2017年7月9日日曜日

2017年度3

4 Confidence and Education

Nさんは教師の自信について話してくれました。教師でなくても、自信、自己肯定感、あるいは、信念、信条などという人が拠り所とする根拠はいつも重要です。特に英語教師の場合は、英語を授業言語とするかどうかという判断は、英語を教えることとは違い、英語で教えるあるいは英語で授業を運営するということになります。これには多くのことが影響しています。

Nさんは4人の先生に聞きました。質問もあまり複雑ではなく、中身としては物足りないものがあります。この問題はかなり複雑で、英語が得意だから授業で英語を使うという単純なことではありません。ただし、発表には色々なことを考えさせられました。日本の状況では、確かに英語を使う機会が圧倒的にないという事実がありそうだ、ということです。

確かに、私自身も高校で英語の教員をし、大学でも英語を教えることが多いのですが、英語の授業の関連で英語を話すことはあまりないということに気づきました。授業の中で生徒が英語を使うことを演出することは昔から大切だと思ってきました。ただ、パフォーマンスは嫌いでした。英語の教師はエンターティナーや俳優のようでであるべきだと言われることがありますが、私にはそのような才能もなければ、その気もありません。また、NSのように英語を使うことにも抵抗がありました。私は日本人で日本の文化を背負って、かつ、高校教師としては、教師としての様々な職務があり、何か多くの人が持っている英語を話す人のイメージを満足させるような英語教師とはなるつもりもありませんでした。「英語(を使うこと)に自信があるか?」と聞かれれば、真剣に答えれば、「ない」と答えるでしょう。また、すべてに自信はないと答えるでしょう。

個人的には自信がある必要もないと考えます。ただし、自己肯定感(self-esteeem)あるいは自己効力感(self-efficacy)などと言われる感情は重要です。それがなければ、自分自身がしているすべてのことに自信を持てないし、楽しくないし、ビビって生きることになります。「英語を使うことに自信がありますか?」という質問は、「日本語を使うことに自信がありますか?」とほぼ同じです。自信があろうがなかろうが使い、コミュニケーションができて、生活や学習ができればよいのでしょう。

Nさんの発表の中で、英語教師は意外に英語を使っていないということの方が問題だと思いました。日本あるいは日本の教育の問題かもしれません。教師の英語力に規制をかけたり、授業で無理やり英語を使わせるような政策ではなく、教師が英語を使える環境に携わる状況を支援することが大切だと思います。これも無理強いすることではなく、英語を使って意味のある活動をする機会をもっと作ることが大切です。英語研修として意味なく英語を話すのではなく、それぞれの教師のニーズに合った英語を話す機会があることが重要です。自信はその中で生まれるのではないでしょうか?

そんなことを考えました。教師のこころを理解することは、私の研究の中心です。そのためには、かなり手間をかけないと本当のところはよくわかりません。が、Nさん自身のこころでこの問題を考えることも重要だと思います。

面白かったです。ありがとう。

5 高校(中学)の英語コミュニケーション授業においての日本人教師と外国人教師の有益性の比較

Hさんは、NSとNNSを比較しました。日本で働くいわゆるALT (assistant language teacher)の歴史は古く、それなりに英語教育には貢献したと思います。私が英語教員になったそのちょっと後からJET programが始まりした。それ以来です。アメリカのJET program参加者募集には、次のような文言があります。

The JET Program is a competitive employment opportunity that allows young professionals to live and work in cities, towns, and villages throughout Japan. Being a JET is an opportunity to work and to represent the United States as cultural ambassadors to Japan.

JET Program USA

ALTの基本は、教師ではなく文化交流の一環です。これが1987年ごろに始まり、そのまま30年続いています。私はいい加減にやめて日本の英語教師を応援したほうがよいと前からずっと思っています。

Hさんも、英語で授業をすることに興味を持っているようです。NSは英語を母語としているかあるいはバイリンガルとしているかで、ふつうに英語を日常言語としています。日本人教師は英語教師として働いていますが、主な役割はまず教育者であり、「教育を司る」ということです。英語だけを教えているわけではない。ALTの役割もそうです。

Hさんが言う通り、日本語を母語とした英語教師と英語を主言語とする英語教師とのアプローチは当然異なるでしょう。どちらがよいかということはむずかしい問題ですが、その役割を理解して、教育活動に従事することが重要だと思います。NSについては外国語学習においては確かに重要で学習者にとってはニーズの高い人材です。しかし、多言語多文化社会が進行し、世界の中心的な都市では、英語を中心として政治経済社会が機能しています。英語という言語に関しては、ELF (English as a LIngua Franca)が強調されるようになりました。学問の世界ではELFを批判する人もいますが、実社会では進行しています。英語教師もこの点を意識しないといけません。

日本の高校などでは、英語の授業なのに英語があまり使われていない授業が数多く行われています。だいぶ変わったと思いますが、まだまだです。英語の授業は英語で行うことが基本だと思います。が、ただ英語でやればよいというわけにはいきません。All in Englishなどという用語が度々言われるのは、やはり意味のない英語授業が続くことが問題です。学習者にとって望ましい英語学習について、教師になる人が自由に考え、探求し、教師という仕事に意欲を感じるシステムを作ることが重要で、さらには、学習者が自分で勉強できる環境をもっと提供することです。留学もそう簡単にできるわけではなく、NSだからよいということでもありません。Hさんの言う通りです。

ありがとう。

今年度もそれほど多い授業参加者ではありませんでしたが、私にとっては考えさせられることも多く、勉強になりました。次回はゲストを招いて言語教師を考えましょう。

乱筆乱文はご容赦ください。私のメモです。



2017年7月3日月曜日

2017年度2

2 スペインと日本の英語教員に対するイメージと現状

Mさんの発表でした。Mさんはスペインに1年ほど滞在して勉強した経験があり、スペイン語も堪能で友達もたくさんいるそうです。この発表では、そのネットワークからスペインと日本の英語教育や英語教員に関して調査してくれました。

スペインは、2000年に入ってから急速に英語教育を推進しました。その発展はさすがラテン系という印象があります。とにかく何でも役に立ちそうなことはドシドシと取り入れてきました。スペイン語は今でも世界的に汎用性の高い言語で、文化的にも自負できる要素があり、英語などを使う必要もないと考える人も多いでしょう。しかし、学校教育で英語をどんどん取り入れて教えるようになりました。

なぜそれができたのかを考えると、やはり国自体が多言語状況にあったこととと、ヨーロッパの一部であったことが大きいと言えます。さらには、イタリアやフランスなど、言語的に違い言語があり、互いに刺激しあったことも影響しているのでしょう。否が応でも英語を話す人たちがたくさん入って近くに住んで仕事をしている状況が自然になっているようです。

そんなスペインと日本の英語教育に関する英語教師の意識をアンケートで聞きました。結果は実に面白いです。ずいぶんと違う国民性だということがよくわかります。10段階で答えてもらいましたが、スペインの人は、極端に回答し、中間があまりないというのはなるほどと思いました。しかし、実際に細かく聞くと結構微妙かもしれないと思います。多分文化的な差ですね。

特に英語教員の仕事が圧倒的に違うのがアンケートにもよく現れています。英語の教員はやはり英語を教えることに特化しているスペインに対して、日本はかなり違います。これは多くの人は知っているのですが、誰も何も言わないのです。この点が結構問題だと思っています。このような調査が大々的に行われ、日本の教員の仕事がとても特殊だということを明確にして議論する必要があります。


PISAの調査でも日本の教員の仕事量が指摘されましたが、仕事の細かい内容までは指摘されていません。日本では、英語力の養成が小学校から求められるようになっています。これには長い議論があり、不毛な気がします。Mさんが指摘したように「本当に英語必要ですか?」という疑問は実態を見るとその通りです。多くの人は必要としません。というより、必要としないような状況が続いていると言って良いでしょう。

まず、必要な場がどのようにあるのかを社会全体が考えてから教育の内容を決めるべきですが、初めに方針があり、それに合わせてお題目が先に決まり、その目標設定に教員がついていくという仕組みが問題です。

私はMさんのような調査がたくさん必要だと思います。また、日本の英語の先生が実際にスペインに行き、スペインの英語の先生と話をする場があると良いと思っています。英語の先生は英語圏ばかりに行き、他の外国のことや文化に関心がないのは問題だと思っています。Mさんのような人が先生になると少しは英語教育も変わるのではないかと思っています。

レポート期待です。乱筆乱文失礼。ありがとう。

3 教育実習を終えて

Iさんの教育実習の体験のレポートです。Iさんは母校の高校に教育実習に行きました。授業は,英語ではなく世界史を教えました。母校での教育実習は文部科学省からは推奨されていませんが、私はとても良いことがたくさんあると思います。もちろん、多様な学校現場を知ることは意味がありますが、自分が高校生として学んだ場所の教育文化や教師文化を改めて見る機会はとても貴重です。社会で教育実習をしたこともある面で重要です。つまり、日本の教員養成のシステムでは教科を教えることよりも、学校での教育全体の体験をすることが重要視されているので、Iさんは英語の免許も取れる訳です。変ですね。

教育実習の目的は、学校での実践的な教育体験をすることで、学習指導が主体ということでは必ずしもないのです。非常に曖昧です。指導教諭は特に資格が必要ではありません。また、特に手当も受け取りません。また、実習生の立場はかなり微妙です。事故があれば大学が責任を取ることが前提ですが、多々問題もあり得ます。みなさんの良心的な合意で成り立っています。

また、3週間という期間も微妙です。文部科学省は、その短さを埋めるために、学校体験、学校ボランティア、学校インターンシップを導入しています。しかし、実態はどうでしょうか?採用試験があり、一生懸命やったとしても教員になれない人も多々います。慣れたとしてもそれほど熱心に教科を教えたいのかは定かではありません。多様です。

そのような状況で教育実習に行ったIさんは、母校の伝統の話、母校の現状、英語教育などを話してくれました。英語教育はどの学校でもかなり力を入れるようになってきています。Iさんの母校もそうだと思います。英語の先生はおそらくプレッシャーもあって大変だと思いますが、Iさんの話だと伝統の中でゆったりと教育をしているようです。私は、教育にはそのようなある種のゆとりがなければうまくいかないと考えていますが、現実は難しいのかもしれません。

さて、Iさんはイスラームのことを世界史の授業で担当したそうです。この話題は結構大切なことのようですが、日本人であり、かつ、イスラームに特に関わっていない人には誤解も多い話題です。日本の学校教育では宗教がタブーとされています現場からすると仕方がないかもしれません。しかし、ある面で宗教に寛容なことが日本文化の良さなのかもしれません。私にはわかりませんが、宗教とともに生きている人たちが世界中に多くいることは確かです。

さて、Iさんの教育実習の話はとても面白かったのですが、本授業のテーマである英語教師の研究については今後のレポートで反映させてもらえればと思います。あるいは、Iさんが英語と社会の免許をとるという中で、英語の教師と社会の教師の違いみたいなことについて考えても良いかもしれません。何か違いがありますか?

