう。それは意味のあることです。私は、塾や予備校はやりがいのある仕事だと思っています。多くの人がその価値を評価しています。世界的にも認められるべき教育文化だと思っています。
しかし、不幸なことに、全体の教育システムとしてもっと効率化される必要があると思っています。結局、お金がない人は、教育を受けられる機会を失っていることをもっと考えたほうがよいでしょう。そして、それに携わる(言語)教師も「教える」ことに集中できることが大切だと考えています。
まとまりがありませんが、刺激的な話でいろいろと考えさせられました。
ありがとう。乱筆乱文ご容赦。
その意味で、予備校や塾での英語指導は、私にはよく分からない対象で、もっと探求する必要があるといつも思っています。
ウェブで調べてみると、様々な調査報告がありますが、ベネッセに次のように補助教育として説明があります。
JAPAN’S SuPPlEMENTARY EDuCATiON MARKET
また、次のような記事もありました。
Supplementary education in Japan
いずれにしても、予備校や塾は教育の重要な一部となっていることがよく分かります。その中でも「英語」は実に重要な科目となっています。
K先生は、K2さんに大きな影響を与えた先生です。さらに、K2さんだけではなく多くの教え子に影響を与えたようです。静岡から東京に出てきて、人気講師の一人として活躍しています。しかし、生徒の大学合格という目標を実現するプロフェッショナルとして日々の努力は並大抵ではありません。おそらくどのような教育現場でもそれなりに活躍する人だと思います。
K先生が授業で心がけていることは次の3つだそうです。
分かりやすい おもしろい(fun) 外見/雑談
なるほどと思います。中学校や高校の英語授業でも多くの先生は腑に落ちることだし、そう努力していると考えられます。
私は、大学で教えていて学生に思うことは、「何のために英語を学ぶのか?」ということです。予備校ではこれが明確で「目標の大学に合格するため」です。しかし、これは誤解だと考えています。予備校や塾の先生は、それだけでは生徒は満足しないだろうと直感しているはずです。だから、何か工夫をしなければ生徒の関心を引きつけることはできないと考えます。その工夫は、教師によって違います。違っていいだろうと思います。生徒は違うからです。
その中でも最も重要なことは、生徒の人生や学習などの不安に対する漠然とした配慮ではないかと、個人的には考えます。これは、英語を教えることと直接関係ないかもしれませんが、間接的には大きく関係しています。K先生の心がけていることに関連させると、
分かりやすい → 分かったことによる不安の排除
おもしろい(fun) → 心を開放することによる不安の排除
外見/雑談 → 「つかみ」による一体感
などと考えることもできます。あまりいい説明ではないかもしれませんが、生徒の安心感や信頼感をつかみ取ることは、教育の基本です。
私は、基本的に受験指導を肯定するわけではありません。文法理解も読解もある意味で必要ですが、最終的には、その言語が「使える」かどうかです。受験という短絡的な学習目標設定はすべきではないと思います。その意味で、予備校や塾のパワーを学習者個人の言語教育ともっと密接に関連させたほうがよいと考えています。
CEFRやCLILやELPなどのヨーロッパを中心とした言語教育の流れは、日本でも生かせる可能性があります。受験というビジネスは相当の力があります。若い人がその表面的な部分にのみエネルギーを注ぐのではなく、言語学習が将来につながる基礎的な能力として生かされることを望みます。その意味で、言語教師は、どのような教育機関でも、言語教師として活躍できるように、次のようなスタンダードを考えみました。
実践的外国語(英語)に携わる言語教師研修カリキュラムより
スタンダード1:外国語の知識と技能
スタンダード2:外国語授業運営の知識と技能
スタンダード3:学習者の外国語学習目標の明確化
スタンダード4:学習者の外国語学習ニーズに沿ったカリキュラム設計と評価
スタンダード5:学習者の学習履歴の把握と学習方法の支援
スタンダード6:学習段階、科目内容、分野、仕事などのディスコースコミュニティの理解
スタンダード7:教育目標、学校文化の理解と外国語教育の専門性
スタンダード8:外国語使用のジャンル(場面や社会文化など)に対する理解
スタンダード9:初等教育から高等教育まで系統的外国語教育理解
スタンダード10:評価測定方法に関する知識と技能
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K2さんは、予備校の教師になりたいそうです。きっと「教える」「学ぶ」ことに対する自身の体験がそうさせるのでしょう。それは意味のあることです。私は、塾や予備校はやりがいのある仕事だと思っています。多くの人がその価値を評価しています。世界的にも認められるべき教育文化だと思っています。
しかし、不幸なことに、全体の教育システムとしてもっと効率化される必要があると思っています。結局、お金がない人は、教育を受けられる機会を失っていることをもっと考えたほうがよいでしょう。そして、それに携わる(言語)教師も「教える」ことに集中できることが大切だと考えています。