乱筆乱文ですみませんが、様々な教育実習の体験を聞くのはとても楽しいです。ありがとう。





2017年6月25日日曜日

2017年度1

いつものことですが、これは私のメモです。見直しませんので、誤字脱字、思い違いなど多々あります。ご容赦ください。

さて、第1回。

Kさんの発表

日本人の英語学習に関する意識

今年度の「英語教師研究」の第1回発表です。英語教師や英語教育を考えることは、英語学習者も考えることです。Kさんは言語教師の資格を取ろうとしているわけで、このテーマを考えることは自分自身のためにも意味のあることだと思います。

日本で英語教育を受けてきて、大学に入って自分の学んできた英語が大したことがないと感じたそうです。それは確かに仕方がないことです。生活や学習として英語を使った経験が圧倒的に少ないわけですから、英語を実際に活用して使っていたり、バイリンガルに近い人とは当然違います。

そこで何人かの周囲の人にアンケートなどの調査をしてみました。色々と聞いてみると、皆さんバックグランドが違い面白いですね。あれやこれやと、私のツッコミのせいで話が飛んでしまい、用意していた内容が全て話せなかったようです。もう少し分析してうまくまとめてくれると面白そうです。

Kさんの話の中で、私がおもしかったのが、英語に対する考え方とか自信ということです。留学しなければ英語に対する自信が生まれないとするのはどういうことかということです。学校での英語教育っていうのはそうするとどういうことなのか?

英語という言語が使えるようになるのは、当然ルールが分からなければ使えません。ルールは机上でやることもやはり重要で、ただ単に練習だけでは使えるようにはなりません。両方必要です。しかし、留学しなくても教室でも十分両方できます。日本の場合は、圧倒的に、英語に接する場がふつうの学習の中では、少ないということが問題です。しかし、それはどこの国でも同様かもしれません。母語以外に関心も必要性もなければ、どこの国にいても母語だけで済みます。日本は本当に日本語だけで生活できるのでしょうか?確かにそうです。英語なんか話さなくても生活できます。英語の教師をしている私も英語を使わなくても生活はできる環境があります。「使わなくても良い」というのはコミュニケーションの道具としてです。

英語を教える場合は、英語によるコミュニケーションは必要ありません。が、私の場合は、英語をコミュニケーションとして使うことは重要だし、実際に日々の多くの時間をコミュニケーションの道具として使っています。それぞれのコミュニケーションは意味があります。意味のないことはしません。だからつまらない会話などのコミュニケーションはしません。

それと気づくと、私が英語を使う場合は、ほとんどの場合、いわゆるネイティブスピーカーよりはそうではない人の方が圧倒的に多いです。それはだいぶ以前からそうです。だからネイティブスピーカーという意識がほとんどありません。ネイティブスピーカーに対する引け目も感じません。「英語に自信はありますか?」と聞かれたら、「ない」と答えるでしょう。それは日本語でも同様です。他人に対して英語をひけらかすということもありません。ただし、多くの人と交流していろいろなことを吸収しようとは思います。また、仕事上、多くの人たちが英語でコミュニケーションができるように援助しようと思います。また、教師になろうとする人は援助したいと思います。

私ができるのはそれくらいのことです。自信がない人、英語が嫌いな人がいれば、「英語なんか大したことはない」「英語は使えた方がやはり世界が広がるよ」などと、なんとかしたいと思います。

それでも、40年ほど英語を教えてきても、どうもうまくいきません。それでもなんとか英語教育をもう少し効果的にしたいと考えています。Kさんの話はその点から興味深く聞きました。

やはり、カギは教師だと思います。教師の考え方や教え方が学習者には大きな影響力があるようです。

レポート期待しましょう。ありがとう。

2017年1月20日金曜日

英語教師の資質

Tさんは、英語教師の資質ということを、国、生徒、教師、保護者という4つの観点で発表しました。この4つの観点はとても面白いと思いました、とともに、たぶんそれぞれの見方はかなり違うだろうと予測できます。

教師という仕事自体が専門性の曖昧なもので、ある意味では、それぞれの国の政策で教師の資格を決めています。基本的には知識が要求されますから、大学卒であることですが、最近では、大学院卒が求められるようになっています。しかし、現実には公的な教育でない限り、そのような専門職の資格は曖昧です。発展途上国では教えることができる人が教えるということになり、仕事の質もあまりよくないこともあります。

教師の基本はteacherですが、educatorであることが求められます。教師になるには、教職科目という内容を学び、法律、理論、実践などを学びます。日本では他の国と比べると教師の仕事は「人格の完成」などと規定されるように全人的な教育が求められ、いつの間にか労働時間の長い、教科科目を教えることだけではなく、多様な教育活動を提供し、管理する役割を担うようになっています。

国レベルではそれに応える教師である必要があります。

生徒から見た視点は最も重要です。学校という文化の中で教師の存在は大きく、かなりの影響を与えます。良くも悪くも教師は社会の縮図で、教師の姿勢が生徒の行動を規定するでしょう。また、生徒の期待があれば、教師はその期待に応えようとします。その循環が今日の学校教育文化を作りあげています。

教師自身も教師教育の中で、あるいは、自分の学生生活を土台として、教師を演じます。また、教師同士の同僚性から教師文化ができ、教師の資質の概念が生まれてきます。

保護者もまた自分の学校生活での教師のイメージを持っています。そのイメージに沿った教育を自分の子供には期待するでしょう。

英語の教師に対しては、それぞれどのような期待をして、どのような資質を規定しているのかは、とても面白い課題です。簡単にはわからないことですが、それぞれの背景をベースに調査すると結果は興味深いです。

Tさんも発表で言っていましたが、昔調査したことによれば、英語の教師(あくまでも英語を教える人という意味です)の資質は、

英語力(知識と技能)
英語指導力(授業がうまく計画でき、展開でき、評価できる)
人間力(生徒を引きつける人柄)

の3つです。しかし、このように定義しても、実際はかなり複雑です。

Tさんの発表は素朴なものですが、この授業の本質的なところをよく捉えていて、興味深いです。

ありがとう。記録が遅れて申し訳ありません。ちょっと忙しいことが続きました。


2016年12月19日月曜日

望ましい言語(英語)教師のあり方

今回は、AさんとIさん、二人の発表でした。たまたま、同じトピックを異なる視点で考えているようです。

Aさんはまだこれから教師を目指して勉強し、Iさんは4月から実際に英語教師として教壇に立ちます。

望ましい(求められる)言語(英語)教師(good language teacher)という研究や実践はたくさんあります。多くは、アンケート調査や聞き取り調査や、あるいは、優秀であると考えられる経験豊かな教師の思いから生まれたものです。どれも似たりよったりです。簡単に言うと、いわゆる「べき論」となります。しかし、科学的に検証して望ましい教師を特定したとしても、それが、その人がなりたい教師とは違うかもしれません。

結論から言うと、AさんとIさんは自分の考えと経験でこの課題を論じてよいと思います。リサーチとしてはその時の根拠がどこにあるかが大切です。「人は複雑です」「教師も複雑です」しかし、英語を教えることはシステマティックで、ダイナミックです。言い換えれば毎回チャレンジです。同じことを同じようにしているわけには行きません。だから別の言い方をすると毎回面白い。下の図は、私が日本で英語を教えている人の教師認知を表したものです。


私は、この図である程度納得しています。たかが英語教師ですが、多様な要素の影響を受けて常に動いています。達することはおそらくないでしょう。でも、このような多様な要素の影響を受けて、授業で何をどう教えるか意思決定を常に教師は行なっているということを理解しているかどうかはとても重要です。

教師は教えるとき誰かをモデルとします。モデルがいなければ、何科を拠り所にします。それが人によっては「達人」であり、「〜指導法」であり、自分の研究であり、経験であり、政策であり、・・・となります。上の図は、日本の伝統的な教育の歴史と学習指導要領が、日本の中高の英語教師にとって大きな無視できない要素です。どんなに頑張っても、私学であっても、その要素から逃れて英語教育はできません。しかし、だからと言って、それが悪いということでありません。

さて、AさんとIさんの発表に戻りましょう。Iさんが行なった聞き取り調査は興味深いです。Aさんも設定した課題に対して、何らかの調査をすることが大切です。調査は素朴なことでよいですが、本当にそうかどうか?あるいは、本に書かれていることを人はどう考えているのか?不思議なものですが、かなり多様な意見があると思います。

つまり、Aさんは(社会などから)「求められる」で、Iさんは(教師が生徒が)「望ましい」ということです。アプローチが違うので当然異なる結論になるでしょう。その際に、この研究の意味は、自分にとってプラスになっているかどうかです。

プラスになればよい調査だったということになるでしょう。

2016年12月11日日曜日

規範意識とほめ方・叱り方

まず、レポートについて少し訂正して詳しく書いておきました。読んでください。

リサーチデザインとレポートと評価について


Sさんの発表でした。ありがとうございます。簡潔な発表でしたが、色々と考えさせる問題で面白かったですね。内容は、文献にもとづいた内容で、一般的な規範意識とほめ方・叱り方の話でした。レポートは実態や事実や事例などを期待しましょう。

さて、学校であれ塾であれどこであれ、指導する立場の人とそこに集う人はある規範意識を持つ必要があります。言い方を変えれば、ルールが必要です。ゲームをするにはルールがなければ面白くないし、成立しません。サッカーがあれほど世界中に広がり愛されているのは、シンプルであるにもかかわらず、不十なルールがしっかりしているからでしょう。つまり、便利は手が使えない、というルールです。

学校での規範意識は、生徒指導や道徳教育と結びつきます。政策的には、文部科学白書などで言及されます。

第4章 世界トップレベルの学力と規範意識等の育成を目指す初等中等教育の充実

また、東京都は教師や大人にアンケートをして次のような冊子をまとめています。

子供たちの 規範意識を - 東京都教育委員会

教育の領域でかなり議論されている内容です。私塾などでの教育も基本は同様の考え方をしていますが、おそらく寺子屋的な日本の伝統的な教育に根ざした規範をこどもに提示しているようです。

英語では、norm awarenessという言葉がそれにあたるのでしょうか?昔は、教師教育をする高等機関を、normal school(師範学校)と言っていました。つまり、教師自体が規範を示すことがまず内在化しているということでしょう。今はそうは言いません。規範は教育と文化とは切っても切れないものです。他の国との比較は結構難しいかもしれないですね。英語という授業を考えた場合は、その授業の中でもルール設定は意外に悩みます。英語のコミュニケーション能力を育成し、英語を使う文化に触れながら、英語を教えるとすると、インターカルチュラル・コミュニケーション能力(intercultural communicative competence)を考慮する必要が出てきます。

Sさんは英語の教師ということではなく、ほめ方・叱り方について話をしました。一般的な規範とそれに基づくほめ方・叱り方ということです。おそらく、ある程度の方法論は当然あるでしょう。そのテクニックも理解しておくことは重要だと思います。

授業でも議論がありましたが、ほめ方・叱り方には人それぞれです。また、状況に応じると思います。誰かの真似をしてその通りやってもうまく行かない場合があります。また、本に書いてあったことをそのままやってもすべてその通りの結果が得られる訳ではありません。Sさんも多分そのことは分かっていて、規範意識との関係性を考えたいのだと思います。

有能な教師は、規範をうまく作り、こどもの扱いが上手な人だと思います。そのコツを理解して、それがうまく使える人です。個人的には、ほめ方・叱り方などということではなく、多分教育の本質がプラグマティックに分かっている人だと、私は思います。

この授業は英語教師を考えるという枠組なので、英語教師に関して言うと、私自身はやはり英語を学ぶ意欲を生み出す環境とコミュニケーションということを意識できるルールを授業に導入することが大切だと思います。英語を学習とばかり考えていては、いつまでも学習から抜け出せません。使うことが大切です。また、それに関わって、ほめる、叱るということを考えると、的確に英語に対する積極的な意識をほめて、英語に対する消極的な意識を叱り、あるいは、諭し、自律して英語を学ぶ力を身につけられるように支援します。うまくいくかどうかは、結局学習者にあります。教師はそこまで責任を負う必要はないでしょう。

レポートでは、実態を踏まえて、ぜひ深く探求してみてください。








2016年12月4日日曜日

言語教師に向いている人

Fさんの発表でした。Fさんは第2言語習得(Second Language Acquisition)に興味を持ち、ただいまその基礎を勉強しているようです。言語学習を研究する上では欠かせない学問領域となりました。どのような領域もそうですが、学問というのは分類(taxonomy)を基本として統合にはなかなか向かない傾向があります。SLAは、習得の順序。誤答分析、学習者言語、中間言語などなど、現在は多様な領域に細分化され、その一つ一つがそれぞれ重要な研究領域として確立している。Fさんはまさにそれを始めたばかりで、少し頭でっかちになっているのかもしれません。

私は英語教師としてSLAも勉強しています。若い頃は英語教育も科学的であるべきだと考えて(そういう時代でした)、Krashenの仮説にもとづいて授業を組み立てていました。授業の記録をとり、テストのデータをもとに仮説検証実験的なことを繰り返していました。しかし、どう考えても日々の授業はそうは行きません。教育の場面では何が起こるかわかりません。それに対応しなくては指導はできません。理論と実践はなかなか整合しないことが多いです。

ただし、その中でも、私はcommunication strategyを特に研究した時期があります。学習者言語はどうしてもある時期中間言語的な言語使用の時期があります。また母語話者を理想形とするのも間違いです。統語的にも意味論的にも語彙論的にも言語習得には多様な道筋があると直感的に思います。教師としてはそのような理論を的確に理解して指導することは重要です。

しかし、Fさんも言っていたように、時にSLAの研究は実際の教育現場と遊離していると批判されます。言語教師の研究はそこが大切です。おそらく研究者の人は自分のやっていることが間違いなくSLAは実践に役立つと思っています。考え方の土台が違っているのです。人はみんな違います。自分と同じように考える人もいますが、そうは考えない人もたくさんいます。

そのような学習者の適性や個性と関連させたSLAの研究に焦点を当てて話してくれました。その話自体には特段コメントしません。しっかりと勉強して自分に興味のあるSLAを追求することが大切です。教師となる人にはやはりSLAの知識は必須です。また、教師としてやっていくにもSLAの研究は面白いし役立つでしょう。私が研究している言語教師認知という研究は、SLAを補完するものだと確信しています。

私は、Fさんがさいごに述べていた結論ー新しいこと好きのメリハリを持った「のほほん」とした性格の持ち主が英語教師として向いているーに興味があります。また、それに付随するSLAの観点から教師が持つべき資質のことをまとめていました。ここに至る論拠がよくわかりません。Fさんがもともと持っている英語教師のイメージと現在勉強しているSLAの知識がもとになっているとは思いますが、どうしてなのでしょうか?それを根拠を持って論じることが、おそらくSLAの研究につながるでしょう。

授業の時にも言いましたが、私の結論は、

どのような性格の人も英語教師には向いている。が、自分の個性や知識や特性を理解している必要があり、それにもとづいて指導できることが大切です。

根拠は、あちらこちらで発表した論考に書いてあります。

とても興味深いテーマです。Fさんが、このテーマに対して独自のデータを示すことで論じてもらうことを期待します。簡単なリサーチをお願いします。文献だけでは面白くない。

以上です。思いついたままに見直しもしないで書いてます。誤字脱字、誤解はご容赦ください。

2016年11月28日月曜日

教師の言葉かけについて

1.  Tさんの発表

Tさんは、英語教師の言葉かけについて話してくれました。とてもおもしかったです。ありがとうございます。授業や指導において、教師の役割としては重要だと誰もが直感的に思うことです。が、結構反省することが多いことでもあります。

さて、これは英語ではどう言うのでしょうか?日本語では「言葉かけ」は、教師が生徒にかける言葉で、私の印象としては、情緒的な要素が強い感じがします。英語ではこれにぴったりする言葉がないかもしれません。少し日本的な言い方かもしれません。

英語では、おそらく、

Teacher talk
Teacher feedback
Teacher language

 などと言うのかもしれません。

Tさんが示してくれたいくつかの教師と生徒のやりとりを見ていて、日本の英語の授業のやりとりに少し特徴があるような気がしました。しかし、Tさんが取り上げたのが悪い例なのでそう感じたのでしょう。多くの場合は適切な言葉かけが行われているはずです。

特徴の一つはクラスサイズです。日本のクラスの生徒数は、40人が標準で、40人相手にやりとりするということは、10人、20人を相手にするのとは違います。大学は20人ちょっとが標準となっていることが多く、そこで英語を使うことはそれほど難しいことではありません。が、40人となるとコミュニケーションのパターンが変わらざるを得ません。

いわゆるそれに合わせたTeacher talkが必要になります。その場合、Corrective feedbackはやはり難しくなります。欧米の文献で紹介されているもの、あるいは、ネイティブスピーカーが行うESLのような授業とは違うと考えたほうがいでしょう。一人の人に話すことを全体に話すようにしなければいけません。このような教師内の談話分析は重要です。

Clean language (McCracken, 2016)という本があります。その中で、Clean languageは、

Clean Language seeks to minimise miscommunication and misconceptions and create deep, personalised learning experiences for each child.

というように定義されます。教師は授業での言葉使いに注意しなければいけませんが、これは母語の話で、外国語の話ではありません。

また、これは、Teacher languageとも言われるようです。

Teacher language—what we say to students and how we say it—is one of the most powerful teaching tools. Through careful use of language, we can support students as they develop self-control, build their sense of community, and gain academic skills and knowledge. The Responsive Classroom approach offers specific language strategies for various areas of teaching. These strategies range from asking open-ended questions that stretch children’s thinking to using respectful reminding and redirecting language when children’s behavior goes off track.

https://www.responsiveclassroom.org/the-power-of-teacher-language/

何れにしても教師は発話には注意しなければいけません。

しかし、Tさんが提示した問題は、単に言葉かけが重要だということではなくて、日本の英語の授業での教師と生徒とのやりとり、あるいは、何を教えているか?ということが、ひょっとしたら日本の授業の特徴があるのかなと思ったことです。

つまり、日本の英語の授業は、学習指導要領が述べる「コミュニケーション能力の育成」ではなくて、多くの場合、結局受験やテストのための、あるいは、学習のための英語 という感じが強くしました。

悪い事例の教師の言葉かけが、なぜそうなってしまったのか?例えば、生徒が言ったことに、過剰に反応したり、あまり聞かないで適当に反応したりしてしまうのはなぜなのか?教師はその時に何を考えてそう反応してしまうのか?日本語だったらそうは反応していないのか?日本語でもそう反応しているのか?などなど。

Classroom English

は教師となる人は一応練習します。教育実習などではそれを使うようにするでしょう。また、英語の教師はそれを使っていると、なんとなく英語で授業をしていると考えるでしょう。それはなぜでしょうか?