まとまりがありませんが、刺激的な話でいろいろと考えさせられました。
ありがとう。乱筆乱文ご容赦。
発表を聞いて3(言語教師としてのパーソナリティについて)
Tさんはやはり自分が好きなんだろうと思う。それとともに、他人も好きで、人とかかわり合うのが好きだ。発表にもそれが表れていました。これは、言語教師というよりも教師にはとても必要な要素であり、かつ、けっこうしんどいかもしれません。
パーソナリティがテーマでした。金子みすゞの詩を思い出しました。
私と小鳥と鈴と
私が両手をひろげても、/お空はちっとも飛べないが、/飛べる小鳥は私のように、/地面を速くは走れない。
私がからだをゆすっても、/きれいな音は出ないけど、/あの鳴る鈴は私のように/たくさんな唄は知らないよ。
鈴と、小鳥と、それから私/みんなちがってみんないい。
Tさんの話は、まず自分の生い立ちが自分のパーソナリティにどうかかわるかを説明することから始まりました。特に祖母の話はとてもいい話でした。Tさんの人とのつながり方の基本がどこにあるのかがよく分かりました。
話の大筋は、恩師の先生とアルバイト先の大手コーヒーチェーン店での自身の経験でした。二つの話は、人との接し方で共通してました。恩師の先生が生徒とどう向き合っているのかをインタビューで聞き取り調査をしました。経験豊かな先生で、話の様子からするととてもいい先生のようです。自分のパーソナリティを生かした実践が授業に反映されているようです。TさんのロールモデルとしていまもTさんに影響を与え続けているのでしょう。
大手コーヒーチェーン店での経験は、やはりTさんの今日に大きく影響を与えているようです。接客という観点から見れば、教育にも共通する考え方があります。言語教育は、言語の構造や機能をただ教えればよいという訳にはいきません。コミュニケーションという要素と文化という要素を同時に考える必要があります。大手コーヒーチェーン店の理念が、働く人や顧客のことをまず考えることにあるということは、なるほどと思いました。
「分かった!」「できた!」という成功体験は、学習者にとっても、教師にとっても大切です。恩師の先生も大手コーヒーチェーン店の理念も、それを大切にしているということが基本にあるようです。それとともに、Tさんも強くその考えに支えられていると感じました。
人と接するのは楽しいこともありますが、嫌なこともたくさんあります。恩師の先生が感情をある程度抑えて生徒と接するというのは、自分に対する戒めかもしれません。「みんなちがって、みんないい」は、そのとおりだと思うのですが、実はむずかしい。言語教師としては、ことばの学習を通した文化理解能力(intercultural communicative competence)の育成につながります。
Tさんの考えは、まだうまくまとまっていないかもしれませんが、ほぼよい方向に向かっていると思います。全体をよく見ていると感じました。
ありがとう。乱筆乱文ご容赦。
パーソナリティがテーマでした。金子みすゞの詩を思い出しました。
私と小鳥と鈴と
私が両手をひろげても、/お空はちっとも飛べないが、/飛べる小鳥は私のように、/地面を速くは走れない。
私がからだをゆすっても、/きれいな音は出ないけど、/あの鳴る鈴は私のように/たくさんな唄は知らないよ。
鈴と、小鳥と、それから私/みんなちがってみんないい。
Tさんの話は、まず自分の生い立ちが自分のパーソナリティにどうかかわるかを説明することから始まりました。特に祖母の話はとてもいい話でした。Tさんの人とのつながり方の基本がどこにあるのかがよく分かりました。
話の大筋は、恩師の先生とアルバイト先の大手コーヒーチェーン店での自身の経験でした。二つの話は、人との接し方で共通してました。恩師の先生が生徒とどう向き合っているのかをインタビューで聞き取り調査をしました。経験豊かな先生で、話の様子からするととてもいい先生のようです。自分のパーソナリティを生かした実践が授業に反映されているようです。TさんのロールモデルとしていまもTさんに影響を与え続けているのでしょう。
大手コーヒーチェーン店での経験は、やはりTさんの今日に大きく影響を与えているようです。接客という観点から見れば、教育にも共通する考え方があります。言語教育は、言語の構造や機能をただ教えればよいという訳にはいきません。コミュニケーションという要素と文化という要素を同時に考える必要があります。大手コーヒーチェーン店の理念が、働く人や顧客のことをまず考えることにあるということは、なるほどと思いました。
「分かった!」「できた!」という成功体験は、学習者にとっても、教師にとっても大切です。恩師の先生も大手コーヒーチェーン店の理念も、それを大切にしているということが基本にあるようです。それとともに、Tさんも強くその考えに支えられていると感じました。
人と接するのは楽しいこともありますが、嫌なこともたくさんあります。恩師の先生が感情をある程度抑えて生徒と接するというのは、自分に対する戒めかもしれません。「みんなちがって、みんないい」は、そのとおりだと思うのですが、実はむずかしい。言語教師としては、ことばの学習を通した文化理解能力(intercultural communicative competence)の育成につながります。
Tさんの考えは、まだうまくまとまっていないかもしれませんが、ほぼよい方向に向かっていると思います。全体をよく見ていると感じました。