Tさんの言葉かけの話の中には多くの話題が入っていました。これから考えるべき多くのヒントが入っていました。逆に言うと、かなり多くの要素が入っているので、多少整理すると良いと思いました。

つらつらと思いつくままに書きました。次回の発表も期待したいところです。

ありがとうございました。

2016年10月12日水曜日

2016年英語教師研究

2016年は後期開講となりました。履修する人の顔も違い、また、私自身も変わり、世の中も変わります。

一口に「英語教師」と言っても、普遍ではなく、常に変わっています。今日の英語指導が明日も同様でよいとはいきません。

教師が考える英語教師と、英語の先生になろうとする人が考える教師と、全く関係のないところから見る教師は、違って見えるでしょう。

さらには、英語教師と他の外国語の教師も違います。小学校、中学校、高校、大学、社会人の英語教育も違います。

この授業は、そのような環境で、多様な観点から見る英語(あるいは外国語)教師を考えましょう。誰もがお世話になる英語教師、その英語教師によって学ぶ英語、そんなことを考えることはあまりないはずです。が、この授業では少しだけそのことを考えましょう。

私が教えるというよりも、ともに学ぶ、ということです。

今ままでどんなことを考えてきたかは、このブログから多少理解できると思います。時間があったら覗いてみてください。

楽しみです。

笹島茂

2015年7月12日日曜日

第5回発表

発表はこれがさいごです。母校に関連する話題が多く、今年の発表は、ある意味で、発表してくれた人と母校の教師との関係性がいくつか見れてとても面白かったですね。ありがとう。

11 Mさんの「母校の教師について:

Mさんは高校のときにとてもよい教育を受けたと思います。もちろん、たいへんなときもあったでしょうが、総じて自分が辿ってきた道は正解ではないでしょうか?母校はユニークな学校で、ある意味で徹底的な一つの目標志向に向かって、親身な指導をし、実績も上げている学校です。それはもちろん生徒の目標が明確だからできることです。生徒の目標が明確であれば、教師の仕事も明確です。生徒の目標を実現することです。しかし、それはかなりたいへんなことです。さぼっていい加減にはできません。教師自身も研究しなければいけません。それが、受験であっても、留学であっても、それを支援することが教師の使命でしょう。

Mさんがインタビューした二人の先生は、やはりいい先生です。やりがいもあるのではないでしょうか?もともと英語の教師になることを決めていたわけではなく、流れの中で英語教師という仕事に就いたそうです。当時からするとそういうことは多くあったように思います。まずは、教師という職業があって、その後に教科を選ぶ。教科を選んだ理由も英語ができたり、なりやすいというような理由が往々にしてありました。その意味から、二人の先生は柔軟な考え方のできる人で、学校の方針にもうまく対応でき、その期待にも応えられたのではないでしょうか。

発表では、Mさんと二人の先生と学校との関係性に興味を持ちました。Mさんはたぶん英語は好きで、英語を通してなんらかの形で仕事をしたいと考えているのでしょう。教師もその一つだし、英語を使って活動し、何かしたいと思っていると思います。そのようなMさんをずっと支えてきたのは母校の先生や仲間でしょう。二人の先生の話をしているMさんは、たぶん、先生の話をしながらも、自分の高校時代を考えていた(振り返った)と思います。

Mさんの話を聞きながら、母校の先生と対話したり、教師を研究することの意味を考えました。Mさんも言っていましたが、「先生の知らない部分を見ることができた」というのは確かにそうです。先生もMさんと教師としての自分の仕事を話すとは考えてもみなかったでしょう。しかし、私はそれよりも、Mさんが、高校時代の先生と話すことによって、Mさん自身を再度振り返ることができたのではないかと思います。

教師の考えていることを調査する(教師認知研究)ことは、インタビューだけではあまり見えませんが、実は、このような調査をすることは、調査者自身の探求も含んでいるのです。調べようとする人の意図と対象となる人の相互のやりとりの中で、何か発見があると考えています。きちんとした研究では、厳密さが要求されますが、この授業では、母校の先生についてまとめながら、教育を考える自分を見つめる機会にしてほしいと思います。

いつものとおりですが、ここに書いてあるのは、私のメモです。思い違いや誤字脱字など多々ありますが、ご容赦ください。いずれの話もたいへん興味深く聞きました。ありがとう。


2015年7月8日水曜日

第4回発表会

それぞれの人が、それぞれの立場や観点で、それぞれのテーマで英語教師について話すのはたいへんおもしろいと思っています。前回終了後、北海道に行ったりしたので、感想が遅れてすみません。

9 Hさんの「新課程の英語科が教育実習先でどのように教えられていたか」

Hさんも母校に帰っての教育実習でした。教育実習というのもそれぞれの体験はだいぶ違うようです。Hさんのテーマは、新課程になって何が変わっているか?ということでした。しかし、母校は以前からかなり熱心に英語教育に取り組んでいる学校で、指導のしかたも安定しているようだ。多くの高校は、進学実績という目標をかかえている。教師はそれを達成しなければいけない状況です。しかし、その中でそれぞれの教師が工夫して英語のコミュニケーション能力の育成に努力している。それぞれの教師のアプローチは違うので、3週間ではなかなかどう実践しているかは見えにくいかもしれない。

それでも、Hさんは、多くの授業を見て、自分でも指導教官の先生の実践を踏襲して、教えることを考え、実践した。Hさんの言葉で印象に残っているのは、「実際に生徒を目の前にして見ないと、教えるということが考えられなかった」ということです。つまり、実際に目の前にしてどうしたらよいかを考え実践したということです。この言葉はよくわかります。教育というのはそういうものかと思います。あれこれと頭の中で考えても結局そのとおりにはいきません。また、計画しても思ったとおりに進むことはありません。模擬授業と実際の生徒を教えることは大きく違います。「教える」ことは技術だけではどうにもなりません。

新課程になり、「英語の授業は英語で教える」が注目されました。しかし、現状はおそらく何も変わっていないでしょう。明治以来日本はそのようなことの繰り返しです。国が学習指導要領を提示し、教科書会社がそれに沿った教科書を作り、現場はそれを形だけにこだわり、少し変えるのです。しかし、Hidden Curriculumと言われるように、受験や教員養成システムや伝統的な学校教育文化により、特に何も変わることなく、進むのです。それでも、社会経済活動は厳しくなるので、若い人はそれなりの知識や技能を身につけていきます。その息苦しさについていけない人も多くなってきています。教育はそのような多様な問題を抱えているのが現状でしょう。

Hさんの視点は面白いと思いました。Hさん個人で再度教育実習で見たそれぞれの教師や授業を見て、改めて母校や新課程を考えてみてはどうでしょうか?

10 AさんのALTについて

Aさんは、ALTに興味を持ったようです。本来、ALTは、JETプログラムで来日した英語圏の人の英語指導助手を表す言葉でしたが、現在は、小中高で英語教師を支援する人を総称して言うようになりました。すっかり定着して、多くの学校で英語教師とともに英語を教えています。ALTに関しては次のようなウェブがあります。

JETプログラム

The Association for Japan Exchange and Teaching (AJET) 

JETプログラム参加者の会「AJET

その他にも多くのJETプログラムに参加した人の集まりがあちらこちらにあります。良きにつけ悪しきにつけ、日本の英語教育に大きな影響を与えています。

JETプログラムは次のように説明されています。つまり目的は国際交流なのです。
ーーー
JETプログラムは、「語学指導等を行う外国青年招致事業」(The Japan Exchange and Teaching Programme)の略称で、地方自治体が総務省、外務省、文部科学省及び一般財団法人自治体国際化協会(CLAIR)の協力の下に実施しています。

このプログラムは、外国語教育の充実と地域レベルの国際交流の進展を図ることを通し、日本と諸外国との相互理解の増進と日本の地域の国際化の推進を目的として、昭和62年度に開始されました。平成26年度に28年目を迎え、招致国は4ヵ国から42ヵ国に、参加者も848人から4,476人へと、事業は大きく発展してきています。 また、JETプログラム開始以来、63ヶ国から6万人以上がJETプログラムに参加している。
ーーー

Aさんは、母校をALTについて調べてみました。ALTがたくさん働いている学校です。4人のALTを自分の体験などを通して分析しました。Aさんも言うとおり、日本の英語教師とALTの関係性はとてもおもしろいと思います。当然、ALTもそれぞれの教師認知を持っています。教育背景も違うし、文化も違います。日本の英語教師もそれぞれの教師認知を持って、実践しています。これは当然ぶつかるでしょう。うまくいく場合もあればいかない場合もあります。多少のストレスは感じるでしょうが、制度的しかたがありません。つまり、ALTは、公立の場合、一人で教えることはできません。ティームティーチングという形態が発生したわけです。

Aさんが、ALTをテーマとして選んだのはおもしろいことです。ALTは英語教師の資格をきちんと持っている人とそうではない人が混在しています。また、どこの国から来たかでかなり違います。私たちはつい「外人」として見る傾向がありますが、まったく違います。その点、4人の人の人間性やその他詳しく背景を知り、どういう考え方をもって教えているかを調査できたらたいへんおもしろい調査になるし、自分にとってもプラスになるでしょう。期待します。

さて、あと1回の発表で、この授業も終わりです。みなさん、それぞれのテーマを深く考えていただきたいと思います。けっこう一つ一つのテーマはたいへん重要な課題です。

2015年7月1日水曜日

第3回発表会

発表会は一人30分程度の時間ですが、30分では語り尽くせないくらいの内容がいつもあります。それぞれの一人ひとりの体験を通して見たことは他にはない事実だからでしょう。科学的と言われる事実は、検証可能で客観的と言われるものである必要がありますが、自分や教師や自分と教師の「こころ」のやりとりは他人にも自分にも「見えない」のです。話を聞いていると、少しそれが見えるときがあります。それが面白いのです。

6  Hさんの教育実習を終えて

Hさんは、母校で教育実習をしました。忙しかったけれども充実した3週間だったようです。ハンドアウトのさいごに、It is one thing to know, and another to teach.と書いてありました。これはだれもが感じることです。しかし、これは共通しているようでかなり個人的な体験で実は人によってかなり違います。

Hさんは、Hさんに影響を与えた先生がまだ同じ学校で教えているということがとてもよかったと思います。その先生と自分を重ねて考えることができたからです。「教師は生徒のロールモデルとなる」を教育実習で心がけたというのは、けっこうたいへんですが、生徒にとってはたいへんありがたいことです。身近な先輩、あるいは、年齢の近い教師は、親や教師がどんなに多くの経験や知見を持っていたとしても、同じことを言ったとしても、その受け止め方はかなり違います。

教師はロールモデルとしての役割は当然あります。特に英語学習であれば、そうでしょう。教師が英語をどう使い、どう学習し、また、研究しているかは、教師という職業の特徴です。私も教師をすることの魅力は、自分が学びを楽しむを実践できることだと思っています。Hさんの恩師が実践していることは、たぶん、私と同じでしょう。

逆に、Hさんも言っていたように、「反面教師」ともなります。教師の中で意図してやっている人はおそらくいないでしょうが、相性というか、誤解というか、考え方の違いなどで、そういうことが頻繁にあります。これは避けられないことですが、Hさんのように、それをバネにして成長する場合もあります。

Hさんは、教育実習を楽しんだようです。もちろんたいへんだったと思いますが、「教える」ということの面白さも分かったのではないかと思います。また、教師という職業を選択肢に入れてほしいと思いました。また、恩師の先生との関係性や恩師の先生の実践にも興味を持ちました。あちらこちらにいい先生がたくさんいます。私はそういう先生の実践に興味があり、可能なかぎり会って話してということをしてきましたが、時間にも限界があります。このようにHさんを通して、また一人すてきな先生がいるということを知りました。ありがたいですね。

7   Yさんのスウェーデンの英語教師

スウェーデンの外国語教育と日本の外国語教育は、歴史的にも地理的にもかなり異なりますが、日本にとっては、福祉を中心として昔から注目してきた国です。私も何度か訪れて、学校を見たりして思うことは、教師の自由度が高いという印象です。また、Yさんも説明していたとおり、人種なども多様で、言語も文化も異なる子どもがたくさんいます。ある面でむずかしいですが、個人を尊重し、勉強する子はきちんとするし、しない子はそれぞれの道を進むということのようです。

Yさんが紹介した教師は、Yさんが高校生のときに留学で出合った人です。スウェーデンの教員養成の詳細は知りませんが、それほど綿密なプログラムではないような印象を持っています。ようやく整備し出したという感じでしょうか?ただ、ヨーロッパ全体がそうであるように、実習期間をかなりとっています。また、英語であれば、英語力というものを当然重視します。留学などは当たり前であり、英語教師というよりも、外国語(言語)教師というほうがよいかもしれません。私の興味であるCLILは自然なかたちで実践されています。バイリンガルプログラムを多く、英語については第2言語と言ってもいのでしょう。

さて、Yさんの話のスウェーデンのH先生ですが、いい先生だと思います。熱心で自分を高めようとします。この点はたぶんどこの国でも共通して言える「よい教師」です。私が話を聞いていて面白いなと思ったのは、教師の「多忙感」です。世界中の教師の多くは忙しいと感じています。理由は、かなりの仕事を家に持ち帰るからです。授業をすると分かると思いますが、宿題を点検したり、採点したり、授業案を考えたり、個々の生徒の相談に乗ったりと、個人の裁量にまかせえられることが多々あります。

スウェーデンは、日本と比べるとはるかに男女の格差がなく、個人が尊重される国です。それでも、教育は女性が担う部分が多いように思います。教育で活躍している人がたくさんいます。私の知っているほとんどの英語の先生が女性です。それはさておき、日本はどうでしょうか?女性が多くなっていますが、中高では男性が多いですね。私の妻も英語教師でしたが、だいぶ以前に辞めました。多忙だからです。

日本は圧倒的に多忙です。真面目であればあるほど、家庭や生活を犠牲にしなくてはいけません。さらに、最近では、夏休み、冬休みもなく働いています。教師の仕事のメリットは、夏休みなどの生徒の休暇中に研修が自由にできて充電できることです(日本ではでした)。もちろん、さぼってばかりいる教師もいるでしょう。日本は、さぼっていい加減な人がいたことも事実で、批判もされました。それが今日のような管理社会になったと言えるでしょう。

Yさんの話を聞いて、教師はプロフェッショナルであるべきだと改めて強く思います。また、英語ならば英語の教師として仕事をすべきと思います。しかし、そうならない複雑な学校文化がすでにできていて、それはそう簡単には変わらないのです。Yさんは、日本の教師のデータをこれから集めるそうです。Yさんなりに分析してみてください。

8  Aさんの生徒に求められる良い英語教師とは?

Aさんは、良い英語教師とはどういう教師か?というテーマで課題に取り組んでいます。面白い点は、母校の学校の先生にアンケートを実施したことです。客観的には意味のない調査かもしれませんが、Aさんと母校の先生の関係性がとてもよく表われたデータで、私はとても面白いと思いました。母校の文化がよく出ているからです。

私が研究している言語教師認知という研究は、「言語教師が何を考え、何を知っていて、どのような信念を持っていて、どう教えて、どうそれを振り返っているのか?」ということを基盤にしています。多くの研究は、教師がどう成長し、どう変化していくのか、何が教師の教え方に影響を与えているのか?というようなことです。アンケート、インタビュー、日誌、語り、観察、などを分析して、たとえば、「文法を教えることについてどう考えているのか?」「コミュニケーション重視の指導についてどう認識し、どう教えているか?」などを探求しています。

しかし、このような調査は一般化することはむずかしく、一般化することにもあまり意味がない可能性があります。教師の内面の研究は、状況を考慮した観点で見るほうが、調査する側にも調査される側にも、納得できることが多いのではないかと考えます。その点から、Aさんの調査はとても面白いと思いました。これだけしっかりと答えてくれたのは、Aさんが調査したからです。ある特定の学校と、ある特定の調査者と、ある特定の教師集団の英語教育に対する考え方です。ここでは、調査者の実体験と視点を生かすことが大切です。その調査者の視点で、このアンケートを見て、考え、分析します。それはたぶん興味深い結果が出ると思います。

できれば、アンケート回答者の授業の実際を添えると調査に幅ができます。「なぜ英語教師を目指したか」はおもしろい質問です。それについての回答も詳しく聞けると、その先生の指導観、つまり、言語教師としての基本的な立場が理解できると思います。

良い英語教師というのは、ある一般化されたモデルはあるかもしれませんが、それがその状況に応じてどう当てはまるかは、かなり複雑でしょう。あまり単純化しないほうがよいレポートとなるのではないでしょうか?考えてみてください。

毎回、話を聞くたびに、興味深いですね。みなさん、ありがとう。次回も期待しましょう。






2015年6月21日日曜日

第3回発表

昨日は、本日発表のT さんの案内で都立国際高校を訪問し、IBのクラスや、その他の英語の授業を参観しました。たいへんよい機会でした。教師を考える場合に、その状況を理解することは欠かせません。その意味で、この授業は、教師が教えている現場の理解も研究の重要な要素です。本日は、二人の発表をもとに考えます。

4 Mさんの「教育実習を終えて」

Mさんは、母校で教育実習を終えました。その体験をもとに本日の発表を構成しました。教育実習は、本来の教員養成システムからすれば、最も重要ですが、教師としてやっていくには、非常に短い期間です。そのために、現場でボランティアや、その後の事前研修などが行われ、教師教育を継続的に行うようになってきています。3週間という短い期間であるために、実習生にとっても生徒にとってもかなり濃密な時間となることも多く、ある意味で貴重な体験です。

Mさんは、特に指導教官の先生の話しをしてくれました。優秀でよい先生はあちらこちらにいます。Mさんにとってはよい出会いだったと思います。母校は、Super Global High Schoolの指定を受けて、多様な取り組みをしています。たぶん仕事は忙しくなってきているのではないでしょうか。教師にとってはよい面もあれば、わるい面をあるでしょうが、生徒にとってはよいことだと思います。その中でMさんはかなり忙しい実習活動を行ったようです。結局、その体験はMさんが教師としてやっていくことに大きな意味があったようです。やはりその意思決定の大きな要因は、実際に教壇に立って「教えた」という体験です。それとともに、その体験を支援した教師と、いっしょに実習した仲間と、そして生徒です。その中でも指導教官の役割はかなり大きいと考えられます。

指導教官の先生は、「学び」ということをよく考えている先生のようです。単に英語を教えるという技能的なことだけではなく、教育の本質的なところを大切にしていると思いました。今の時代では、このように哲学を持って「教える」ことに携わることがたいへん難しくなっています。たぶんTさんの影で、指導教官の先生はいろいろと苦労した点もあったと思います。Tさんには見えない多くの部分があるとは思いますが、Tさんの視点から見た指導教官観はたいへん興味深いものでした。Tさんは授業をしなければいけないので、指導教官の先生の教え方をある程度踏襲しながら、「為すことによって学ぶ(learning by doing)」という実践的な「教える」という体験をしました。分析はそれをもとにしたものです。Tさんが工夫した授業は、Tさん自身が持っている指導観、あるいは、指導ビリーフです。それをもとに、指導教官の先生の教え方や指導観を参考にしました。

この英語教師研究の授業では、このような自分自身の指導観(あるいは言語教師認知)と指導教官の指導観を、相互作用的に見てみることが大切だと思っています。つまり、ある授業の意思決定をする際に、指導教官の何がどう自分の指導観に基づく授業案あるは授業に影響したのか、あるいは、影響しなかったのか、などです。教育実習の自分の「こころ」の動きと、指導教官の「こころ」の動きがどう関係するのか、さらには、それが自分の授業や今後の教師としてやっていくことにどう関係するのか、など、そのようなことが考えられると面白いと思いました。

5 Tさんの「言語教師の認知プロセス」

Tさんの発表は、Tさんにとってはとても大きな存在である一人の英語教師の「教えること」や教育観あるいは教師観などの認知プロセスあるいは教師認知(teacher cognition)の分析です。私の研究ではこれを「教師のこころ」と言っています。このような分析はとても貴重だと思っています。なぜかと言えば、様々な意味で、その影響を与えた先生がTさんのロールモデルとなるからです。

その意味から、このような調査と分析はTさんにとって重要だと思いました。というのは、教師は多様です。また、教え方、学び方、教育、生き方などなど、かなり異なっていることが多少わかっています。一つの考え方にこだわると、それはずっと変わることがないのが普通です。それは、よい方向に向くと生徒にとってもよい影響を与えます。それがTさんの例だと思います。逆に、わるい方向に向くと、悲劇となることもあります。日本の教育の特徴はある面で閉鎖的です。時に息苦しい面もあります。一つのレールから外れると、レールがもうないというような状況もありえます。その意味で教師の認知や「こころ」を探求することは重要だと、私は考えています。

発表の際に話したとおりですが、インタビューや他の生徒の見方などから分析したTさんの恩師である教師の認知プロセスは相当に複雑です。この発表はその意味からTさんの認知プロセスでもあります。この調査分析をとおして、Tさん自身を見るチャンスでもあります。たとえば、なぜ自分は恩師の先生の影響を受けたのか、どの点が影響を受け、どの点は影響を受けていないのか、自分が見ている恩師は他の生徒が見ている恩師と同じかどうか、などなど。

さらに、別の面で面白いと思ったのは、各生徒のそれぞれの見方を少し整理して、恩師の先生にさらに尋ねてみたらどうかと思いました。Tさんと先生はかなり信頼関係があり、率直にいろいろと話せるようなので、もっと本音が聞けそうだと考えるからです。さらには、Tさんは教師を目指し、先生の指導法に共感を持っているからです。これは、Tさん自身の教師認知の形成にはよい影響を与えると思います。もちろん、その方が調査の質を高めるし、自分だけの思い込みではない、reflexivityを考慮するからです。