ありがとう。乱筆乱文ご容赦。
2012年7月9日月曜日
発表を聞いて2(フィンランドの英語教育と教員養成)
Sさんは、特別発表です。昨年から1年間フィンランドに留学していた際のことを話してもらいました。フィンランドの英語教育やその教員養成(特に教育実習)について特に調査してきました。発表はその一部です。Sさんとはこの4月にフィンランドで会って話をしました。その際に、とてもおもしろい体験をしていることを知り、この授業にも特別参加してもらいました。
フィンランドの教育は日本でも注目されています。確かに成果をあげていて、日本の教師からするとかなり異なる環境の中で教えています。Sさんは、その教員養成課程の中でエスノグラフィーをしました。集めた資料はおそらく膨大でこれから整理してまとめるのでしょう。特に教育実習の観察調査は貴重だと思いました。すべて見た記述をしっかりとまとめておくとよいと思います。これから行なう日本での教育実習と較べると何か分かるような気がします。
Sさんの発表の中で、教員にとって大切な点に、distinctiveness(独自性)ということをあげていました。フィンランドの教師教育の特性を表していると思います。もちろん、これは教師に限ったことではありません。当たり前ですが、人と違うこと、個性は、とても大切です。しかし、日本の教育環境ではどうでしょうか?学校や学級などでは、協調性の重要性や他の人と同じ行動や意見を要求されることが多いかもしれません。個性を重視するあまりコミュニケーションが軽視されたりする場面もあります。そのあたりの社会と学校と個人の関係性が、日本ではまだ「閉じられている」という気がします。教師の「教え方」を考えてもそうです。人と同じように教える、だれかのまねをする、自分が教えられたように教える、という状況が多々あると思います。その点、distinctiveness(独自性)は大切です。しかし、その背景には、当然、ある前提条件(学習指導要領)があります。日本の大きな問題は、学習指導要領と現実の要求が、「あいまい」であることにあると、個人的には考えています。
もう一つ、Sさんの発表で、印象に残ったことがあります。「英語を通して教える」ということです。これはさりげなく言われるので、「それで?」となるかもしれませんが、私自身がフィンランドの英語授業を見ていて、いつも感じることです。もちろん、フィンランドでも英語の授業では英語を教えているわけですが、背後には「英語を通して教える」という意識があります。日本の場合、それよりも「英語を教える」という感覚が強いように思います。英語教師は、英語の語彙、文法、統語、文化、コミュニケーションなどなどを教えるということです。「英語を通して教える」を別の言い方をすると、「英語はツール」であるということです。英語自体に何か目標があるわけではありません。もちろん英語という言語を研究の対象とする人には別ですが、多くの生徒は違います。英語は彼らが社会に出たときに必要なツールなのです。
Sさんはどう思ったか分かりませんが、私はフィンランドの外国語教師の授業をすごいとは思いません。日本の教師の方が教え方が上手な人はたくさんいるのではないかと思います。しかし、フィンランドの教師のよいところは、教えることに自信を持って教えているということです。人と違って当然。授業はテクニックではなく、その教師の姿勢と哲学で、まさにその人自身の生き方の問題です。教師は忙しい仕事ですが、まず楽しまなくてはいけないと、フィンランドの教師を見ていると思います。先生が楽しんでいなければ、生徒は楽しくないでしょう。先生がいい加減にやっていれば、生徒もいい加減になります。
フィンランドは、日本よりは教育にお金をかけて、力を入れています。日本はお金をかけずに、効率よく行ない、成果をあげてきました。少しフィンランドを見倣うほうがよいと思っています。Sさんの発表は、フィンランドの教育全体の説明で、話足りない点もあったようです。1年間の知識と経験は貴重ですから整理しておくとよいでしょう。また、これをきっかけにフィンランドを徹底的に研究していくとよいでしょうね。期待したいです。
私もフィンランドの外国語教師認知には興味を持って研究しています。何故かというと、フィランドの外国語教師の考え方や実践を見ていると、日本の英語教師の考え方や実践に「特異な」思い込みがあるということが見えてくるからです。人は違うのは当たり前ですが、その違いを違いのまま受け入れることが、distinctiveness(独自性)なのですが、日本ではどうもそのことが機能していないように思います。distinctiveness(独自性)を強調し過ぎて「独りよがり(ego)」になったり、distinctiveness(独自性)を消すことで、同僚と同じように同じことを大過なくこなすというようになったり、バランスがうまくいっていないように感じます。このバランスを教師が持つことで、生徒もバランスを保てるのではないか。
教師は忙しいと言われます。ちょっと考えてみて、仕事を整理したらどうでしょうか?フィンランドを見ているとそう思います。Sさんありがとう。
乱筆乱文です。間違いや勘違いやご容赦ください。
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