Reflexivityは、日本語に訳すのがむずかしいので、わかりやすく説明すると、「自分を他者や対象に反射させて、ふりかえってきちんと論理的に考えること」です。つまり、Tさんの調査で言えば、ある教師が、「教える」にあたり、何をどう考え、その背景にどのような信念があり、どのような学び方をして、何を知り、何をどう学んだのか、そして、何をどう考え教えるのか、さらに、それをどうふりかえって、これからどう教えようとするのか、などの認知プロセスを、その教師とともに、Tさんの鏡をとおして見て、分析するというその過程で、reflexivityをきちんと考慮するということです。

ちょっとむずかしいでしょうか?でも、やってみてください。おもしろいと思います。

発表を聞いていると、いつも勉強になります。みなさんの率直な思考を期待しています。

2015年6月15日月曜日

第2回発表

第2回は、二人の方が発表してくれました。両方とも、母校に関係する教師の話でした。教師というのはやはり大きな影響力がありますね。ふだんは意識していなくても、このように調査してみると教師は、良かれ悪しかれ、興味深いと思います。

2 Iさんの「英語教師と国語教師」

英語教師も国語教師も言語教師(language teacher)という括りで考えられるはずですが、母語と外国語という大きな隔たりがあります。中学校の国語の学習指導要領は次のような目標を設定しています。

「国語を適切に表現し正確に理解する能力を育成し,伝え合う力を高めるとともに,思考力や想像力を養い言語感覚を豊かにし,国語に対する認識を深め国語を尊重する態度を育てる。」

しかし、気をつけなければいけないのは、この背景にある国語教育文化ということでしょう。英語ももちろんそうです。学習指導要領が必ずしも現場に浸透しているわけではなく、解釈が変わります。それでも、私は、アンダーラインした「言語感覚を豊かにし,国語に対する認識を深め国語を尊重する態度」は、日本の国語教育の特徴を表しているような気がします。感覚、尊重するという情緒的な要素が入っています。

Iさんが調査対象としたH先生とK先生はどちらも素敵な先生だと思います。よい先生に教えてもらったと考えてよいでしょうね。よい先生はたくさんいます。さらに、一人ひとりのアプローチはみなさん違います。つまり、教え方や指導のしかたに定型はないのです。

二人の特徴を比べてみて、単純に結論を出すのではなく、その事実をていねいに探ることが大切だと思いました。結論はないのですが、一つ一つの事象は実に興味深いですね。そこに、Iさん自身の考え方が反映されるともっと面白い分析になります。対象とした先生には、Iさんが何か惹かれている部分もあるし、疑問に思うこともあるはずです。

その点をうまくまとめて質の高いレポートとしていただきたいと思います。

3Aさんの「通信制高校の英語教育」

Aさんは、教育ということを真摯に考えている人です。それは、ある意味、そのことで苦労したからでしょうね。教師をめざすのかどうかは別として、教育という仕事にかかわるといいと思います。その意味では、たぶん、H先生をもっと探求してみるとよいと思いました。それとともに、通信制、単位制などの高校という学校文化と教師とのかかわりを調べてみるのは意味があるでしょう。

学校は多様です。教育の中で訳ありの人は世界中どこにもいて、苦労している人も多い。むずかしい問題がたくさんあります。個人がすべてにかかわることは不可能ですが、教師は、自分とかかわりのある一つひとつの事例を大切に考えて対処しなければいけません。これは世界中共通ですが、どこまで、どのように、かかわり、どの程度まで責任を持つ必要があるのかは、文化により違います。日本はその点でかなり複雑な役割を教師が背負う危険性が多々あるように考えています。

この授業は英語教師を考えますから、そこに焦点を絞ると、生徒が英語に何を求めるのかにより、教師はそれに対応するのは当然です。通信制高校や定時制高校などは、そのニーズがかなり異なるので、一つひとつの事例によりすべて違うでしょう。ある意味で経験や人間性が要求され、学習全体の指導を要求されます。その意味で、Aさんに影響を与えたH先生は、もっとその背景や信条を探る必要があるかもしれません。

それとともに、Aさん自身の高校時代などを再度ふりかえってみるよい機会がではないかと思います。H先生を通して、Aさん自身を知るよい機会となるのではないでしょうか?レポートは、通信制の母校と、そこで教える先生と、そこで学ぶ生徒の現状などをまとめて、どのような問題があり、自分の経験と重ねて、H先生という人を深く探求してみるとよいレポートになると思います。結論はやはり必要ないでしょう。探求のプロセスが大切です。

二人ともありがとうございました。多少誤解もあるかもしれません。誤字脱字や文章の不備は容赦ください。メモです。

また、次回楽しみです。


2015年6月8日月曜日

第1回発表

第1回の発表です。

毎年、メンバーが変わると展開も異なります。英語教師をどのような立場でどう見るか、あるいは、そこに集まった人が英語教師という対象をどう考えているか、という相互作用です。

今年度は今年度でおもしろい展開になっています。基本的に私は「何かを教えよう」とは考えていません。それぞれがどう「英語教師」という対象をどう考え、興味を持ち、探求するかを、いっしょに考えていくというスタンスです。

本日は、その第1回発表です。

1. Tさんの「理想の授業」

自分の母校の英語教師の教え方を振り返って考え、その教師にインタビューしました。ポイントは、教師の海外体験ということがどのように教え方に反映するかということです。調査の視点はとてもおもしろいと思いました。日本の英語の教師の中で、それほど多くの人が海外での生活や学習の経験しているわけではありません。海外での体験は教師の教え方に大きく左右する可能性はあります。しかし、教師の教え方がそれだけで変わるかどうかはわかりません。これは直接「海外での体験が現在の指導にどう影響していますか?」という質問が必要で、それに対して、さらに追求してみる必要があるでしょう。

私は、それよりも、Tさんの話を聞いていて、Tさん自身の「理想の英語授業」というものを知りたいと思いました。3人の先生の教え方、3人の先生とTさんとの相性、Tさん自身のカナダでの体験、そして、現在の英語とのかかわり、などなどです。

理想の授業というのは、だれもがばくぜんとイメージします。が、現実はそれほど簡単ではありません。コミュニケーション活動ばかりでもいけないし、英語で授業をすればよいというものでもありません。大学受験というニーズがあれば、それに応えるのが教師の役割でしょう。英語を使って仕事がしたいということがあれば、それを支援するのも大切です。英語でもどの言語も、使えるようになるためには、個々の努力が必要で、その努力を効果的に引き出して、支援することが、教師には求められます。

しかし、教師も自分の学習体験があり、英語学習のしかたに関するビリーフを持っています。また、それぞれの教師はそれぞれの性格があります。様々な要因が、授業での意思決定に作用します。また、そのときの状況により、予想もしない展開となることもあるでしょう。

海外の体験が教師の教え方を左右するとしたら、それは何か?また、その体験は、Tさん自身の体験と重ねてどうだろうか?文法や訳読などを中心とした教え方は、本当に、海外体験がないことと関係するだろうか?など、考えながら、Tさんの考える理想の教え方を整理してはどうでしょうか?Tさんの「こころ」が反映するとおもしろい探求となるように思います。その際に、この問題に関する文献を参照してみてください。

話を聞いていて、たぶん、Tさん自身の英語授業に対する思いを、この調査から、振り返ってみてはどうかと思いました。

興味深い話をありがとう。

2015年4月13日月曜日

2015年度の英語教師研究

Address: http://ltcjapan.blogspot.jp

この授業は、言語教師認知研究(Language Teacher Cognition)を探求します。今年も、基本的に、最初は、私が説明しますが、一人ひとりがテーマをもって探求してください。

例年たいへんおもしろい探求があります。それは原始的ですが、どれも解決しなければいけない大きな課題と結びついています。

今年度も期待しています。

研究会

Language Teacher Cognition


2014年7月28日月曜日

まとめ

まとめ

読ませてもらいました。あえて形式についてはあまり言わないようにしました。そのため、感想文のようなものもありましたが、まとまってはいないが、おもしろいものもありました。たぶんみなさんは忙しいのかな?というのが率直な感想です。

レポートに関しては、やはり中身が問題です。調査をしたか?調査から何か分かったか?その根拠は?「なるほど!」と思わせるか?などです。今後みなさんが書くことになるだろうリサーチ・ペーパーの形式も大事ですが、やはり内容です。発想はよくても内容がなければ意味がないでしょう。

私はこの授業では、やはり「考える」「自己を探求する」ということを重視しようと思っていました。それも答えのないような問題を「考える」、あるいは、複雑な状況にいる「自己を探求する」しながら、教師としての考え方を身につける、多様な状況に「自分の頭で考える」あるいは「自分の問題を他者と共有しながら探求する」ということをしたいと思いました。目的は達成されませんが、私自身、みなさんと過ごした何ヶ月かはたいへん貴重で勉強になりました。ありがとう。

レポートの評価のポイントは、その点からさせてもらいます。成績とみなさん自身の評価は違います。教師となる人、教育に関心のある人はぜひいつでもいっしょに考えましょう。声をかけてください。

以下レポートの感想(順不同)

1英語教育におけるTPR

Total Physical Responseはとてもおもしろいアプローチです。授業ではもっと利用されるべきでしょうね。多くの文献もあり、実践もあります。もっと探求する必要があるでしょう。これを機会にもっと研究してください。英語授業に適宜利用することは効果的です。

2リフレクティブ・ラーニング

ちょっと量が少なく、単なる感想なので説得力はありませんが、「振り返り」は大切です。また、「間を取る」ことも大切です。それはどうしてですか?また、どうやってそれをするのですか?などを論じないと意味がないでしょう。発想はとても好きです。

3外国語授業における教師の役割

レポートしてはとてもよくまとまっていて、文献なども適切にあります。教師は有機的であるべきという結論もよいでしょう。しかし、多くの心ある教師はそうしようとしているような気がします。では、どうして変わらないのでしょうか?それが大切だと思います。

4外国人英語教師からみた日本の生徒

おもしろいと思います。興味がありますね。もっとデータを集めて、焦点をしぼれてきたら、とても貴重な研究になるような気がします。なんとなく根拠のないステレオタイプの考え方があるような気がするし、状況によって違うし、教師と生徒(学生)意識の違いがあるように思います。ぜひ探求してもらいたい。

5英語の早期教育

塾はたくさんあります。ここではある有名な塾に焦点を当てた。ちょっと調査が足りないのが残念です。無理にまとめてますが、もっともっと実態を調査しないとレポートの意味がないかもしれません。着眼点はとてもよかったので、もっと探求する気持ちを。

6外国人留学生・編入生が日本人在学生に与える影響

発想はとてもおもしろいし、自分の興味に適した話題だったと思います。多言語多文化が当たり前の国からすると日本はだいぶ違う環境ですが、これからは変わっていくべきだと思います。その点で、もう少し深く追求して、さらに教師の本音に踏み込むべきでしょう。

7教師と子どもの変容につながる授業観察の観点と教師に対するフィードバック

データがあってとても興味深いです。背景をもっときちんとまとめて、調査対象と方法を明確に整理して示し、結果と考察をきちんとすれば、かなり価値があるように思います。授業というよりも、学習支援指導活動に焦点を当てて、そこでの学びを見るようにするとよいと思いました。

8南米とヨーロッパの英語教育比較

リサーチペーパーの形式を理解し、きちんとまとめるとおもしろいと思いました。データは貴重で、もっと教師と生徒との関係に焦点をしぼり、やはり日本の英語授業の教師と生徒の関係を論じてほしかったですね。なんとなくデータを集めて無理矢理まとめた感じ。

9学習指導要領と現場の声

一所懸命調べた努力は認めたいと思うが、学習指導要領に関する背景はもっと調べないといけません。現場の声は貴重です。自分の考えや考察は、現場の声というデータを根拠にまとめないと説得力がありません。現場の声は貴重なので、それを大切にしてほしい。

10 学校外の英語教師研究

貴重なインタビューデータがありますが、全体的にうまくまとまっていないのが残念。塾などの教師の声はあまりまとまったデータがないので、貴重です。特に、さいごの「教えることに集中できる塾や予備校が過ごしやすい」は興味深く追求したいテーマです。

11英語を使って授業をする

自身の教育実習体験を通じて、英語で授業をすることの意味を考えた。あまり大きく考えずに、自分自身の課題を解決することを考えた点は評価に値します。説得力もある。この授業のテーマに最も合っていると思います。欲を言えば、背景をきちんと考えたい。

12 沖縄の米軍基地と英語演習

かなりおもしろいテーマです。何気なく訪れた場所でふとした疑問を発端として調査が始まり、そこからさらに出会いを通じて、テーマを追求するというのは、教師研究としては重要な探求方法です。まとめるのはむずかしいかもしれないので焦点をしぼって探求するといい形でまとまると思います。

13 これからの英語教師

レポートが感想文のようになったのが残念。アンケート結果は少ないけどけっこうおもしろい。学生が教師に対して持っているイメージは貴重なデータだと思う。その点をもっと分析すべきだった。他者を知って、かつ、自分を知る、ということから教師の研究は始まる。

14 教師は私生活でも模範的であるべきか

これも感想文のようになってしまったのが残念。ぜひ研究者の視点に立って、まとめて欲しかった。というのは、このテーマけっこう大切なテーマで、モデルという視点からすれば、結構文献はある。インタビュー結果は貴重だし、教師としては悩ましい問題で、とても興味深い。

15 観察の徒弟制と教員研修

うまくまとめようとした感じだ。テーマはとてもおもしろいし、文献もよく調べている。形式もきちんとして、この授業では一番求めていたレポートに近い。データは結構おもしろいと思う。分析のしかたとまとめ方が課題だ。養成課程の学生の認知をBALLIでまとめるだけでも貴重なデータだし、インタビューもテーマをしぼって分析することで、何か大切なものが見えるような気がする。ぜひ探求していほしい。

16 高校教師の意識(仮題)

母校の教師にインタビューして、教師の意識を調べてみた。調査の視点がぼんやりとしているので、まとまりに欠けるが、たぶん自分の母校を再度違った視点で見るという点では価値があると思う。しかし、本当に知りたいことは何だったのだろうか?

このブログは私のメモですが、何か疑問に思ったことがあれば連絡ください。どなたか「言語教師認知」の研究を深くやりたい人はぜひお願いします。

では、またどこかで。

第6回発表

第6回発表

Nさんの教師と子どもの変容について

Teach for JapanというNPO団体での活動を背景として、授業観察について話してくれました。「教える」「学ぶ」ということは、様々な状況が考えられるんだと思います。この活動の「教える」「学ぶ」は、いわゆる小中高の教育とはちょっと違うのでしょうが、若い人たちがボランティアで子どもと向き合う活動をしているのは立派だなと思いました。Nさんも熱心に教育を考えているし、授業観察ということを真剣に考えているのが印象的でした。観察(observation)というのは、私が考えている授業研究(lesson study)では最も大切なことだと思っています。見ている人は「私」です。見られている人は「教師」であり「生徒」であり、「教師と生徒の関係性」であり、多様です。Nさんは、観察を通して「変容」ということを考えました。ここでは観察する人と観察される人の省察を通して、気づきを見ようとしています。その際に言語化ということが重要となりますが、私は話を聞いていて、本当にそれで「人は変わるだろうか?」と思いました。これはむずかしい問題だと思っています。人が持っている信条・信念(beliefs)はかなり強固です。そうは簡単に変わりません。また、あまりころころと変わるのもどうかと思います。おそらく「変容」というよりは、自分の信条・信念(beliefs)をもとにして、その状況にうまく合わせるために、どうするかという問題かと考えました。その際に、観察し、観察を通して、互いに省察をくり返し、適応する、ということが、成長につながるのかな、と考えました。Nさんが探求しようとしていることはたいへん面白いと思います。私にもよく分かりませんが、フィードバックをこうしたら、こう変わる、という単純なことではないように思いますが、観察することにより、もっと何かが見えて来るでしょう。これは教師の研究としてはとても大切なことです。

Aさんの教育実習

Aさんは、この授業を聴講として取ってくれました。何か教師になるための準備として役に立っただろうかと危惧します。教育実習の話を率直にしてくれましたので、ここでは教育実習中のA さんの授業を見に行きましたので、それについて感想を一言述べておきます。教育実習というのは短いし、多くの人が充実した経験をするようです。しかし、その経験はかなり多様です。同じような経験をしても決して同じではありません。さて、「3週間で何を学んだのでしょうか?」と自問してみると分かります。授業のやり方、生徒の扱い方、学校のしくみなどなど、それなりの成果はあったはずです。「英語で授業をする」「生徒のことを考える」「文法はやはり大切だ」など、自分の教育観に何か影響を与えたでしょうか?私は、教育実習でいつも思うことは、その人がどういう目的で教育実習に行ったか?どういう教師と出会ったか?どんな生徒と向き合ったか?などで成果はかなり変わると思います。また、教育実習後から実際に教師となるまでがまた大切だと思います。さて、Aさんの授業ですが、私が見たのはCLILと読んでいる授業です。私はCLIL的な考え方を持って英語授業をすることはとても大切だとずっと思っています。AさんのCLILは、英語を何か興味ある内容を扱って、内容に焦点を当てることで、英語を使う活動を、主体的にすることです。英語という言語の知識や技能に明確に焦点を当てるのはではなく、内容に焦点を当てながら、英語という言語と日本語という言語と文化理解を「考える」のです。授業は決して見栄えがよいものではありませんが、生徒はけっこう満足して「学び」ます。Aさんの授業のときも、生徒がそのときの内容に興味を持って「学んで」いました。一番大切なことは、Aさんが「学ぶ」ということです。ぜひこれからも実践してほしいです。

Mさんの教員養成課程について

Mさんは、とてもよく勉強していて、おそらくこのクラスで一番「言語教師認知(language teacher cognition)」を理解している人だと思います。ぜひ興味を持って追求してもらいたいと話を聞いていて思いました。日本の教員養成システムには問題が多いです。みんな分かっているのに変わらないのです。その背景には歴史があります。おそらくこれからも変わらないでしょう。しかし、実際に英語教師となっている若い人はだいぶ昔とは変わっているようにも思うことがあります。そのような人が実際の教育現場に入ったときに、どのように教師としてスタートを切れるかどうかでその後がかなり変わります。養成課程ではSLAなどの研究と教師教育などの理論と実践においては少しずつ内容はよくなっています。問題はその量と質です。圧倒的に少ないし、そのような教育を受けた人が必ず教師になる訳ではありません。また、教員採用試験で、教員養成で求められていることがそのまま反映されている訳でもありません。受験や部活動やその他の学校教育に内在するシステムに抗う事はやはりできないし、それは社会のニーズでもあるので、それに従わない訳にはいきません。非常にむずかしい問題がたくさんあります。しかし、私はMさんが興味を持って探求しようとしていることは大切だとずっと思っています。「教師が考えないかぎり何も変わらない」ということです。英語で授業をするかどうかは表面的なことです。確かに教師は英語を話すことに自信がない人が多いかもしれませんが、そのように思わせてしまう何かがあるのでしょう。私も教員養成にかかわる一人として、Mさんの話には考えさせられます。ぜひいろいろと考えてほしいとつくづく思います。

みなさん、ありがとう。さいごにレポートの感想を次の投稿でしておきます。


2014年7月13日日曜日

第5回発表会

HさんのKUMONなどの英語塾や英会話教室の教師

いろいろと何を調査するのか迷っている様子が分かりました。それっていうのは無駄のような気がしますが、けっこう大切なことです。最終的に行き着いたのが、こどもへの英語教育でした。身近にいたKUMONで教えている人に聞いてみました。質問はあまり深い質問ではありませんが、KUMONを知る意味では重要です。KUMONは世界的にもLiteracy教育で知られています。興味ある人はウェブを見てください。

KUMON

そこに、次のようにKUMON METHODを説明しています。

Learning How to Learn

Kumon is an academic program like no other. Instead of passively receiving instruction from teachers or tutors, Kumon Students actively develop self-learning skills. Here’s how.

Each student progresses at his or her own pace through an individualized program of worksheets carefully planned by the Instructor.
Students do daily assignments that take about 30 minutes per subject— in two sessions a week at the Kumon Center, and the other five at home.
Step by logical step, students steadily build a solid grasp of math and reading, and become more confident and motivated with each worksheet solved.

「学び方を学ぶ」ということです。

教師の役割については

The Kumon Instructor

The Kumon Instructor guides, assesses and encourages your child every step of the way. The Instructor is also there to support you as well – providing open communication throughout your Kumon experience.

教師の役割は、案内、評価、励まし、です。

調査のポイントは、英語でそれがどのようにできるのかということでしょうね。問題もあるでしょう。

さらに、他の塾や英会話を調べてみるということですが、私は、KUMONだけにしぼってもっと深く考えてみるのがよいと思いました。いずれにしても、うまくまとめようとせずに、実態を的確に理解することがよいと思います。

調査内容はおもしろいので期待します。

Nさんの母校の教育と外国から留学生などの影響

私は、N さんの母校の教育に興味を持ちました。日本の教育も様々な取り組みをしているんだなと感じました。英語圏へ行ってそこで教育を経験する、外国から留学生や英語が堪能な編入生などを受け入れ、生徒の学習環境を活性化しようとかなり努力していて、いい学校だと思いました。

Nさんの母校だけではなく、他の人たちが卒業した学校などの話を聞くと、各学校とも様々に努力してよい教育をしているということが分かります。また、学校によってけっこう違うということが分かるのですが、大学受験や部活動などに関する目的は共通しているかもしれません。もっと多様な進路や活動があってもよいかもしれません。

Nさんは母校の先生にインタビューしました。とても熱心なよい先生だと思います。教育は先生あって成り立つものですが、先生があまり前面に出ないほうが学校は活性化するように思います。Nさんの母校はたぶん教師と生徒の関係が近く、互いに信頼が厚いのかなと思いました。

さて、それはそれとして、調査の方ですが、先生にもっと深くいろいろと質問できればおもしろいと思いました。外国人留学生を受け入れる際の苦労、もっとこうしたいなどの展望、外国人生徒との日本の生徒との交流、英語教育への効果、他教科を英語で教えるなどの可能性、大学受験との関連性、中高一貫の課題など、本音が聞けるとよいと思います。

それが無理であれば、Nさんは卒業生ですから、Nさんの経験をもとにした留学生の意義、留学の意味などを再度考えてみてはどうでしょう。あるいは友人に聞いてみてはどうでしょうか。

あまりきれいにまとめようとせず、外国からの留学生についての教師の意図と実際の生徒から見たその意義を考察してみてはどうでしょうか?私はその点をもっと知りたいと思います。

Yくんの教師の役割

Yくんの発表はとても上手で、まとまりを持っていました。背景もきちんと理解し、リサーチ方法の観点もよくできています。うまくまとめられると思います。

教師の役割というのは、結論がありそうでないかもしれません。多様な結論があるでしょうね。歴史的、社会的、経済的、文化的などを考慮すると大きなテーマです。教師の定義がかなり幅が広いし、英語教師という括りもかなり広いからです。


この授業は一応、中高の教員養成課程に関係する内容と関連するので、その点から英語教師を考えると、次の法的な定義をベースに考える必要があります。

ーーーーーーーーーー
法律に定める学校の教員は、全体の奉仕者であつて、自己の使命を自覚し、その職責の遂行に努めなければならない。(教育基本法)

教育公務員は、その職責を遂行するために、絶えず研究と修養に努めなければならない。(教育公務員特例法)
ーーーーーーーーーー

Yくんが言う「教師は学び続けなければならない」というのはその通りであり、それだからこそ教師は面白い仕事だとなります。また、教師は「全体の奉仕者」とされるので、生徒の学習などの支援をし学習意欲を喚起することが大切となります。

大学進学率のデータなども示し、教師を大きく捉えていますが、私個人としては、このような発表を受けて、教育実習での実際教師体験を重ねることにより、中学や高校での英語教師の役割とその問題点などを論じてはどうかと思います。果たして教師は学び続けることができるのか?あるいは、何をどう学ぶのか?など。

この授業は、当初言いましたが、teacher research(教師によるリサーチ)をテーマとしています。教師は考えること、探求すること、省察することなどを通して、自身の力量を高め、よりよい授業をしていくことが大切です。そのためにはどうしたらよいのかを、Yくんの考えで述べてもらうとおもしろいと思いました。

以上、来週、発表する人も含めて、間違いを恐れず、小さくレポートをまとめようとせず、結論はなくてもけっこうですから、大胆な観点を一応のデータなりを示すことで論じてください。テーマはとてもおもしろいものばかりなので期待しています。





2014年7月6日日曜日

第4回発表会

発表者が多く、議論ができなくてすみません。4つの発表はとてもおもしろい素材が一杯です。私の感想と意見を殴り書きですが書いておきます。参考にしてください。

Hさんの「オールイングリッシュ」の現場実態

Hさんは自身の教育実習の経験を通して、「授業を英語を使って教える(English Medium Instruction: EMI)」について考えたことを話してくれました。実際に教育実習中に出会った先生、以前から知っている先生などに話を聞きました。

「オールイングリッシュ」というのは、たぶん通じるのだと思いますが、私は英語でコミュニケーションしているときにあまり聞いたことがありません。でも、世界のどこでも外国語を教える教師は工夫していることです。

Native Speakerからすると、日本語が話せる人もけっこう悩むことです。人によっては、日本語を使って教えると日本語で授業をしてしまうそうです。また、英語が堪能でも授業では英語をコミュニケーションの道具としては絶対に使わないという信念を持っている人もいます。

私は、最近いろいろあってよいのではないかと思っています。というのは、英語の教師になろうとする人や若い英語の先生は、英語をコミュニケーションの道具として話すことには以前よりもはるかに多くなっていると思います。翻訳や文法の知識という点では劣る人もいるかもしれませんが、余分な知識はかえって学習者には迷惑です。変なうんちくを語ってお茶を濁す授業は面白い面もありますが、学習者からすれば目的が違うのではないかと思います。

結論的に、Hさんが述べたことは正しいと思います。しかし、安易に結論づけられる問題ではないので、教師となるにしてもならないにしても、英語という言語と日本語、さらにはその他の言語については注意しながら考えていくことは重要だと思います。

Sさんの教育学部の学生から見た教師

当初調査したいことと実際にアンケートしたことが多少噛み合ない点がありましたが、調査の視点は面白いと思いました。また、質問項目が可能性のある興味深い内容でした。もっと時間があるときっといい調査結果が出ると思います。

教育学部の学生さんがどのようなカリキュラムで学習しているのかは、私は知りません。背景知識でその点に触れてもらえるとありがたいですね。日本の教育学は、教師を養成する目的ではありません。この点は他の国と微妙に違います。その伝統の中で教育を受けた人が学校の英語教師をどう考えるのかは、たとえば、教育学の先生が、英語教育をどう考えているのかなどと関連するのかもしれません。

私は、言語教師というのは、言語を教える教師としての専門性を持った方がいいと思っています。広く「人格形成」などと考える、言語学習の本質が変わると思うからです。「人間形成」という観点から考えると、たぶん「教育」「学び」「学校文化」という少し大きなな枠組みを学校教育を考える必要が出てきます。しかし、言語という視点から英語教育を見ると、英語と日本語、英語を使って何かをする、英語とその他の外国語、英語と文化などと、アプローチの仕方が変わるはずです。

日本はちょっと複雑で、教師がかわいそうです。その意味から、Sさんの調査はおもしろいと思います。あまりまとめようと思わず、好きなことを、自分が考える日本の英語教師というものを、アンケート結果と併せて論じてはどうでしょうか?

Oさんの思考する英語授業

おもしろい考え方です。私はOさんに賛成です。人は何をするにも基本は「思考」です。思考することがなければ何も面白くないでしょう。英語教育はその点でかなり批判を受けてきました。逆に言うと、それがために「英語で英語の授業をする」あるいは「コミュニケーション能力を育成する」などがないがしろにされ、文法訳読が廃れないのです。

文学や言語を考えることは、英語教育ではかなり探求されてきました。かなり深く研究されたとも言えます。その意味では、これまでの英語教育は「思考」を形成する上では貢献したかもしれません。いまでも、進学校や予備校などで単に受験問題を得だけの授業は、決して人気がある訳ではありません。何かを考えさせてくれる授業の方が学習者には好まれる傾向があります。

しかし、広くあちらこちらを見ると、それでは日本の中だけで完結してしまう。鎖国状態あるいは翻訳社会状態、あるいは漢文学習状態で、多少問題があります。もっと多くの人がとりあえず英語を通して交流したりできる必要はやはりあると思います。

Oさんの「間を作る授業」とN先生の「間を埋める授業」は対立するものではないと思いますが、目標は同じなので、それを深く考えてみる価値は多いにあります。

さて、reflective learning (teaching) に関してですが、「振り返り」ということでさかんに取り入れられるようになっています。しかし、そんなに簡単なことでしょうか?というのが、私の素朴な疑問です。教師が授業の終わりで、「今日の授業の〜〜〜について振り返りましょう」ということで、学習者は成長するでしょうか?Oさんが言う「思考する授業」「間を作る授業」は、たぶんcritical thinkingにつながると思いますが、言うは易し、行うは難しという気がします。

でも、私はOさんの目指すところは分かるような気がします。それほどうまく行かないと思いますが、様々に「思考」や「哲学」をもっと重要なことと考えることは、たかが英語でも必要だと考えます。

Kさんの母校の国際科と普通科

高校も多様化して、一概に高校教育を定型化して論ずることはむずかしくなったなと感じました。つまり、大学に来るまでの学習者の英語学習経験は多様になっている可能性があると感じました。この大学はどちらかと言えばインターナショナルな大学教育で、多様な学生が多くいます。私は実態はよく知りませんが、私が本務として務めている大学とは文化も目標も違います。

国際あるいはグローバルということばは流行のように使われます。果たしてどういう意味で使われているのでしょうか?その点で、母校の国際科と普通科の違いを教師の視点を通して考えてみようという意図はたいへん面白いと思いました。しかし、発表のときも指摘しましたが、話を聞いた先生がかなり公式的な発言をしているように思いました。それは当然ですが仕方のないことです。それはそれとして貴重なインタビューです。

しかし、問題を多角的に捉えるために、生徒の視点、Kさんの視点、他の教師の視点、地域の視点などが加味できれば、母校をより明確に捉えることができ、国際科と普通科、学校と塾などの役割などが理解できるでしょう。

私が個人的に興味を持つことは、インタビューした先生が熱心な先生なので、もっともっと先生が現在抱えている課題や問題などに踏み込むことができれば面白いと思いました。おそらく、かなり忙しい状態で働いていると思います。その原動力は何かなど、探求できれば、おもしろい。

いずれにしても、調査の視点は明確にする必要があると思いました。

忙しい発表で申し訳ない。